肩のあたりからガタガタと音が聞こえるような震えだ。顔色が急変し唇が紫色になっている。テーブルに置かれた手もカタカタと音を立てていた。
「どうしました! 大丈夫ですか?」
思わず立ち上がって里沙の手に触れたとき、裕也の頭の中に閃光が走った。そのまま弾かれたようにソファに深く座り頭を抱え込む。
──また、相手の過去が見える現象……「過去視」だ!
裕也には「過去視能力」という特殊能力がある。それは二年前に理恵と知りあったころに突然開花した。話している相手の過去の記憶が見えるもので最初はかなり戸惑ったが、今ではカウンセリングに活かしている。
里沙は自身の震えを抑えながら「大丈夫ですか?」と立ち上がり、ソファに倒れ込む裕也を見て心配そうな顔をする。
里沙の声を遠くに聞きながら裕也の意識が薄れていった。
しばらくすると奇妙な光景が次々と目の前に現れた。
海草のように揺れる細い流木。
大自然に囲まれた広い大きな河川。
建物は一切ない。
大昔のものと思われる茅葺の家の中。
大きな囲炉裏。
家具などはなく狩猟用の槍が何本も木製の棚に置かれていた。
アイヌの民族衣装を着た人たちがいる。
リアルな古代の生活が独特の匂いを伴って目の前に存在していた。
アイヌ文様が縫い込まれた鉢巻をしている若い女性。
その女性が若い男に向かって「ハルキ!」と叫ぶ。
雨の中の茅葺屋根の集落。
岩に囲まれた暗い洞窟。
光の中で手招きする美しい女性の顔。
長いあご髭の 精悍な顔つきの男性。
洞窟の前で自分の腕の中を覗き込む若い男性。
半分に割れたアイヌ文様の小さな木片。
途中で切れて半輪になった指輪。
やがて意識が戻り、両目の焦点がテーブルの花瓶に合わさった。
立ち上がって慌てている里沙に「大丈夫です」と裕也が手を上げた。里沙は心配そうにソファに座った。
裕也の変化に驚いたせいか震えは治まっている。
「ごめんなさい失礼しました。ときどき、こういう発作が起こるんです」と言いながら裕也は額ににじんだ汗をハンカチで拭った。
「発作……何かの病気がおありなんですか?」
「いいえ、その類いじゃありません。二年前からなんですけどね、発作が起こったときには相談者の方の過去の記憶が見えたりするんです」
里沙は、一花から聞いた話を思い出した。
『里沙、お父さんに何が起こっても驚かないでよ』
裕也の呼吸が落ち着いてきた。
「私の過去が見えたのですか?」
裕也は困惑していた。普段ならクライエントの相談内容に関連する過去の記憶や光景が見えるのだが、今回目の前に見えた光景は近代ではなく、大昔の自然に囲まれたアイヌ民族の集落だったからだ。
今までの過去視ではそこまで昔の光景を見た記憶はない。
「あなたの過去というか……私が見たのは、大昔の光景でした。今回のあなたのご相談とは関係がないようです」裕也は頭の中が整理できないでいた。
里沙は不思議な物でも見たかのような顔をしている。
「あなたの過去の記憶というよりは、あなたの前世の記憶かも知れません」
「前世?」
「ええ、まだ私には経験がないのですが、まれに前世の記憶を見ることもあるそうです」
「そんな……前世のことがわかるなんて……」里沙は疑いの眼差しで裕也を見たが、冗談を言っているとは思えない。
「かなり昔……。そうですね百年以上も前かもしれません。出てくる人物の着ているものから考えると古代のアイヌ集落のようでした。あなたやお兄さんがアイヌと関係していることはありませんか?」
「いいえ」と里沙は首を横に振った。兄の部屋にそんな名前の書籍があったように記憶しているが、それが直接関係しているとは思えない。
「そうですよね……。ただ、一つ気になることあるんです」
「気になること?」
「そうです。『ハルキ』と叫ぶアイヌの女性がいたんです」
「ハルキ? 兄の名前です!」突然裕也の口から名前が出た驚きと、時代があまりに違うことへの疑念から、里沙は少し大きい声を出した。
「ちょっと無理がありますね。一ノ瀬さんのお兄さんがいるはずはない」
「そうでしょう。兄がその時代にいるなんて考えられない……」
「ですよね」裕也は頭をかきながら苦笑した。
「でも、過去の記憶が見えるって不思議ですね。他にも何か見えたのですか?」
好奇心を抱いたのか、里沙が目を光らせて訊いてきた。
「髭の男性と鉢巻をしている女性で、ときどきテレビなんかで見るアイヌ民族の格好ですね。そして半分に割れた小さな木片です。変わった模様が彫られてました。――それと半輪の指輪……。ごめんなさい。こんな話を唐突に聞かされてもねぇ」
裕也は笑いながら頭をかいたが、見つめる里沙の視線はより鋭くなった。
「それって……」と少し震えた声で言いながら、里沙は自分のバッグからキーホルダーのついた鍵をテーブルの上に出した。
「あっ! これは――」裕也が過去視で見た木片が目の前にある。里沙の顔は明らかに怯えていた。半分に割れた木片のキーホルダーは珍しい。その存在を見せる前に言い当てられたことに衝撃を覚えていた。
裕也がキーホルダーを手に取りじっと見つめた。
「――実は……家の仏壇に、半輪の指輪が……置いてあるんです……」
一瞬時が止まった。里沙の視線は好奇心をとおり越して恐怖のそれになっている。
「どうしてわかったんですか? 過去の記憶の中に見えたってことですか? じゃあ、今までの大昔の話も……兄さんがその時代に生きていたっていうのも……」
裕也の口から出たSFのような話が真実味を帯びてきた。抑えきれない不安な感情が少しずつ込み上げてくる。一花が発した「驚かないでよ」という言葉が繰り返し脳裏に浮かび上がった。
「アイヌ民族と何らかの関係があるのかもしれません……。ただ、あまりにも時代が今と違うのが理解できないところですが……」
里沙は、テーブルの上に出したキーホルダーを右手で掴んで、左手を胸のあたりに当てて呼吸を整えた。
「もっと他に、兄や私に関係していること……。見えたものがあったら教えてください」
「そうですね。他に見えたのは大自然に囲まれた大きな河川です。それと岩に囲まれた洞窟も見えました……でも、私が話した大昔のことは、あまり気にしないでください」
裕也は、努めて明るく言い小さく微笑みながら面接用の用紙を取り出した。
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