陽斗と蒼劔は盗んだ白いワゴン車に乗り、暗い森の中を走っていた。
黒縄達に見つからぬよう、ライトはつけていない。また、蒼劔が車の屋根に刺した刀から発せられている青い光の粒子が膜のように車を覆っているおかげで、走行音も気配も一切遮断されていた。
どこをどう走っているのか、暗くて何も見えない陽斗には検討がつかなかったが、蒼劔は全て把握しているらしく、迷いのないハンドルさばきで出口を目指していた。
その間、陽斗は後部座席で、両手でスマホを握りしめ、画面の右上に表示された電波状況をジッと凝視していた。後で廃棄するつもりだったのか、鞄と一緒に車中に残されたままだったのだ。すぐにでもバイト先の店長に連絡したかったが、森の中は圏外だった。
やがて森を抜けると視界が開け、電波が繋がった。暗くて見えないが、どうやら田園地帯らしい。遠くには、人家の明かりが点々と灯っていた。
「繋がった!」
陽斗は電波が繋がったと同時に、バイト先の店長のスマホに電話をかけた。
勤務時間外であるため、既に就寝している可能性もあったが、二、三回コールが鳴った後、電話が繋がった。
「ふぁい」
店長は眠そうな声で、応答する。
まだ店にいたらしく、店内で流れているラジオの音声も店長の声と一緒に聴こえてきた。
「夜分遅くにすみません! 贄原です! 今日……じゃなくて、昨日は無断に休んでしまって、申し訳ありませんでした!」
店長が電話に出た瞬間、陽斗は怒涛の勢いで謝罪した。相手が目の前にいないにも関わらず、ペコペコと頭を下げる。
次いで、蒼劔と事前に打ち合わせしていた偽の言い訳を話した。
「学校から帰る途中で、熱中症で倒れちゃって……目が覚めたら、日付け変わってたんです! こんな時間まで連絡せず、本ッッッッッ当にッ、申し訳ございませんでしたァッ!」
ダメ押しで座席に手をつき、土下座する。
見えない相手に向かってしきりに謝る彼の奇行に、蒼劔は未知の生き物でも見ているかのような目で、物珍しそうにバックミラー越しに眺めていた。
「贄原君?! 本当に?!」
陽斗の不安をよそに、 店長は驚きと安堵が入り混じった声を上げた。陽斗が無事だと分かって一気に眠気が吹っ飛んだのか、電話に出た時よりもハキハキと喋っている。
陽斗には店長の気持ちが伝わっていないのか、
「はい! 僕です! すみません!」と青ざめ、再び頭を下げて謝った。
「良かった……! ずっと心配してたんだよ? 連絡はつかないし、アパートにも帰ってないって大家さんが言ってたし。誘拐されでもされたんじゃないかって、他のバイトの子とも話してたんだよ? 警察に通報しようか迷ってたんだけど、無事で良かったよ。でも熱中症で倒れてたっていうのは、聞き捨てならないなぁ」
その後、店長は体調管理がいかに大切か説き、
「水分をこまめに取ること」
「塩分の補給も忘れずに」
「気分が悪くなったら日陰で休むこと」
と、思いつく限りの熱中症対策法を伝授した。
最後に「体調が悪くなったら、遠慮せず連絡してね」と優しく告げると、陽斗との通話を終えた。
「よ……良かったぁ。バイト辞めさせられずに済んだぁ。これ以上バイトが無くなったら、明日から水道水が主食になるところだったよ」
陽斗はなんとか難を逃れ、安堵した。不安が一気に解消し、全身から力が抜けた。
「よく分からんが、良かったな」
「うん。でも、店長さんに嘘ついちゃった。本当は熱中症で倒れた訳じゃないのに」
陽斗は罪悪感を感じ、落ち込む。
それに対し、蒼劔は「真実を話さない方が上手く事が運ぶ時もある」と励ました。
「事実を話したところで、信じてはもらえまい。鬼に拉致され、妖怪の贄にされそうだった……などとは、な」
「鬼? 妖怪?」
蒼劔の口から現実から離れした言葉が飛び出し、陽斗は驚いた。
冗談かと思い、バックミラー越しに彼の顔色を窺ったが、その顔は真剣そのものだった。
「妖怪はよく知らないけど、鬼って桃太郎に出てくる敵のことだよね? 本当にいたんだ?」
「あぁ」
蒼劔は頷き、自らの額から生えている二本のツノを指差した。
「俺も、お前を拉致した連中も……その鬼だ」
・
蒼劔は陽斗を自宅へ送る道すがら、鬼と妖怪について説明した。
「鬼とは、強い恨みや執着心を持って死んだ生き物が、異形の姿となって蘇った存在だ。元が人間の者が多いが、分類としては人間よりも妖怪に近い」
「僕を襲ったムカデも鬼なの?」
陽斗の問いに、蒼劔は「違う」と首を横に振った。
「あれは妖怪だ。知能が低く、本能のままに力を喰う……人間界で例えるなら、犬や猫といった動物に似ているな」
「動物……」
陽斗は自宅の近所でよく散歩をしているチワワのラッキー君を思い浮かべた。廃工場で陽斗を襲った鋼鉄のムカデよりも、遥かに愛らしかった。
「全然似てないよ! ラッキー君はすっごく可愛いし、僕を食べようとしないよ!」
「……お前が何を想像したのかは知らんが、あくまで行動原理が似ているというだけで、外見が似ているとは言っていないぞ。精神エネルギーの種類も、俺達とは違うしな」
「精神エネルギー?」
またしても聞き馴れぬ単語に、陽斗は首を傾げた。
「あらゆる生ける者と死した者が持つ、魂のようなものだ。煙のような形状をしているが、常人の目には見えず、触れることも出来ない。そして、全て失えば死に至る」
「死っ?!」
その瞬間、陽斗は青ざめた。祖母が部屋で死んでいるのを見つけた時の記憶が蘇ったのだ。
蒼劔は陽斗の異変に気づかず、説明を続けた。
「人間や動物といった生ける者は"霊力"という精神エネルギーを源に活動し、同じ霊力を持つ生き物を食うことで、自らの霊力を維持している。対して、鬼や妖怪といった死した者は"妖力"という、霊力とは異なる精神エネルギーを源に活動している。生者と同じく、妖力を維持するために他の異形から妖力を吸収する者もいるが、異形は体内で霊力を妖力に消化出来るから、大抵は生ける者から霊力を奪い、妖力を維持している。向こうにはこちらの姿は見えないから、狩りやすいしな」
「酷い……それじゃ、気づかないうちに妖怪に殺されてた人もいるってこと?」
蒼劔は「あぁ」と鎮痛な面持ちで頷いた。
「一般的には知られていないが、人間の不審死の大半は異形の仕業だ。俺が前にいた街でも、泥酔客を狙って襲っていた妖怪がいた。死んだ被害者は皆、急性アルコール中毒による事故死と断定されたらしい」
「そんな……!」
陽斗は自分がもしその場にいたらと思うと、恐ろしくてたまらなくなった。陽斗自身は未成年であり、酒は飲めないので襲われないだろうが、目の前で大勢の人々が妖怪に殺されていく光景を想像し、震えた。
やがて妖怪は陽斗の存在に気付き、口封じのために襲いかかってくる……という場面まで妄想し、ふと疑問に思った。
「ところで……何で僕、君や妖怪の姿が見えてるの?」
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