贄原陽斗はこの春、高校進学を機に節木市へ引っ越して来て以来、妙な者達を見るようになった。
最初は一瞬白い影が見えたり、誰もいないはずの部屋で女の人の声が聞こえたりする程度だった。しかし入学から四ヶ月が経ち、夏休みを一週間後に控えている今では、授業をしている男性教師の首を絞めようとする女子生徒や、屋上から飛び降り続ける生徒達が見えたり、授業中にも関わらず、廊下から大勢の子供が無邪気にはしゃぎ回る声が聞こえたり、陽斗の席の背後に置かれている錆びついた掃除用具入れの中から、二本足で立つ全身けむくじゃらの正体不明の獣が陽斗をじっと見つめていたりと、到底無視出来ないレベルの怪奇現象が毎日起こるようになっていた。
……だが、陽斗はかなりの鈍感で、かつ能天気なお人好しだった。
教師の首を絞めようとする女子生徒や、屋上から飛び降り続けている生徒達は「そういう授業を受けている人達」、廊下から聞こえる子供達の声は「今日も楽しく遊んでるなぁ」と微笑ましく思うにとどまり、掃除用具入れから彼を覗いている獣に至っては、その存在すら全く気づいていないという有様だった。
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やがてチャイムが鳴り、昼休みになった。
陽斗はいつものように鞄の中から弁当箱を取り出し、ふたを開けた。
「贄原くん、今日もモヤシ?」
陽斗の隣の席に座るお下げ髪の美少女、飯沼美菓子が、横から陽斗の弁当箱を覗き込む。
彼女の予想通り、陽当の弁当箱の中には様々な切り方や調理法で料理されたモヤシ達が所狭しと詰められていた。
「もちろん! モヤシの塩漬けにモヤシの醤油炒め、モヤシのシャーベット、ご飯代わりのみじん切りに切ったモヤシ、あとモヤシのお味噌汁も水筒に入れてきたよ!」
「……暑いのによく飲むね、味噌汁」
「塩分も取れるし、美味しいよ! お茶を持ってくるの忘れちゃったから、喉が乾いた時は学校の水道水を飲んでるけどね!」
「学校の水道って飲める水だったっけ……? お願いだから、水分補給はしっかりしてね。死んじゃうから」
飯沼は陽斗の行動に呆れつつ、自分の鞄から弁当箱を二つ取り出した。そのうち、片方を陽斗に渡した。
「はい、ご飯とおかず。夏の生野菜は傷みやすいから、加熱した方がいいよ」
飯沼は入学式の日に初めて陽斗のモヤシオンリー弁当を目撃して以来、陽斗のために余分に弁当を作ってくれるようになった。
時には手作りのお菓子を持ってくる日もあり、満足に食事を取れない陽斗にとって、飯沼は最大の生命線だった。
「わーい! ご飯とおかずだー!」
陽斗は飯沼が渡してきた弁当箱に目を輝かせ、「いつもありがとうございます、飯沼様」と両手で恭しく受け取った。既に、口からヨダレが垂れそうになっている。
ふたを開けると、箱の中にはミニハンバーグやウインナー等の肉類、ミニトマトや炒めたブロッコリーといったモヤシ以外の野菜、ふわふわの甘い味付けの卵焼き、そして弁当箱の半分を占める白米が詰められていた。
陽斗は自分が作ってきたモヤシと飯沼が作ってきた弁当とを交互に食べながら、感涙にむせた。
「美味しいっ……! 飯沼さんがお弁当を持ってきてくれるおかげで、僕は毎日お米を食べられているんだね……!」
「そんなに喜んでもらえるなんて、私も嬉しいわ」
飯沼は自分の分の弁当を食べながら、嬉しそうに微笑んだ。彼女の弁当の中身も陽斗と同じものだ。
飯沼は自らが作った卵焼きを頬張ると「今日は上手くできた」と、満足そうに頷いた。陽斗はその様子を横目で眺めながら、飯沼への恩を痛感していた。
(飯沼さんがいなかったら、僕はとっくに餓死していたんだ……いつか、ちゃんと恩返しできるといいなぁ)
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「よっ、陽斗! 今日も飯沼ちゃんとお昼かよ! 妬けるねー!」
そこへ陽斗の友人、成田友郎が焼きそばパンとパックのお茶を手に戻ってきた。
彼はチャイムが鳴った直後に教室を飛び出し、今の今まで購買部でお昼争奪戦を繰り広げていたのだ。大人気の焼きそばパンを手にしているところを見るに、今日も無事勝利を収めてきたらしい。
「成田くん、パン買えたの?! 良かったね!」
「いやぁ、今日もいい汗かいたぜ」
「そんなに足が速いのに、どうして陸上部に入らないのよ?」
飯沼の質問に、成田は「分かってないなぁ」と焼きそばパンの袋を豪快に開けた。
「俺の脚力は、オカ研でこそ発揮されるべきなんだよ。霊を追いかけ、霊に追われるために、日々トレーニングを積んでるのさ!」
成田はルックスが良く、性格も社交的な好青年である。髪の襟足を肩まで伸ばし、明るい茶色に染めている。
その容姿と性格から、高校に入学してすぐは女子にモテモテだった。しかし、彼が所属した部活が奇人変人の集会所である"オカルト研究部"もといオカ研だったこと、足が速いくせに球技全般は全く不得手であること、勉強は軒並み赤点であることが早々に露呈し、今では誰からもアプローチされなくなってしまった。もっとも、オカルトに目がない彼にとっては、以前よりも自由な時間が増えて好都合だったようだが。
「それはそうと、最近話題の"映える心霊スポット"って知ってるか?」
その日も、成田は焼きそばパンに食らいつきながら、話題の心霊情報を口にした。
「バエルって何?」
自宅にテレビが無く、情報に疎い陽斗は、そもそも「映える」という単語の意味すら知らず、首を傾げた。
それを聞いた成田は「そこからかよ」と呆れ、ガクッと肩を落とした。
「映えるっていうのは、見栄え良く見えるって意味だ。綺麗な景色とか、カラフルで個性的な食べ物や飲み物なんかに使われることが多いな」
「へぇ、そうなんだー」
「悪魔の名前じゃなかったのね」
成田の「映える」の説明に、陽斗と飯沼は感心する。どうやら飯沼も知らなかったらしい。
「おいおい、飯沼ちゃんもかよ……二人とも、ホントに高校生? もっと流行に興味持った方がいいんじゃない?」
成田は情報に疎い二人に呆れながらも、パックのお茶を一口飲み、本題である"映える心霊スポット"について話した。
「節木市の外れに奇怪ヶ原工場っていう、今は使われていない廃工場がある。すっげぇ映えるって有名なんだが、そこへ行った人間が次々に失踪してるんだよ。中には廃工場の写真をSNSに投稿したきり、連絡が取れなくなった人もいる。ほら、これがその写真だ」
そう言うと、成田は陽斗と飯沼に自身のスマホの画面を見せた。
幻想的な写真だった。 闇に包まれた、だだっ広い空間の真ん中に女性が立ち、天から差す一条の光を浴びている。まるでスポットライトのように見えるそれは、朽ちた工場の屋根に空いた、人ひとりが通れる程度の大きさの円形の穴から差し込んでいる月明かりだった。
女性の周囲には細かなホコリが舞い、月光に反射してキラキラと輝いて見える。その足元にはあらゆる機種のスマホや携帯電話が大量に転がり、床を埋め尽くしていた。
圧倒的な美しさと非日常感が融合した光景に、陽斗と飯沼も思わず目が釘付けになった。
「綺麗……」
「現実の景色じゃないみたいだね」
「警察は何度もこの工場を調べたんだが、残されていたのは写真にも写ってる、大量のスマホと携帯電話だけだった。今は立ち入り禁止になってるらしいんだが、噂を聞きつけて工場に来る奴らが後を絶たないらしい」
そこで、と成田は一枚のプリントを引き出しから手に取り、陽斗と飯沼の眼前に突きつけた。
プリントには「映える心霊スポット?! 呪われた廃工場の秘密を追え!」と、ゴシック体で書かれたタイトルと、緻密に計画された予定がプリントされていた。
「我々、オカ研が夏休みを返上し、この廃工場を徹底的に調査することになった! ついては、俺の唯一の親友&クラスメイトである陽斗と飯沼さんにも是非参加してもらいたいんだが、どうだ?!」
陽斗と飯沼は一応プリントの予定を確認し、共に首を振った。
「ごめん。僕、その日はバイトがあるから」
「私も。夜は外出できない決まりになっているの」
「マジか……」
二人の答えを聞き、成田は頭を抱えた。
「部長から、"絶対に贄原君と飯沼君も連れて来たまえ!"って言われてるんだよなぁ……あわよくば、今回の調査をキッカケに、入部してもらおうと思ってるらしい」
「部費が払えないから、無理かな」
「門限が厳しいから、夜遅い部活には入れないの」
「デスヨネー」
困り果てた成田を前にしても、陽斗と飯沼の返事は変わらなかった。揃って弁当のミニハンバーグを口に頬張り、もきゅもきゅと咀嚼している。
「はぁ……誰も連れて行かないのもマズいし、暇そうな奴を二、三人捕まえるかなぁ」
成田もはなから期待していなかったらしく、早々に勧誘を諦め、プリントを引き出しに戻した。
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