ここではない、彼方へ

てと
てと

001 ここではない、彼方へ

公開日時: 2020年9月9日(水) 22:31
更新日時: 2020年9月9日(水) 22:41
文字数:2,304


「――ひとは死んだら、どこへ行くんだろうな」





 右手で銀貨をもてあそびながら、セオ・フローリーはそうぼんやりと呟いた。


 ――昼前のカフェで向かい合って座る、若い男女のカップル。それは字面からすると華やかだが、現実は空虚さと陰鬱さに支配されていた。二人の会話には恋人らしい甘さが欠けていた。


 私は紅茶で唇を湿らせて、セオの顔を見つめる。ブラウンの髪と瞳はありふれた色だったが、その顔立ちは端正で凛々しく、誰もが認めるような美青年だった。だが残念ながら、今の彼の表情には笑みというものが消え失せ、いつもの魅力は影を潜めている。

 セオはティーカップの水面みなもに目を落としながら、彼方に想いを馳せるように口を開いた。


「あいつは――お前のことが好きだったんだ」


 今はもういない、自分の幼馴染の青年についてセオは話す。


 レイ・バニスターは大切な親友だった。彼にとっても、私にとっても。

 綺麗な金髪に、あどけない顔つきをしたレイは、ともすれば少年のようにも見えるのが印象的だった。自分に男らしさが欠けていることを自覚していたのか、振る舞いもどことなく控えめで、あまり自己主張しないタイプの青年だった。


 私が話しかけると、彼はいつもぎこちない受け答えをしていた。初めは苦手意識を持たれているのかと思ったけれど、交流を深めるにつれてそうではないと気づいた。もしかしたら私に気があるのかもしれない――そう考えるようになった。


 ただ、それだけだった。

 お互いに、実際に好意を伝えることはなかった。私は確信が持てなくてアプローチをしなかったし、きっと彼も同じだったのだろう。けっきょく友人という関係を保ったまま――


 レイ・バニスターは、つい先月に死去した。……不幸な事故で。


「以前に、ヘレナに告白しろよってあいつに言ったことがあるんだ。……お前が俺よりレイのほうに惹かれていたのは、わかっていたからな」

「……うん」

「そうしたら、なんて答えたと思う?」


 私は少し思案して、ゆっくりと答えた。


「僕よりいい人がいるだろうから――とか?」

「正解だ。やっぱりお前はレイのことをよく理解しているな。……付き合っていたら、さぞお似合いだったろうに」


 そう笑って、セオはすぐに笑みを消した。

 いま私の恋人となっている彼が、そこまで言うのは――それだけセオもレイと仲がよく、彼の人柄を信頼していたからだろう。二人は同じパブリック・スクールに通っていた同級生だった。私が彼らと知り合う前から、セオとレイは親しい友人だったのだ。


「――あいつは今、どうしているんだろうな」


 ふたたびセオは繰り返した。それは死んだらどこへ行くのか、という問いと同じである。

 死によって人はどうなるのか。古代から論じられてきて、いまだに答えのないその哲学的な問題を、セオは柄にもなく最近よく口にする。それは親友の死の大きさを物語っていた。


 死後は楽園へ行く、という宗教の教えはあるが、それを確認した生者など誰もいない。けれども――楽園のような場所で、安らかに過ごしてほしいと私は思った。だから、そういう場所に彼が行ったことを信じたい。


「きっと……向こうで幸せに暮らしているよ」

「幸せ、か……」


 その言葉に反応したセオは、どこか遠い目をした。


「――あいつは、俺やヘレナと一緒にいるのが……いちばん楽しくて幸せって言っていたな」

「そうなんだ? ……レイ、私にはあんまりそういうこと話さなかったけど」

「恥ずかしかったんだろ。お前のことが好きだったから」


 そんなものだろうか。まあ、たしかに私も好意をはっきりと想い人に伝えるのは、ちょっと照れくささがあるけれど。

 思い返してみれば……親愛という点においては、私よりセオのほうがずっとレイと近しかった。だからこそレイは、セオに対して自分の気持ちを隠さず口にしていたのかもしれない。


 私たちはどことなく奇妙で、それでいて雰囲気は悪くない三角関係だった。

 もっと続いてほしかった。……そう今でも思ってしまうほどに。


「……案外、どこにも行かずにいるのかもしれないな。俺たちの近くに」

「守護霊みたいに?」

「そうそう。俺たちのことを見守っているのかもしれない」

「うーん、それはそれで恥ずかしいけど」


 私は苦笑し、紅茶に口をつけた。


 結局はいろいろあって、レイが亡くなってしまったあと――私とセオは付き合うようになっていた。友人ではなく、恋人として。

 それをレイが見たら、どう思うのだろうか。嫉妬する……のは、ないかな。そういう性格じゃないし。


 ――好きな人が幸せなら、それでいい。


 きっと、そういう思考かもしれない。優しい彼のことなら。


「……そろそろ、店を出るか」


 セオはそう言うと、冷めた紅茶を飲み干した。私も同じようにカップを空にして、二人で立ち上がる。

 ――この喫茶店でお茶を飲んでいたのは、デートの途中で休憩するためだった。

 だから、これからはデートの再開である。友人の死を嘆くのは、もう忘れなければならない。


 ……そうやって、ときおり彼のことを話題にしながら過ごしていくうちに。きっと傷は癒え、徐々に悲嘆は薄れていくのだろう。

 日常の中で、彼がいたことを忘れて、私もセオも元気を取り戻してゆくのかもしれない。


 そう現実的に考えた時――私はふと思ってしまった。

 好きだった人が、親しかった人が、自分のことを思い返すことがなくなっても。

 ……はたして、その幸せを喜んで見守ることができるのだろうか。


「……どうした?」


 ふと後方を振り向いた私に、セオが怪訝な声をかけてくる。


「……ううん、なんでもない」


 私はそう答えて、セオのほうへ視線を戻す。

 いるかもわからないレイではなく、今はっきりと存在する彼を――私は見ることにした。


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