震えが隠せられなくなったヘレンの脳裏には「早く、早く、この屋敷から逃れなければ」という言葉が例えようのない恐怖と共に幾度も浮かんでいた。だが、反面では理性は、恐怖の原因……それがなんなのかを何としても調べなくてはと考えていた。
一体?
なんなのだろう?
どうしたのだろう?
廊下に派手な靴音が近づいてきた。同時に辺りにひどい腐臭が漂う。ヘレンはその時、直観的に思い当たった。
アンデッド……。
ゾンビ……。
不死のもの……。
今まで会話をしていたジョンと、お茶を持ってきた女中頭は、この世からすでに旅立った死者だったのだ。
その時、ヘレンの肩を誰かが後ろから掴んだ。
ヘレンは「ヒッ」と、小さな悲鳴と共に心臓を握られたかのように動けなくなってしまった。
「ヘレン? 大丈夫かい?」
「モート……?」
その声はモートだった。ヘレンは嬉しくなって、すぐに身体が動いた。振り返ってモートに抱き着いた。
だが、派手な靴音が近づいてくる。
「ヘレン。少しここで待っててくれ……」
「ええ。相手は多分、アンデッドよ。気をつけて……」
モートが銀の大鎌を持ち、厨房のドアを閉じた。外の廊下から激しい戦いの音がする。その間、ヘレンは目を閉じて静かにしていた。
しばらくすると、濁った血液で黒いロングコートを盛大に汚したモートがドアを開けた。
「終わったよ」
「ああ、モート……」
「ヘレンぼくについていてくれ。この屋敷から一緒に出よう」
「あ、モート。ジョンが生きていたのよ……あのジョンよ……」
「……ヘレン……いや、ここには黒い魂はもういないんだ」
「え? どういうことかしら?」
「多分だが。もう、逃げてしまったのかも……知れない」
「そう……。わかったわ」
モートと一緒にヘレンが厨房から出ると、凄惨なアンデッドの肉片が床に散らばっていた。窓の外は凄まじい吹雪が荒れ狂っている。
ビュウビュウと窓を吹き上げる吹雪は、ホワイトシティでも年に幾度も来ない猛吹雪だった。
ヘレンは寒さに震えながら、疑問に思ったことを歩きながらモートに伝えた。
「ジョンが……ジョンは……言葉を交わしたけれど、なんていうか……そう。すでに死んでいるのよ」
「うん? 何を言っているんだい? ヘレン?」
ヘレンは混乱した頭を振り、ある種のおぞましさを覚えて身震いしたが、勇気をだしてモートに話した……。
「ジョン……あの人は、なんだか棺桶を見ているような雰囲気がしてたわ……もう、この世にはいない。いや、死者とも違う別の存在で……なんていうか……」
「……」
だが……。
離れた場所からガシャンと複数の窓が割れる大きな音がした。
「ヘレン。少しここで待っててくれ行ってくる」
モートが割れた窓の場所へと走っていった。
ヘレンはまた辛抱強く通路で待った。
破壊の音や、グシャッという何かが潰れる音。窓が更に割れる音などが、しばらく鳴り響いた。
だが、奥の方から一体の何かがこちらに近づいてきた。
それは全身灰色のゾンビだった。
煤ぼけていて、まるで暖炉のようなところから這い出てきたかのような姿だった。
こちらにゆっくりと歩いてくる。
ヘレンは怖くなって逃げの態勢になった。
「ごめん……ヘレン」
灰色のゾンビの首が、銀の大鎌の斬撃でブチンっと勢いよくあらぬ方向へ飛んだ。
「一体……逃してしまったんだ……」
「こっちは大丈夫よ。それよりモート。そっちにジョンたちは居たの?」
「いや、いない」
「そう……」
ヘレンは肌寒くなって肩を摩った。モートと二人で出入り口の玄関を探し、数十分後には、モートのお蔭でヘレンはこの屋敷から無事に出ることができた。
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