「お兄ちゃん、もてないでしょ?」
と、妹はぼくにそう言った。
ぼくはへへんと笑って見せた。朝比奈みくるのフィギュアをふたつ抱きかかえたままの姿で。
昨日部長に告白されたばかりなのだ。もっとも部長が好きなのはぼくが書く小説であって、ぼくではないということくらいはわかってはいたけれど。
ぼくは確かにもてない。女の子と付き合ったことがなかった。手をつないだことさえ、中学校のフォークダンスくらいだ。高校生のときは3年間を通 じて女子と会話をしたのは通算15分程度だし、告白をされたのは昨日が、部長が、はじめてのことだった。だからといって後輩の花柳のように、もてようとあ の手この手を駆使する気にもならない。
「お兄ちゃん、好きな子はいないの? 麻衣がキューピットになってあげてもいいよ」
貴子ちゃんも琴弓ちゃんもかわいいし、部長さんはきれいだし、文芸部にはたくさん女の子がいるんだから、誰かとくっついちゃえばいいのに、と妹は言った。
しいて言うなら、ぼくが好きなのは目の前にいるこの世界には存在しないはずの妹だけだ。
妹の発案で、1日行動をともにすることで、ぼくが何故もてないのか分析してもらい、もてないポイントを流さず注意してもらうことになった。
「まずは食事ね」
と、妹は腕を組みながら大須から栄へと歩きながら(栄の方が都会的でお洒落だからという理由らしい)、
「食事のマナーって麻衣はとても大切だと思うの。麻衣は食べ方が汚い人とはいっしょにご飯を食べたいと思わないし。まずはお兄ちゃんのマナーを見させてもらうわ」
と言って、「ここがいいわ」妹が足を止めたお店にぼくたちは入ることになった。
店の名は、「王立アフィリア・ダイニング」と、あった。
よりによってこの店か、とぼくはため息をついた。
確か後輩の、空気の読めない男どもが足しげく通っているのがこの店だ。
王立アフィリア・ダイニングとは、「魔法学院」という一つのキーワードに合わせ、世界観やストーリー、店員制服はもちろん、店舗内装やメニュー に至るまでトータルにこだわった「コンセプト・ダイニング」と呼ばれる新しい形態のお店、らしい。ここで働くキャストとお客様は学院の先輩・後輩という設 定であり、お客様の事を「センパイ!」と呼ぶ。
「つまり世界唯一の魔法レストランチェーンなのです!」
花柳の声が聞こえた気がした。
つまりは、そういうところなのである。
ここは「魔法学院」の南側に位置するカフェ&レストラン「王立アフィリア・ダイニング」であり、テレビ塔の南に位置しているような気がするのは気のせいなのである。久屋大通りにあるような気がするのは気のせいなのである。
ここで働いているのは全員が魔法学院に通う中等部2年生の女子、つまり見習いの魔法遣い達で、この店は学院内カフェとは違い、一般のお客様はも ちろん、時には魔法使いでないキルトのお客様もご来店することもあるらしい。学院側はこれを校外学習の一貫として考えていて、生徒達の人間性や社会性など のスキルアップに役立てているそうだ。
もちろんこれはあくまでも授業の一つなのでアルバイトとは違うそうだ。この王国に古くから伝わる人を思いやる気持ち「誰かの為の自分」をより深く理解し、そして実践出来るようになる事こそが一人前の魔法遣いになるための通り道だと考えているためらしい。
頭が痛くなってきた。
「1人はみんなのためにみんなは1人のために。現代社会ではこんな言葉で表現されていますが、誰かの為の自分、と意味は同じなのでしょう。平和を 愛し、少しでも困ってる人を助けてあげたいと思えるような、そんな魔法遣いを目指して、レストランスタッフ全員が日々精進しています。2年生ゆえ、まだま だ見習いの身。失敗したりドジをしたりと、ドタバタの毎日でありますが…それもまたご愛敬。でもとにかく一生懸命なのです。レストランに来るお客様への忠 誠心は、まごころという形で十分にお伝えする事ができるでしょう」
だそうである。
詳細な設定と、その設定に忠実な店の内装、それだけに留まらない食器類へのこだわり、三拍子揃った王立アフィリア・ダイニングは、花柳曰く、名古屋が誇る魔法レストランである。
セントヒサヤビルの3階にエレベーターで上ると、そこはもう魔法が当たり前に存在する異世界が広がっていた。
制服姿の女の子がぼくたちを出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、センパイ!」
これまでぼくは花柳たちに誘われて、この手の様々なお店を経験してきたことをここに明かそう。
メイドカフェではご主人様と呼ばれ、巫女居酒屋では神様になり、妹カフェではお兄ちゃんと呼ばれてた。
妹カフェのつかさちゃんは元気にしているだろうか。とぼくは思う。
毎日ホームページでシフトを確認しているけれど、最近つかさちゃんの名前を見かけない日が続いている。お兄ちゃんは少し心配だ。
「センパイ方は今回がはじめてのご入店ですか?」
センパイと呼ばれたことは、部内では日常茶飯事のことではあるけれど、一度もなかった。
背筋がぞくぞくっとするような快感が、ぼくの脳内を駆け巡る。
まずい、と思ったときにはもう、口から言葉がすべり出ていた。
「す、すみません、もう1回センパイって呼んでもらってもいいですか?」
もてないポイントその①
はじめてのご入店ですか?と問われて、もう1回センパイって呼んでもらってもいいですかと答える。
「あ、はい、はじめてです」
と、ぼくの代わりに妹が答えてくれた。
「それでは、このお店のシステムの説明をさせていただきますね、センパイ!」
「す、すみません、もう1回センパ…」
もてないポイントその②
しつこくセンパイと呼ばれたがる。
このお店は、コインシステムやレベルアップカードなどアフィリアの世界を存分に楽しむためのメンバーズエリア(学院証発行手数 料:300yen)というものがあるらしい。ぼくたちをセンパイと呼ぶかわいい後輩たちの説明を聞いてもいまいちルールがわからなかったぼくたちは、基本 料金の掛からないサービスもあると聞き、それでお願いしてみることにした。
アフィリアは人気店でいつも混んでいると花柳からは聞いていたが、幸い今日は、入店した時間がよかったのか早速かわいい後輩に席へと案内してもらうことができた。
「センパイ! おしぼりです、どうぞ!」
お水とおしぼりを受け取ったぼくたちはメニューを開いた。
騎士団セット、1,100 円。
アフィリア騎士団で伝統的に食されている、解毒効果の高いショウキョウをスパイスにした焼き肉。生姜焼きとも言われ、王国でも広く一般的に人気のあるメニューで、サラダとライスの付いたお得なセット。
クリフスペシャル、1,300 円。
アフィリアクリフの上にある、王国貴族達の社交場“クリフカジノ”。そのカジノ内にあるレストランで出される、グリルチキンを添えたドライカレー。広く一般に広まったのは、カジノを利用する機会の少ない王国国民の、貴族へのやっかみだったとか。
ギルドライス、1,200 円。
国王が認定する「公式魔法使い」しか所属を許されない王立機関“ギルド”。そこで忙しく働く魔法使い達が気軽に食べられるようにと考案された賄い食。魔法使い達はメキシカンライスと呼んでいますが、王国国民にはギルドライスの名で馴染んでいます。
しかし、メニューまでこのこだわりようはなかなかできるものではないとぼくは感心した。どれもこれもおいしそうで、なかなか決められない。
ぼくはクリフスペシャルを、妹は秋季限定のパスタを頼むことにした。
「ドリンクは何にしようか?」
エルフ・ココ。
ココアドリンクに生クリーム・チョコレートソースをかけたもの。人間とはほとんど交流のない森の種族エルフが愛飲している飲み物として、王国では密かなブームになっています。
ステラの煎れたコーヒー。
コーヒーを煎れたら王国一と名高いステラ・カミール作のマニュアルに沿って製法されたもの。誰もが愛してやまない、まさに作品と呼ぶに相応しいコーヒー。
エインシェントビアー。
古代アフィリアの時代から全く同じ製法で今に受け継がれている。魔法発酵によって造られるアフィリアのビールは、芳醇なモルトの香りと、ほどよい苦みが人気のメニュー。
ドリンクもやっぱりこだわっていた。
どれもこれもおいしそうで、なかなか決められない。
だが途中からこのドリンクメニューがおかしな様相を呈してくるのである。
ザ・ブラックマジシャンソーダ
ダークな魅力に満ちたその姿は黒魔法の虜になった魔導士を現しているという事からこの名が付いた。他国ではコーラとも呼ばれている炭酸飲料で子供達からも特に人気が高い。
コーラである。
メディシンゴールドソーダ
古代アフィリアの時代から解毒剤としても珍重されるショウキョウを原料とした炭酸飲料。薬剤師の手違いから生まれたもので、現在はジンジャーエールとも呼ばれる。
ジンジャーエールだそうだ。
ホワイトルミネス
川を下り古代石によって磨きがかったブリーリア水脈を母とする軟水と、そこにミルクから魔法醸造によって抽出した乳酸菌を混ぜ合わせた健康飲料。カルピスとも呼ばれる。
ただのカルピスだ。
妹がドリンクを決めかねている途中、ぼくはどこか上の空で妹の話を聞いていた。
そんなぼくに妹が言った。
「お兄ちゃん、店員さんの太もも見すぎ」
もてないポイントその③
妹と来ているのに、お店の女の子の絶対領域に夢中になる。
結局ふたりともドリンクメニューは頼まずに、デザートを頼むことにした。
妹からぼくの書いた小説でどの作品が一番おもしろかっただとか、どの登場人物がかっこよかったかだとか、そんな話を聞きながら、やっぱりぼくはどこか上の空なのであった。
書き終えた小説に他人が何と批評しようとあまり興味がないから、という理由じゃなく、妹がぼくよりもぼくの小説の中の登場人物に夢中だから、という理由でもなく、ただただ、
もてないポイントその④
一度注意されたにも関わらず、ぼくはお店の女の子の絶対領域に無我夢中になっていた。
絶対領域とは、ミニスカートとオーバーニーソックスの間の生太股の部分のことを指す。
食事を終えたぼくたちは、かわいい後輩が片付け忘れたコースターを記念にそっと鞄に忍ばせて店を出ることにした。
かわいい後輩は、エレベーター前までぼくたちを送ってくれると、
「それでは魔法の力でセンパイ方を1階までお送りさせていただきます!」
手に持ったステッキを高く振り上げた。
「す、すみません、もう1回だけ最後にセンパイって呼んでく」
妹の冷たい視線に、ぼくは言いかけた言葉をぐっと飲み込んだ。
王立アフィリア・ダイニングから魔法の力で1階まで送り届けられた(エレベーターで降りた)ぼくたちは、
「食事しただけでもう十分わかっちゃったんだけど。お兄ちゃんがもてない理由」
でも、お食事だけじゃお兄ちゃんの真価は図れないよね? と妹は笑って、
「今日一日麻衣がお兄ちゃんとデートしてあげるから、ちゃんとエスコートするんだぞ」
と言った。
だからぼくは妹と、とらのあなへと向かうことにした。
とらのあなは、アニメやゲームのグッズ専門店といっところだ。
「何買うの?」
妹が聞いてきた。
「きみの誕生日プレゼントだけど?」
妹は驚愕した面持ちで、店の入り口から一歩も動くことはなかった。
晩御飯を巫女居酒屋で、と決めていたぼくは、少し肌寒い空の下大須まで歩く気にはならず、久屋大通りから地下鉄で大須観音駅へと戻った。開店の 5時までは少し時間があり、ぼくたちは少しだけ洋服を見ることにした。今朝ぼくの部屋を訪ねてきた後輩の佳苗貴子が、少し前に大須でお買い物をしたときに とてもかわいらしいパーカーを見つけたと言って喜んでいたのをぼくは思い出していた。
そのパーカーを佳苗は何度か着て部室に顔を出していたけれど、それは本当にかわいらしく、仕事を終えて家に帰って、もしそのパーカーを着た彼女 がぼくの帰りを待っていてくれたら、晩御飯にする? お風呂にする? それともわたし? と聞かれる前に抱いてしまいたくなるような、そんなかわいらしい パーカーなのである。
人気商品らしく、パーカーはすぐに見つかった。
佳苗は確か5000円で買ったと言っていたが、4000円にまで値下がりしていた。
「惜しいなぁ。これすごくかわいいから3000円だったら絶対買うんだけど…4000円かぁ…」
少し悔しそうな妹にぼくは言った。
「4000円くらいだったらぼくが出してもいいよ。なんなら麻衣ちゃんにお小遣いあげてもいいくらいの勢いだから」
もてないポイントその⑤
言う台詞が若干援助交際風。
ぼくは妹にそのパーカーを買ってやることにした。素直に誕生日プレゼントだと言えないのが、ぼくの悪いところだと思う。
せっかくのデートなのだから、プリクラでも撮ろうと入ったゲームセンターで、ぼくたちはひとつのゲームに出会うことになった。
それは「機動戦士ガンダム スピリッツ オブ ジオン~修羅の双星~」である。
ガンダム初のガンシューティングゲームらしい。プレイヤーはジオン軍のモビルスーツ・ザクのパイロットとなり、ザクが握るマシンガンと同じマシンガン型のコントローラーを両手で握り、にっくき連邦軍のモビルスーツを次々と撃破していくというもの。
最初のチュートリアルではドズル中将がザクマシンガンの扱い方をレクチャーしてくれ、無類のガンダム好きであるぼくのテンションをおおいに盛り上げてくれたが、妹はそんなぼくをまた驚愕した面持ちで見つめていた。
もてないポイントその⑥
ザクマシンガンを握る自分の写メを撮ってくれるようにせがむ。
もてないポイントその⑦
ザクマシンガン1丁では飽き足らず、二丁ザクマシンガンの写メを撮ってくれるようにさらにせがんだ上、笑顔が気持ち悪い。
「今度はわたしもガンダムバーに連れてって」
と、妹がわたしをスキーか旅館に連れてって的な感じでそう言ってくれないか期待したが、妹はまるで気乗りしない様子で、仕方ないといった顔でぼくと協力プレイでこのゲームに挑んでくれた。
このゲームのおもしろさは筆舌に尽くしがたいものがある。
ガンシューティングを普段しないぼくたちにとって難易度は半端じゃなかったが、コンテニューに次ぐコンテニュー、ぼくたちふたりで何百円つぎこんだかわからないほどです。いつの間にか妹もはしゃいでいた。
ぜひ皆さんもゲームセンターでザクマシンガンを片手ににっくき連邦を殲滅してほしいものである。
あえて言おうカスであると!
巫女居酒屋の開店時間が近づき、ぼくたちはゲームセンターを後にして巫女居酒屋へと向かうことにした。
巫女居酒屋も花柳たちのおすすめだ。何度か連れてこられたことがある。値段は少々高めだが、ホットペッパーのクーポンを使えば平日はドリンクが半額に、土日はお会計が10%オフになる。
お酒や料理のおいしさといい、そのメニューの豊富さといい、テーブル席の入り口にかかったのれん越しに見る巫女さんのかわいらしさといい、大須でぼくが一番オススメの居酒屋といっても過言ではない。
特にオススメなのが戦国武将カクテルである。
ぼくはこのお店では戦国武将カクテルしか飲まない。
なぜなら、この戦国武将カクテルには、家紋つきコースターがついてくるからである。
家紋つきコースターをコレクションしているのだ。
鈴を鳴らして、巫女を呼び、ぼくはメニューを読み上げる。
「戦国武将カクテルのー、徳川家康のー、征夷大将軍でー」
「戦国武将カクテルのー、毛利元就のー、日輪でー」
「戦国武将カクテルのー、伊達政宗の、独眼竜でー」
もてないポイントその⑧
「もう! なんでお兄ちゃん、注文の仕方が、ゴチになりますのときの岡村さんみたいなの?」
「戦国武将カクテルのー、ちょうそかべめもちかたのー」
長曾我部元親で噛み倒した。
この戦国武将カクテル、全部で9種類ある。
今日、ぼくはついに天下統一を成し遂げた。
会計を済ませた後、妹に奥のお座敷におみくじマシーンがあると教えると、妹は早速おみくじをひいてきた。
中吉だった。
このおみくじは、恋みくじという名前で、恋愛運を占ってくれる。
「相性のいい星座は、おひつじ座、かに座、てんびん座でもいいって」
「麻衣さん、ぼくしし座です」
「相性のいい血液型は、B型、O型、AB型でもいいって」
「麻衣さん、ぼくA型です」
以上が、改めてぼくがなぜもてないのかがわかった今日の出来事である。
終電の地下鉄で藤が丘へと帰ったぼくたちは、バスやリニモはもうなく、駅裏のタクシー乗り場でタクシーに乗り込んだ。
「硲探偵事務所まで」
とぼくが告げると、
「どこですか、それ」
と、当然といえば当然だが尋ねられてしまったので、
「愛知学院大学まで」
と言い直した。
大学から探偵事務所は徒歩10分といったところだ。
運転手は小泉今日子に似た女性で、無線でどこかに何かを連絡するとアクセルを踏み、タクシーはゆっくりと動き出した。
妹はぼくがねだられて一口ずつカクテルを飲ませてしまったせいで泥酔しており、
「名前に『智』の字が入っている人間は性格が歪んでいる」
という、後輩の花柳の「メールアドレスに『プーさん』が入っている女はデブでキ○ガイ」とさして変わらない説を、人生と経験と魂を込めて語りだした。
何かつらい思い出があるのだろうと聞きながしていたが、タクシーの運転手の名前にもし智の字が入っていたら、とぼくはひとり内心ひやひやしながら、運転手の座席の後ろに貼りつけられた名前を確認し、智の字が入っていなかったことに安堵した。
「ほら、秋葉原で無差別殺人を起こした人も智の字が入ってたでしょ」
あちら側でも秋葉原で無差別殺人は起こっていたらしい。本当に妹の存在だけがこちら側とあちら側とで違うのだ。
「あれは性格が歪んでるとかそういう問題じゃないだろ」
秋葉原の事件以来、無差別な通り魔事件が後を立たない。事件の犯人は、皆ぼくと同じ側の、いわゆる負け組に属する、友達のいない、オタクの人間だ。
評論家の宮台真司は、そういったひとりぼっちの人間はメディアの勝ち組負け組といった報道を真摯に受け止めてしまいがちだと論じていた。ばかだ な、そんなこといちいち気にしやがって、と言ってやれる友人がいれば事件を引き起こすこともなかっただろう、と。同じ評論家の呉智英に、宮ナントカの説は 確かにごもっともだが、東大卒で、嫁までどこかのお嬢様のいわゆる勝ち組のお前にそんなこと言う資格はないと反論されていたけれど。
そういえば呉智英にも智の字が入っている。
ぼくもまた三流大に在籍する負け組で友達も少ないオタクで、メディアの影響を受けやすい部類に入るのだろうが、DVDの違法コピーやファイル共 有ソフトで著作権を侵害することはあっても人は殺さない。インスタントカメラを分解してスタンガンを作る方法も、モデルガンを改造して殺傷能力を高める方 法も知っているが人は殺さない。
同じ側に属する人間にも、人を殺す人間と殺さない人間がいる。その違いは一体なんだろう。
秋葉原の事件からぼくはずっと考えて続けていたが、まもなく半年が過ぎようとしている。
まだ結論は出ない。
「麻衣ね、あとね、顔相診断が得意なんだよ」
と、妹は言い、お兄ちゃんに好きな女の子ができたら麻衣が顔相診断してあげるね、と笑った。
ぼくは試しに部長の顔相診断をしてもらうことにした。
診断結果は、
「性格の悪さが顔ににじみでている」
という無惨なものだった。
「おまえ、今日部長はきれいだって言ってなかったっけ?」
「貴子ちゃんは――」
ぼくの話を問いに答えるつもりはないらしい。
今朝ぼくの部屋を訪ねてきた佳苗貴子はといえば、
「あの子は絶対床上手だよ、うん」
何が、うん、だ。
一体どこでそんな言葉を覚えてくるのか、ぼくは頭が痛くなった。飲みすぎたせいではないだろう。
大学前でタクシーを降りたぼくたちは、昨年たてこもり事件があった家のある方角へと歩き出した。硲探偵事務所のあるマンションは、たてこもり犯の家のすぐそばにある。
「ねー、こんな時間に探偵さんに会いにいくの?」
真夜中に探偵を訪ねようと思ったのは酔っていたからであり、妹の背中の七色の花弁を持つ花のタトゥーのようなもののことでぼくは焦っていたのかもしれない。
あの探偵なら七色の花弁が日に日にその数を減らす、その明確な理由をぼくに教えてくれるはずだった。
探偵は留守だった。
ぼくは朝比奈みくるのフィギュアの入ったまんだらけの袋をドアノブにかけると、自分用のフィギュアを抱きかかえて歩き出した。
妹は、そんなぼくから距離をとって歩いた。
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