女は窓のカーテンの隙間から医師の姿を睨んでいた。
そして、視界から医師の姿が無くなると、女は急いで着替え始めた。
女は下着を選びながら迷った。
そう、男のLINEコメントの真意を考えた。
【お前は俺だけの女だ。お前は俺だけに抱かれる。お前は俺だけに感じる。この先も】
予想だにしない、愛情の篭ったメッセージ
逆に女は困惑していた。
「どうしたの…、優しくなってる…」
女は、全然、嬉しくなかった。
却って、男に優しくなって欲しくはなかった。
女は、自然と35年前の別れの日を思い出した。
女の頑な別れの強要に、男は最後、「分かったよ。でも、嫌いで別れるんじゃないよね。」と優しい言葉を掛けて、去って行った。
女にとって男の優しさは『別れ』を意味していたのである。
女は男の和らいだメッセージのトーンに合わせ、シルクの純白の下着を手に取った。
だが、女はその下着を元に戻し、下着入れの奥に隠し込んでいる淫靡な下着を手にした。
今の女にとって、男の真意が分かりかねぬ状況からして、その前に送信されたメッセージ
「気を失うほど」
というセクシャル的な淫語に心も身体も圧倒されていた。
女は自分に返事をするよう大きく頷き、胸には何も着けず、下は紐のような淫靡な下着を纏った。
そして、男の好きなジーンズを穿き、やはり、同じ白いセーターを着込み、黒のダウンジャケットを羽織った。
女は部屋の鍵を閉め、玄関に早足で急いだ。
「あっ」と
女は何かを思い出したようにバスルームに戻ると、ジーンズを膝まで脱ぎ、紐のような下着の中心に香水を一振り振り注いだ。
そして、女は鏡に映る自身の顔を見つめ、こう呟いた。
「優しくしないで、お願い。こんなに期待してるのよ。
そう!
そうさせたのは貴方なのよ…」と
女はマンションを出た。
時刻は午前8時を回ったところであった。
まだ、帰宅して3時間も経っていないのに、早くも男を求め、あの501号室に向かう女
死神との問答による男の決断
それに翻弄される女
小春日和の青空が広がる天空の中、一点の灰色雲が微動だもせずに止まっていた。
女はその雲が地図案内のピンであるかのように、それに向かって歩いて行った。
男は、何か月振りかにシャワーを浴びた。
そして、男は、原型をとどめていない洗面所の鏡を見ながら、剃刀で髭を剃った。
煙草のヤニ臭い無精髭が、ボタボタとシンクに落ちていった。
男はついでに鼻毛と眉毛も切り、顔をゴシゴシと石鹸で洗い、ドライヤーで髪を乾かした。
次に、男は何かを思い出すよう鏡に写る自分を見つめ、暫くすると、歯磨き粉を握り、歯ブラシに付け、ゴシゴシと歯を磨き始めた。
その時、
「トン、トン、トン」と玄関からノックの音が聞こえ、「キィ~」とドアが開き、そして「パタン」と閉まる音が聞こえた。
男は歯ブラシを咥えたまま、玄関に行くと、女が靴を揃えるため後ろ向きに屈んでいた。
そして、立ち上がり、振り向き、男の顔を女が見た。
女の目は驚きの表情をし、直ぐにその表情は泣き顔に崩れるよう変化した。
そして、女は立ち尽くしたまま、シクシクと泣き出した。
男は女をそのままにし、洗面所に戻ると、口を濯ぎ、そして、タオルで顔を拭き、泣いてる女の前に戻って来た。
女はまだ下を向いてシクシクと泣いていた。
男は女から黒のダウンジャケットをゆっくりと脱がし、ハンガーにかけ、北窓のカーテンレールに吊しかけた。
男が女の方を振り向いた時、女はベットに腰掛けていた。
男は女の隣に腰掛けた。
そして、女にこう問いかけた。
「何故、泣いたんだ?」と
女は下を向いて、首を振るばかりで、何も言わなかった。
男は仕方なく、煙草に手をやり、そして、火をつけ、静かに紫煙を蒸した。
光の入らない暗い501号室
男の咥えた煙草の火が、夜の海の灯台の灯のように熾っていた。
煙草の火が薄くなり、フィルターの根元まで灰が進出した時、女がやっと口を開いた。
「私と別れるつもり…」と
男はベットサイドの灰皿に吸い殻を捨て、また、新たに煙草に火を付け、そして、一吹き、紫煙を吐くと、こう答えた。
「別れない。」と
女は予想が外れた喜びから、容易く顔を上げ、男を見つめた。
そして、女は笑いはしないが、それに近い表情を浮かべ、男の膝にそっと掌を置いた。
その時、女の心に電気が走った。
「この人、覚悟してる。
何か…、覚悟してる。」
女の心は感じ取った。
男も感じた。
これから述べることを、女が察したことを。
男は女の膝に置いた掌の上に自身の掌をゆっくりと重ね合わせた。
そして、女にこう言った。
「お前の旦那を殺す。」と
女は驚きもせず、理由も聞くことなく、頷いた。
女は次に男が発する言葉を待った。
男は女の配慮に応えるかのように、こう話した。
「お前がこんなに早く来るとは思っていなかった。
だが、それは良かったと思う。
お前にはLINEで告げるつもりでいた。
今から病院に行き、お前の夫を殺し、そして、ここに戻り、お前を待つつもりでいた。」と
男がそう話し、もう語る様子がないことを了知した女は、ゆっくりと口を開いた。
「夫を殺してください。
私の人生を無茶苦茶にした男です。
あの男は私を妻とも女とも人間とも感じていないのです。
貴方が言ったとおり、あの男は、私を寄生虫だと思っています。
そう思われても構いません。
もともと愛のない結婚生活でしたから…
でも、許せないのです。
あの男さえ、この世に存在しなければ、
必ず貴方と、もっと早くに再会出来たと…
今更言っても遅いと、貴方は怒るでしょうが…
だから、夫を殺してください!」
そう言うと、女は、次に言いたい事が言えず、下を向き、男の膝に置いた掌を「ぎゅっ」と握った。
男が女の気持ちを代弁した。
「神の御加護だ。
お前が早く逢いに来てくれた。
この時間は、俺の人生の中で最も貴重な時間だ。
神に嫌われ続けた人間にとって奇跡だ。」
こう言うと、男は女の唇を奪い、ベットにそっと押し倒した。
女は泣いていた。
俺が優しく聞いた。
「何で泣いている?」と
女が泣きながら言った。
「だって、貴方、優しい時は、別れの時でしょ…
優しくしないで…
お願い、痛ぶって!
お願い、貶して!
お願い、罵って!
だから…、それでいいから、
私から消えないで…」と
男は言った。
「消えやしない。
必ず、ここに戻って来る。」と
そして、男は動かない脚を片手で掴み、ベットに押し上げ、女の上に被さった。
男は女の瞳を見つめ、女に目を閉じるよう、目で合図した。
女は目をそっと閉じた。
男は女の閉じた瞼にキスをし、女の服を脱がそうとした。
男は右脚が動かないことから、バランスを崩し、女の胸に顔を埋めた。
それでも、男は片肘を突き、体制を立て直し、女のジーンズを懸命に脱がそうとした。
女は男の苦心を察したが、キスされた瞼を硬く閉じ、全てを男に任せることにした。
また、男がバランスを崩し、女の脇に潰れるように倒れた。
その時
男には見えた!
青白い光が男の右脚に降り注ぐのを!
男は天井の四隅を見た。
死神
死神が炎を吐いていた。
次に、瞬間的に男の右脚がピクリと動いた。
男は驚いた。
死んでいた男の右脚の筋肉が再生されるかのよう、男の右脚の内が「ドクン、ドクン」と脈を鳴らした。
そして、男の右脚は男の意思に従い、大きく動いた!
男が天井四隅を見遣った時、既に死神の姿は無かった。
男は横たわる女の首に腕を回し、ゆっくりと女を起こした。
そして、女にこう言った。
「目を開けてごらん。」と
女が目を開けると、
男はゆっくりとベットの上に立ち上がった。
「脚が、貴方、治ってる!」と
女が思わず叫んだ。
男は両手を広げ、優しくこう言った。
「俺の胸に飛び込んでおいで。」と
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