フォルテシアの治癒を見届けたラーソルバールは、グレイズの待つ試合場に上った。
「お、そこに座ってるってことは、ガイザが勝ったのか。おめでとう!」
試合場脇に座るガイザの姿を見つけると、涙で滲んだ目を誤魔化すように笑顔を振りまいた。
「泣き虫め……」
ラーソルバールの顔を見て、ぼそっとガイザが呟いた。
だが、ガイザは次の瞬間、ラーソルバールの表情が全く別のものに変わるのを見た。
「切り替えたな」
いつもの笑顔に満ちた優しい顔ではなく、ガイザもほとんど見たことの無い、怒りを内面に秘めたような厳しい顔だった。
「入学試験の時の事を覚えているか?」
唐突にグレイズは話し始めた。
「この俺に、偉そうに説教をたれた女、そんな奴はすぐに忘れると思っていた」
ラーソルバールを睨みつけるグレイズは、相手の言葉など必要としていなかった。
「その後、お前は牙竜将と激しい戦いをしてみせた。俺は憧憬の念でそれを見てしまっていた。だが、それは高みに登ろうという俺にとって、屈辱でしかなかった。……だから屈辱は貴様を倒す事で払拭する。そう決めて今までやってきた」
怒りに震えたように、拳を握り、そしてラーソルバールを指差す。
「おやおや……、わが宿敵は恨まれやすいな……ただ、これは筋違いだがな」
試合場を見ていたエラゼルが苦笑した。
「デラネトゥス家の娘よ、この獲物、そちらにはやらん」
エラゼルの声が聞こえたのか、ラーソルバールから視線を外すことなく挑発的な態度を取る。
「ふん、貴様ごときの手に負える相手ではないわ」
腕を組み、エラゼルは鼻で笑った。
この程度の男に倒されるような相手を、宿敵として追いかけてきた訳ではない。
「エラゼル!」
不意に名を呼ばれ、エラゼルは驚いた。
「決勝で待ってるよ」
屈託の無い笑顔で、見つめるラーソルバールに、エラゼルは当惑した。
「……と……当然だ」
頬を赤らめながら、紡ぎ出した言葉。
エラゼルの素直な心の内が出たのだろう。それを自覚して、エラゼルは苦笑した。
眼前の自分を無視したような言葉に、グレイズは怒りを覚えた。
「貴様、この俺を…」
「忘れてないよ。フォルテシアの分、きっちり返させて貰う」
威圧するかのような視線に、グレイズは一瞬たじろぐ。
「君たち、もういいか。試合を始めるぞ」
挑発のやり取りに呆れたように、審判を勤める騎士が言葉を挟んだ。
「あ、すみません。いつでもどうぞ」
ラーソルバールは頭を下げた。
「うむ、……では始め!」
その頃、特別室に居る、ジャハネートはご機嫌だった。
「何だか揉めてて楽しそうだねぇ」
会話の内容は聞こえて来ないが、盛り上がっていそうに見える様子に、自然と頬が緩んだ。
騎士団長就任以降、武技大会の観覧は「面倒だから行きたくない」と言って周囲を困らせていたが、今年は二つ返事でやって来た。
ジャハネートの目当ては、ラーソルバールの試合だった。
だが、ラーソルバールの強さは分かったものの、今までは相手が弱く、期待して見ている側としては消化不良だった。
対戦相手のあまりの不甲斐なさに「ランドルフ、ちょっと学生に変装して混ざってきな」などと無理難題を言ったりもしたのだが、ようやく骨の有りそうな相手との対戦に、鼻歌まじりになるほど、ご機嫌を取り戻した。
「さあ、楽しませておくれ」
女豹の目が輝いた。
開始の合図と共に、グレイズは突っ込んだ。
魔法の詠唱時間など、与えて貰えるなどとは思っていない。
先手を取り、防戦に追い込めば勝てるとはずだと思っていた。
ここで優勝すれば、ヴァンシュタイン家のグレイズという名を知らしめることができる。
その第一歩を、ここで確実なものにする。負ける訳にはいかない。堂々と勝つ。
グレイズは小細工抜きで、勝負に出た。
グレイズは最大の速度で剣を振る。
下から切り上げるような攻撃から始まり、返す剣で横薙ぎ、そして切り下ろしと続けたが、ラーソルバールを捉えることは出来なかった。
次に、再度切り上げようとしたところを、ラーソルバールに軽々と弾かれると、逆に猛攻に晒されることになった。
素早い突きで足を止められ、そこへ強烈な縦の斬撃が襲いかかってきた。たまらずグレイズは剣を出して受け止めようとするが、ラーソルバールの剣は軌道を変えてするりと避け、返す剣は斜め下からの攻撃に切り替わる。慌ててグレイズは飛び退ったが、その剣は僅かに鎧を掠めた。
流れ出る冷や汗と共に、グレイズは実力の違いを実感した。
「さあ、ご挨拶は終わり。フォルテシアの分、本気でいくよ」
グレイズの焦りをよそに、ラーソルバールは真顔で言い放った。
「なに……」
今の攻撃ですら辛うじて避けられただけのグレイズにとって、それはにわかに信じられない言葉だった。
「嘘をつけ、これ以上のもの、魔法でも使わなければ……」
言いかけた所に、ラーソルバールの攻撃がやって来た。
初撃は辛うじて受け流したものの、二撃目、三撃目と鎧を掠める。さらに速度を上げる剣に、グレイズは全くついていけない。避ける事も、受け流す事もできない。
グレイズは悟った。剣は鎧を掠めているのではなく、わざと掠めさせているのだと。
有効打撃を与えず、精神的に追い詰める剣。速さだけでなく、その剣は軌道を変え、一切の抵抗を許さない。軽い金属音が連続し、グレイズの耳に響く。
(ここまで差があるのか……!)
グレイズが愕然としたその瞬間、ラーソルバールの剣が止まった。
ラーソルバールの手にする剣の切っ先は、グレイズの喉元に突き付けられていた。
入学試験の時に憧れを抱いた剣は、更に強くなっていた。愚かに抵抗しても無駄だと分かる。認めたくは無いが、認めるしかなかった。
「……俺の負けだ」
グレイズは剣を下ろした。
この瞬間に、ラーソルバールの勝利が宣言され、試合は終わり、完全な敗北感を味わったグレイズは、その場に立ち続けた。
ラーソルバールは「フォルテシアの分」とは言ったが、自身の感情を乗せた訳ではない。グレイズを追い詰めた剣こそが、フォルテシアの分であり、最後に突きつけた剣だけがラーソルバールの本来の戦いだった。
「うっひょー! やるねぇ。ここまで圧倒的だとは思わなかったよ」
ジャハネートは飛び上がって喜んだ。
「こういうのが見たかったんだよ。というよりも……ランドルフ、気のせいかあの娘、前より強くなってないかい?」
「気のせいじゃないな……」
ランドルフは唸った。
いや、あの時まだ上がある、と思った自分の感覚からすれば、驚く事ではない。だが、今の試合を見ても、まだ余裕があるように見える。あの時より強くなっているのは間違いない。
やれやれ、次にやったら本当に負けるかもしれないな。浮かれるジャハネートをよそに、ランドルフは大きく溜め息をついた。
「次はデラネトゥス家の娘か。あれもいいよねえ」
ジャハネートは楽しそうに観戦している。
「とはいえ、名家のお嬢様を自部隊に加えるってのは、中々難しいな」
どうしても、気位が高くて扱いにくいという先入観がつきまとう。
ランドルフが渋い顔をする。
「確かにちっとばかし面倒だねえ。それにさっきの娘もそうだが、あの見た目じゃあ男共が大人しくしてられないわな」
「じゃ、うちで二人とも引きとるよ」
シジャードがここぞとばかりに、口を挟む。
「なに言ってるんだい、あのラーソルバールって娘はうちが貰うんだよ。他所にはやんないよ」
「どのみち我々が決められる話じゃ無いがな」
ジャハネートをからかって、してやったりのシジャード。
賑やかな三人とは対照的にサンドワーズは腕を組んで黙って試合場を眺めていた。
「エラゼル、約束は守ったよ」
ラーソルバールは笑顔を向けた。
「……そこに座って待っているといい」
取り繕うように、抑揚なく答えるエラゼル。
その横でガイザは苦笑していた。
「あのー、ラーソルバールさん? 俺は黙って負けてりゃいいんですかね?」
「んー頑張ってエラゼルに、冷や汗くらいはかかせてね」
「はいはい。期待してないわけね。せいぜい頑張って抵抗させてもらいますよ」
そうは言ったものの、特段怒った様子もない。
今までの試合を見て、エラゼルの強さを感じていたからだろう。
「さあ、いつでもどうぞ」
剣を構えてエラゼルに向き合う。
審判員が手を上げる。
「始め!」
開始の声が響いた。
「真っ向勝負で行くぜ」
剣を握り、エラゼルを見る。
「……望むところだ」
エラゼルもガイザの意気に応じる。
先手を取るため、ガイザは大きく踏み出し、剣の届くギリギリの距離から、素早く突きを放つ。
若干、意表をつかれた形になったエラゼルだったが、半歩さがってこれを避ける、ガイザは勢いのまま、もう一歩踏み出すと、続けざまに連続で突きを放つ。
だが、いずれもエラゼルには届かず、最後には剣で止められた。
「さすが……」
ガイザは感嘆しながらも、手を止めない。
もう一度大きく突き出す素振りを見せると、エラゼルが動いた。
ガイザは即座に手首の角度を変えると、エラゼルが来るのを待っていたように横薙ぎを入れる。
だが、エラゼルは刃部分に左手を添え、強烈な一撃を剣で止めてみせた。
「ちっ、ラーソルとやってるのと変わんねえな」
止められた剣を押して弾くと、次の攻撃に移る。
その瞬間だった。弾いたはずの剣が思いもよらぬ角度から襲いかかってきた。
「終いだ」
下から脇腹を狙うように襲いかかる剣に、反応が遅れた。
「がっ……!」
既のところで剣を受け止めたガイザだったが、大きくバランスを崩してしまった。なんとか踏み留まって体勢を立て直そうとしたが、エラゼルがそれを許すはずが無かった。
真上から振り下ろされた剣が、ガイザの肩に襲い掛かった。必死に剣を出して止めようとしたが、間に合わない。
直撃が来る。そう思った時だった。
剣は寸止めされ、そして肩を軽く叩かれた。
それを見届けた審判員は、勝者としてエラゼルの名を叫んだ。
「面白かったぞ」
エラゼルの微笑が、ガイザの健闘を称えた。
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