「外の警備の者は何をしている!」
「バルコニーに人を回せ!」
「会場には入れるな!」
怒号が飛び交う。
その様子を見て、エラゼルはただ呆然として立ち尽くしているような娘では無かった。
騒然とする会場を、壇上から冷静に眺める。
「ロガリオ、私の剣を持ってきて」
近侍していた侍従に告げると、バルコニーを睨んだ。
「あの、赤いドレス……」
ラーソルバールは動けずにいた。
先程までは感じ取れていた気配が、騒然とした会場の音に紛れ、今は感じ取れない。
視界、息遣い、殺気、どうやって敵を見付けるか。
一瞬の遅れが命取りになる。
手負いの侵入者が、見透かしたように笑みを浮かべる。
そして懐から何かを取り出して飲み込む。
恐らくは解毒薬だろう、ラーソルバールは直感した。暗殺者の武器に毒が塗布されていたとしても不思議ではない。
腕からの毒が回る前に、対処したという所だろう。
「標的を逃したばかりか、小娘に翻弄されたとあっては我らの名に傷がつく」
ラーソルバールを指差し、嘲るように笑う。
お前を殺す、そう宣言しているに等しい。
だが、バルコニーという、そう大きくない空間にいつ何処から来るのか。
果たして、本当に最初の標的は自分なのか。ラーソルバールに迷いが生じる。
手負いの男は、毒が効いているのか、まだ思うように動けずに居る。
風が舞い、ラーソルバールの髪を揺らす。
そして夜の澄んだ空気と草木の匂いを運んでくる。
「どうした、動けないのか!」
男が挑発する。
「イリアナ様、我々も彼女を助けに……」
護衛の一人が声を上げる。
「助けになれるのなら、行きなさい。邪魔をするだけなら、ここに居なさい」
「これでもデラネトゥス家の護衛でございます! 彼女の盾にはなれましょう!」
イリアナに詰め寄るように懇願する。
「ならばレガード、彼女は大切なお客様です。必ず守り抜きなさい」
「はい、御家の名誉のために!」
敬礼をすると人ごみを掻き分け、バルコニーへと駆け出した。
会場からは、ラーソルバールを支援するように、いくつかの魔法が投げかけられた。
防御強化、魔法盾、武器強化。
だが、毒刃がかすっただけでも死に至る可能性があるこの状況では、これらがあまり意味を成さない事をラーソルバール自身が知っている。
これだけ張り詰めた状態で動けないという経験が無いため、自身でも疲労感が増していくのが分かる。
ただ待つよりのは駄目だ。誘いをかけるしかない。
ラーソルバールは一瞬、疲れたふりをして構えを解く。
その瞬間、手負いの男の視線が動いた。
(そっちか!)
感じた殺気が迫る。
その瞬間だった。
「助勢いたします!」
青年がバルコニーに飛び込んできた。
「だめっ!」
ラーソルバールに向けられたはずの襲撃者の切っ先が、青年の肩を抉った。
襲撃を止めようとラーソルバールが伸ばした剣は、僅かに届かなかった。
「アアアアァー!」
絶叫し、青年は転倒する。
「ちっ……」
姿を現した四人目の侵入者は、長身の男だった。
怪我人を出してしまった。それもかなりの大怪我だ。出血も多く、毒もある。
もし、この戦闘が長引けば恐らく青年は死ぬ。
その切っ掛けを作ったのは、自分だ。
ラーソルバールは自責の念に駆られながらも、剣を握り戦う事を選んだ。
体勢を崩さず、そのまま繰り出した切っ先が男に届きそうになった瞬間、背後に強烈な殺気を感じて、慌てて飛び退いた。
暗闇を切り裂く刃が一瞬だけ見えたが、今までの四人とは、危機感が圧倒的に違った。
恐らくは、能力、熟練度、その両方が比べ物にならない相手だ。
正面からの戦いではない暗殺者との戦いなど、経験した事も教えられた事も無い。
逃げ回る事もできないバルコニーの上では、圧倒的に不利な状況と言っていい。
最後の一人は場に殺気だけを残し、存在は視界から再び消えた。
どんな技を使えば、瞬時に闇に紛れ、消え去ることが可能になるのか。暗殺者の技術などラーソルバールは知る由も無い。
どこから現れるかも知れず、圧迫感に息が切れ、冷や汗が止まらない。
その様子を見透かしたように、背後から長身の男が襲いかかる。
「しまっ……!」
消えた相手にばかり意識を集中させていたため、今まで目の前に居た男への警戒を怠っていた。
不意に近い状態でラーソルバールには避ける余裕が無く、相手の剣を自らの剣で受け止めた。
力では遥かに劣るラーソルバールは、相手の力に圧し負けて不利な形へ持ち込まれそうになる。
(背後から来る!)
直感した。相手が自分を確実に殺そうとするならこの機会だ。
ラーソルバールは剣の力を一瞬抜いて相手の体勢を崩すと、体を捻って横に抜け、相手の足を払った。
それとほぼ同時に、ラーソルバールが元居た場所へと暗殺者の剣が振り下ろされていた。
「ぬ!」
ラーソルバールを捉えるはずだった剣は、止めきれずに長身の男の首に深く突き立てられた。
「ぎゃああああああ!」
声を上げ、長身の男はそのまま倒れ込んだ。
思いも寄らぬ状況に驚いたのは、暗殺者の方だった。
姿を晒したまま、一瞬の隙ができた。
(今だ!)
そう思って飛び出そうとした瞬間、ラーソルバールを狙った短剣が飛んできていた。
手負いの男から放たれた直後に気が付いたのだが、払い落とす事ができるような体勢ではない。
(避けきれない!)
半ば諦めた瞬間だった。短剣は一本の剣によって叩き落された。
「詰めが甘いぞ、ラーソルバール・ミルエルシ!」
純白のドレスに黄金の髪を揺らす、まるでおとぎ話のお姫様のような姿に、一本の剣を携えてエラゼルが現れた。
「エラゼル!」
安堵と共に、ラーソルバールは勝利を確信した。
「貴様のような輩を、デラネトゥス家へ招いた憶えはない!」
エラゼルはゆっくりと切っ先を暗殺者に向ける。
「私はそこの女程甘くない。侵入者を殺さずに済ませようなどという、寛大な心は持ち合わせておらぬ」
いつもと変わらぬエラゼルの高圧的態度を見て、ラーソルバールは不謹慎にも口元が緩んだ。
(やっぱり格好良いね……)
言葉にしたところで、額面通り素直に受け取るとは思えないので、声には出さず心の中に止めて置く。
「お前もいつまでそんな汚らしい剣を持っている。これを使え」
エラゼルは暗殺者から視線を外さず、もう一本持ってきた剣をラーソルバールに放り投げる。
「おっと……」
右手の小剣を離さずに、受け取ろうとしたため、危うく取り損なうところだった。
「バルコニーだと、小剣の方が取り回しがきいていいんだけどなぁ……」
「この、たわけ者が……」
エラゼルは呆れ気味に溜め息をついた。
「レガードの借りもある。さっさと片付けるぞ」
「はいはい」
ラーソルバールはエラゼルと共闘できることが、少し嬉しかった。
剣を交えることはあったが、共に肩を並べることは無かった。
騎士になったら……、そんな淡い希望を持ってはいたが、それがこんなに早く来るとは思わなかった。
「小娘が二人になったところで、何ができようか」
多数の者に姿を晒した時点で、暗殺者としては失格かもしれない。
小娘にただしてやられただけでは、暗殺者としても武人としても面目が立たない。
だが、この二人を仕留めてしまえば、多少なりとも汚名は雪げる。
両の手に小剣を握り、小娘どもを全力で殺す。終われば動けぬ者は打ち捨てて帰り、再度標的を狙うまで、と覚悟を決めた。
「エラゼル・オシ・デラネトゥス、参る!」
先に動いたのはエラゼルだった。
弧を描く一閃を、暗殺者のは左の剣で受け、反撃を試みる。
だが、右からラーソルバールの横薙ぎが襲い掛かったため、剣を払い退けて一歩後退した。
今度は逆に暗殺者が二本の剣を駆使して、ラーソルバールに攻撃を仕掛ける。
だが、防御に徹するラーソルバールは、全てを剣で捌き有効打を与えない。
攻撃を繰り出すその横から、エラゼルが剣を突き出すと、暗殺者は慌てて飛び退った。
「ねえ、エラゼル…さっきから思ってたんだけどさ…」
「何だ?」
「ドレスって動きにくいよね……」
真顔でラーソルバールは言ったのだが、エラゼルには余程可笑しかったようで、珍しく笑い顔を見せた。
「この状況で、今更よくそんな冗談が言えるな……」
相手から視線を逸らさず、笑いながら答える。
その様子をちらりと横目で見て、ラーソルバールは嬉しそうな顔をした。
「もうね、全然動けないんだよ……っと」
今度はラーソルバールが先に仕掛ける。
踊るように数回、突きを繰り出し、足を止める。
「この程度で、どうにかなるとでも…」
暗殺者が攻撃を避けつつ、強がる。
「ぐっ……!」
その瞬間、暗殺者の脇腹をエラゼルの剣が深く捉えた。
衝撃と痛みにバランスをを崩しながらも、暗殺者は跳躍しベランダの柵に乗った。
ラーソルバールは正攻法でも何とかなるかとは思ったが、過剰な自信は危険だと判断した。
相手が戦士や騎士であれば、真っ向勝負でも良いかもしれないが、手の内が分からない相手には安全策をとる必要がある。エラゼルとの連携が最善だと考え、彼女もそれに即座に対応してみせた。
初めての割には結構いけるものだと感心し、結果に安堵する。
「さて、その傷では自慢の暗殺術もままなるまい。大人しく観念せよ」
エラゼルの勧告をあざ笑うかのように、暗殺者は小剣を投げつける。
その意図を理解しながら、エラゼルは難なくそれを払いのけた。
「阿呆が一人先走らねば、このようにならずに済んだものを。口惜しいな……」
男は捨て台詞を残し、柵から飛び降りた。
すぐさま後を追うように、腕を負傷した男が飛び降りる。
急いで柵に駆け寄り、庭をを見下ろしたラーソルバールだったが、男達の姿は既に消えていた。
暗闇の中に消えた男達は、いつか復讐にやってくるかもしれない。
だがその様子を見ても、エラゼルは後を追うよう指示は出さなかった。
「ラーソルバール・ミルエルシ。姉上の命を救い、奮戦してくれた事を感謝する」
エラゼルは宿敵に頭を下げた。
個人の感情よりも、大事なものがある。それを理解していた。
「いいえ、怪我人を出してしまったのは私のミスです。申し訳ありませんでした」
ラーソルバールも頭を下げた。
エラゼルも何も言わず頷き、それを受け止めた。
「レガードにすぐに毒消しを。暗殺者共の懐にあるはずだ急いで探せ!」
即座に暗殺者の捕縛と、怪我人の手当て、会場への対応指示をして、エラゼルは主役に戻った。
少し返り血を浴びた純白のドレスが、彼女にとっての勲章だったかもしれない。
こうして気絶している二人と、首の傷により恐らく死んでいるだろう一人、計三人の暗殺者を残して、襲撃事件は幕を閉じた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!