聖と魔の名を持つ者

~剣を手にした少女は、やがて国を守る最強の騎士となる/ラーソルバール・ミルエルシ物語~
草沢一臨
草沢一臨

(二)エラゼルの姉

公開日時: 2020年11月30日(月) 20:19
更新日時: 2020年11月30日(月) 20:26
文字数:3,897

 誕生会もしばらくすると、会場が酒臭くなってきた。まだ飲酒をする年ではないラーソルバールには少々辛い。

 気分が悪くなる前に、伯爵に伝えてから、バルコニーへと逃げる事にした。

 外に出ると、夜風が心地良く、気分転換には最適だった。

 少し暗いが、人気も無いようで、空気も澄んでいる。

「んーっ!」

 体を伸ばして大きく息を吸う。

「ふふふっ…」

 笑い声が聞こえたので振り向くと、少し離れた所に先客が居たようだった。

「可愛いお客様ね。エラゼルのお友達?」

 ゆらりと動いた人影は、室内の明かりに照らされ、輪郭を現した。

 エラゼルに似た風貌の、若い女性だった。

「まあ、そのようなものです」

「あら、微妙な言い回し。まあエラゼルの事だからしょうがないわね」

 口元を扇子で隠すようにして笑う。

「申し遅れました。私はラーソルバール・ミルエルシという者です」

 礼を失することの無いよう、丁寧に優雅にと心掛けてお辞儀をする。

「ああ、あなたがラーソルバールさんなのね。私はイリアナ。エラゼルの上の姉よ」

 その姿から想像できる範囲の答えだった。

「私の事をご存知なのですか?」

「お名前だけね。エラゼルの口から何度も出てきた事があるから。確かに『お友達』という雰囲気ではなかったようだけど……。あの子が他の子の話をするなんて珍しいから」

 イリアナは愉快そうに笑った。

 エラゼルが何を話していたのか、ラーソルバールとしては気になるが、怖くてとても聞けない。

「それでお父様が気を回して、今日ご招待したのかしら。それともエラゼル本人かしら?」

「どちらなんでしょう?」

 予想結果を何となく聞けそうなので、期待せずに聞いてみる。

「さあ、私は何も聞いてないから」

 あからさまにがっかりするラーソルバールを、イリアナは楽しそうに見ている。

 からかわれているのだろうか。

「あなたは面白いわね。そうそう、面白いと言えば…、一番面白かったのはね、エラゼルの事なんだけど……、聞いてくれる?」

「は…い」

 お淑やかな女性に、圧されるというのは初めての経験だった。

 物腰の穏やかな、柔らかい雰囲気の女性だが、案外押しが強いのかもしれない。

 エラゼルの姉というが、妹とは全然違うように感じる。

「あのね、あの子、騎士学校に推薦で合格したんだけど、本人は興味が無かったみたいで、入学式も行かなかったのよ。でも、入学試験がどうとかで、貴女が居るらしいと聞いた途端に、やっぱり行くって言い出して荷造り始めて……終いには『宿敵め、待っていなさい』とか呟いていたの。あれにはお父様も苦笑いしてたわ」

「私って彼女の宿敵なんですか?」

「そうみたいよ」

 けろっとして言う、イリアナの底抜けな天真さに何も返す言葉がなかった。

「まあ、貴女は妹にとっての活力源みたいなものなのかしら」

「いい方向性じゃないですよね」

「そうかしら?」

 飾らずに話すイリアナに、どこか乗せられるように普段と変わらぬ話し方をしてしまっている事に、ラーソルバールは気付いた。

「あ……、色々と無礼な発言をお許しください」

「いいのいいの。会場の中が面倒で出てきちゃったんだけど、退屈していたところだったから、もう少し付き合って頂戴」

 断りにくい笑顔を向けられ、引くに引けなくなってしまった。


「では、食べ物と、飲み物を持って参ります」

「あら、悪いわね」

 ラーソルバールがその場を離れようと、三歩ほど歩いた時だった。

「…?」

 視界の端が一瞬ぶれた。

 その瞬間、殺気を感じて鳥肌が立った。

「イリアナ様、右へ!」

 叫ぶと同時に、赤いドレスが舞った。

 ゴツッという鈍い音がした次の瞬間、何かがイリアナの橫を抜け、バルコニーの柵に激突した。

「何です?」

 イリアナが驚き、声を上げる。

 激突音のした辺りの空間がぼやけ、黒い服の侵入者が姿を現した。

 ラーソルバールの蹴りをくらい、吹っ飛ばされたのだった。

「ぐ……」

 呻きながら立ち上がる侵入者の手には、小剣ショートソードが握られている。

 顔を隠して、全身を闇に紛れ込ませるように黒い服で包んでいる。

暗殺者アサシンか?」

 咄嗟の飛び蹴りで先制攻撃を加えたが、ラーソルバールは素手。

 魔法の詠唱時間も与えられるはずもなく、イリアナを守らなければならない。この不利な状況で戦うというのは命懸けだった。


 この暗殺者を会場に入れてしまえば、混乱で会は台無しなるだけでなく、不特定多数が危険に晒されるうえ、人混みで戦うことすらままならなくなってしまう。

 バルコニーに足止めして、対処しなければいけない。

 そして、暗殺者の標的は誰か。恐らくはイリアナだ。

 相手と対峙したまま、ジリジリと動き、イリアナと暗殺者の間に入り込む。

「イリアナ様! あれを会場に入れる訳にはいきません。ですから……」

「標的はここに居ろということね。了解したわ」

「申し訳ありません」

 顔色ひとつ変えずに言ってのけるあたりは、さすが公爵家の令嬢といったところだろう。

「ただ、私が倒れそうになったら、即座にお逃げください。何としても足止めしますから」

「あら、貴女は倒れないわ。だって、エラゼルより強いんでしょ」

 イリアナは余裕の笑みを浮かべた。

 まず先に暗殺者が動いた。小剣を構え、標的の前に立ち塞がる邪魔者の排除を優先する。

 暗殺者の白刃が閃く。

 赤いドレスを踊らせながら、ラーソルバールは腕や体を使って暗殺者の剣を近付けさせない。間を取らせて様子を伺う。

 とはいえ、剣を持っていないので思うように相手の剣を捌くことが出来ない。剣技の動きを利用して動いて居るが、できる事には限界がある。更に、相手に対して有効な攻撃手段が無いのが問題だった。

 隙を見せて相手を誘うか。だが、下手をすれば背後のイリアナを危険に晒すことになる。ラーソルバールは迷っていた。その僅かな迷いを見透かしたか、ラーソルバールが行動に移る前に暗殺者が動いた。

 剣を捌かれる事に苛立っていた暗殺者は、少し勢いをつけて煩わしい小娘を切り捨てようと、振りかぶった。

 次の瞬間、ラーソルバールは暗殺者の剣を持つ腕を左肘で止めると、右の掌底で顎を弾き上げる。衝撃に相手がよろめいて一歩下がったところへ、駄目押しのように前蹴りを腹部に叩き込んだ。

 暗殺者は再び柵に激突し、大きな音を立てた。が、楽隊の音楽と賑やかな会話に紛れて、会場でこの音に気付く者は居ない。

 ラーソルバールは隙を見せぬよう、転がってきた暗殺者の小剣を拾い上げた。

 手持ちを失った暗殺者は、腰にあった予備の剣を抜き、左手に短剣ダガーを持つ。

 そして視点を切り替えた。

(イリアナ様に狙いを変えた)

 暗殺者の一瞬の目の動きを読んで、ラーソルバールは悟った。

 厄介な娘に時間をとられるより、標的を始末する方が早い。暗殺者がそう考えたのも、無理からぬ事だった。

 それならば彼女を守るように戦えばいい。だが、ラーソルバールには気になる事が有った。

 本当に敵は一人なのか。

 目の前の敵に集中しすぎては危険だと、勘が激しく警鐘を鳴らす。

(どこだ、どこから来る?)


 立ち上がった暗殺者は、俊敏な動きでイリアナに迫った。だが、ラーソルバールがそれを許さず、暗殺者の剣を即座に弾く。

「小娘!」

 更に左手の短剣が伸びるが、それを反射的に蹴り上げる。

「足癖の悪い奴め」

 暗殺者は忌々しそうに、吐き捨てように苛立ちをぶつけた。

 相対するラーソルバールは、暗殺者を睨み、その場に射すくめる。

「イリアナ様、念のため、警備の方を呼んでください。嫌な予感がします」

「あら、貴女の素敵な姿をもう少し見ていようと思ったのに」

 冗談とも本気ともつかぬ台詞に、ラーソルバールは苦笑した。

「会を壊したくなかったのですが……申し訳ありません」

「気にしないで……あの子も分かってくれるわ」

 イリアナは優しい言葉をかけると、表情を引き締めた。

「レガード! バスティオ! 聞こえていたら居たら急いでバルコニーへ!」

 良く通る美しい声だった。会場にも聞こえる声に、皆が静まりかえる。

「悪いけど、あなたの相手をしている場合じゃない……」

 ラーソルバールは剣を握り直すと、一瞬で暗殺者との差を詰める。反応が遅れた暗殺者の剣を瞬時に叩き落とすと、そのまま首筋を柄で強く打ち据え気絶させた。


「何だ、余興か?」

 バルコニーの様子を見た、招待客の一部がざわつき始める。

「イリアナ様、お呼びですか」

 警備の者達が駆けつける。

「侵入者です、ここに倒れている男を……」

 イリアナが指示を出そうとした瞬間、ラーソルバールが声を上げた。

「来ます! イリアナ様は急いで室内へ、警備の方はイリアナ様をお願いします。あと、侵入者が室内に入らぬよう……」

 ラーソルバールの言葉が終わらぬうちに、バルコニーを風が抜けた。

「……!」

 突如、イリアナの背後に何者かが現れた。

「頂いた!」

 警備の者たちも反応が追い付かず、剣を抜けていない。その様を嘲笑いながら、侵入者がイリアナに剣を振り下ろす。

 刹那、白刃が煌めき、鮮血がほとばしった。

「ぐぁぁ……!」

 腕を切りつけられ、侵入者は悲鳴を上げた。

 赤いドレスが空気を孕んでふわりと、揺れる。そして直後にくるりと回転して、止まった。

「ぐ……」

 悶絶するような呻き声がして、黒い塊が倒れた。

「何者だ、小娘!」

 切られた腕を押さえつつ、後退する侵入者。やや動揺する素振りを見せたが、即座にそれをかき消すと、剣を握りなおす。

 ラーソルバールは相手を睨み付け、周囲の気配を探る。迂闊に動く事はできない。

「あらまあ、私のために三人も?」

 やってきた警護に守られて、バルコニーから引き上げながら、とぼけたようにイリアナが笑った。

「いいや……」

 侵入者の口許に笑みが浮かぶ。

「五人です……、イリアナ様」

「えっ!」

 ラーソルバールの顔に笑みは無かった。


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