「さあさ、お楽しみの前に昼飯だよ!」
ジャハネートが手を叩いて食事を要求した。それに合わせて、学校の食堂で作られた特別メニューが運ばれてくる。
会場も、決勝戦前に昼食の時間となる。寮の食堂に戻る者も居れば、屋台の食べ物を購入する者もいる。
賑わう会場には、生徒達の父母も混じっていた。
わが子の試合を終えても、大会の雰囲気を楽しみに来ている者も多い。事前に申請して、許可が下りれば、一般人も会場に入る事ができる。但し、身分証明の提示など、かなり厳格な審査が行われるのが慣例となっており「狭き食道楽の門」と揶揄される事もある。
「今年は赤と白の対決ですか」
にこやかに会場の様子を眺めていた軍務大臣のナスタークが、ようやく言葉を発した。
管轄部署の大会であるだけに、必ず来賓として招かれているのだが、同室に居たジャハネートでさえ、その存在を忘れていた。
「赤と白とは何ですか?」
サンドワーズが口を開いた。
大臣が楽しそうにしている理由も良く分からず、気になったようだ。
「いや、ひとり言です。気にしないでください」
そう言って大臣が笑ったので、サンドワーズは首を傾げるしかなかった。
「ラーソルバール……」
ふらふらと、フォルテシアがやって来た。その姿を見て、ラーソルバールはほっとしたような顔をする。
「大丈夫?」
「まだ……ちょっと頭がくらくらする……」
「ちょっとここに座ってて。食べ物持ってくるから。エラゼルは?」
ちらりと対戦相手を見やる。
「私はいい、気にするな!」
予想通りの答えが返ってきた。
「ん。じゃあ、フォルテシアを見ていてあげて」
ラーソルバールは小さな袋を手に、屋台へと駆け出していった。
(そういえば、アル兄やエフィ姉はどうなったのかな)
二年生の会場は隣だが、フォルテシアも心配なので早く戻りたかった。
狙っていた店が、偶然行列が途切れたところだったので、慌てて店に駆け寄ると、お目当ての商品を三つとお茶を注文した。
「貴女はラーソルバールが嫌いなのか?」
フォルテシアらしくなく、自ら口を開いた。
「ん? 私に聞いているのか?」
「他に…誰もいない」
「……ふむ。答える義理は無いが……。好きとか嫌いとかいう話では無い。恩も有るしな。ただ、倒すべき相手、というだけだ」
きまりが悪いのか、エラゼルは空を見上げた。
「倒したらどうする? 倒せなかったらどうする?」
「さあ……。その後考える」
「フフ……貴女は嘘をつくのが下手……」
フォルテシアは笑った。接点の少ない相手に笑う姿など、シェラが居たらあまりの珍しさに驚いた事だろう。
「私は嘘などついておらぬ」
「じゃあ、自分に嘘をついてる?」
フォルテシアは首を傾げた。
「自分に……?」
エラゼルはそう言うと、口をつぐんだ。
そこへ、ラーソルバールが腕に色々と抱えて戻ってきた。
「はい、フォルテシア、お茶とって。こぼさないようにね」
そう言って椅子に置いたトレーの上から、コップを取って渡す。
「はい、エラゼルも」
「な……?」
差し出されたコップに戸惑うエラゼル。
「私はいいと言った!」
「もう、三つ買っちゃったから文句言ってないで。毒なんか入ってないし」
更に抵抗しようとするエラゼルに無理矢理渡す。ついでとばかりに、大きな葉に包まれた物体も渡す。
「食べたかったやつなの。付き合って」
フォルテシアにも渡しつつ、自分も葉の包みを開く。中には、野菜と肉を挟んだパンが入っていた。
「いや、だから……」
「文句を言わない……」
エラゼルの言葉を制して無理やり手渡すと、自身は大きな口を開けてパンにかぶりつく。しばらく咀嚼してから飲み込むと、ラーソルバールは笑顔を浮かべた。
「美味しい!」
喜ぶラーソルバールの横で、フォルテシアは黙々と食べ続けている。
その様子を見たエラゼルは、仕方なく自身も包みを開いて噛みついた。
「……!」
パンを口の中に入れた次の瞬間には、エラゼルの目はキラキラと輝いていた。
三人が軽食を食べ終わる頃、周囲にも人が戻り始めていた。
二人の決勝戦は、もう少し後、二年生の準決勝が終わってからの予定となっている。
アルディスと、エフィアナの事が気になっているので、隣の会場に行って観戦しても良いのだが、人ごみで戻ってくるのも大変そうなので、動く気になれない。
一年生の決勝戦後に、二年生の決勝戦が行われる事になっているので、結果はその時になれば分かるだろうと思っている。
食堂から戻ってきた生徒に混じっていたシェラが、フォルテシアを見つけ、凄い勢いで駆け寄ってきた。
「フォルテシア、大丈夫だった?」
シェラも試合後に担架で運ばれるフォルテシアを見て、臨時救護室まで行こうとしたそうなのだが、人ごみが邪魔で動けなかったらしい。
慌てて駆け寄るラーソルバールの姿を観覧席から見て、任せようと思ったとシェラは語った。
そこまで話したところで、すぐ近くに座っているエラゼルに気付き、シェラは軽く頭を下げる。
そして、フォルテシアの腕を軽く掴んだ。
「フォルテシア、戻るよ」
「あ、フォルテシアは安静にって言われてるから、無理させないでね」
ラーソルバールは、フォルテシアを連れて行こうとするシェラに呼びかける。
シェラはそれに頷くと、ふと何かを思い出したように止まった。
「あ、そうそう、アルディスさんもエフィアナさんも勝ち残ってるみたいだよ。えーとあと、マデ……なんとかさん、もうアルディスさんに負けちゃったみたいだよ」
シェラの言葉を聞いて、ラーソルバールは安心したように笑顔を見せた。
「また、あとでね」
シェラは手を振ると、フォルテシアと共に人ごみに消えていった。
「……思い出した。報告がある」
シェラ達が居なくなって間もなく、二人になった気まずさもあるのだろうか、エラゼルが沈黙を破った。
「昨日、家の者に聞いたのだが、姉上を暗殺するよう指示した者が、捕縛されたのだそうだ。」
誕生会の一件に関する話だった。イリアナの顔が頭に浮かんだ。
「良かったね、これでちょっとは安心できるね」
「うむ、一応な。これがどうも身勝手な恨みが原因らしくてな。相手はどこかの貴族の御曹司で、何処かの社交界で、姉上に一目惚れしたらしい。だが、見向きもされずに軽くあしらわれたと感じたので、殺そうと思ったというのだ」
迷惑な話だ。とはいえ、犯人捜しは、どうやってその相手に辿り着いたのだろうか。
「姉上の所に送られてきた先方からの手紙が、何通か未開封で残っていてな。中に脅迫めいたものが有ったらしい」
疑問に思ったところで、丁度エラゼルの口から聞くことができた。
「で、調べてみたら…ということか……」
「そういうことだ。でな、悪い話も有って、例の暗殺者どもの行方は掴めておらぬそうだ。捕まえた連中も口が固くてな」
「まあ、狙われるときは二人一緒だよ」
ラーソルバールは意地悪く笑って見せる。
「致し方ない」
エラゼルは大きく溜め息をついた。
直後に隣の会場で大歓声が上がる。勝負がついたのだろうか。
「気になるのか?」
「まあね、兄と姉みたいな幼馴染二人が勝ち残っているらしいから」
それを聞いてエラゼルは、ふんと鼻を鳴らした。
このエラゼルの反応は何を意味するのか、良く分からない。ただ、ラーソルバールに向けられる態度には、以前のような刺々しさは無い事は分かる。
それはエラゼルはが変わったからなのか、自身が変わったからなのか、ラーソルバールには分からない。
そんな事を考えながら エラゼルを見つめる。
「さて、馴れ合いもここまでだ」
言葉と共に、エラゼルの顔から穏やかさが消えた。
エラゼルの瞳は試合場を超えて、空を見つめる。
この日を待ちわびて、どれだけ剣を振ったか。これから戦うのは自らの前にある壁。
(ようやく……)
何年も追ってきた相手との対戦を前に、想いを込めて拳を握る。
今、横を見ては駄目だ。
きっとそこには、まだ穏やかな顔をした宿敵が居るはずだ。見てしまえば決意が鈍る。
姉のために戦ってくれた恩人でもあり、数少ない対等に話せる相手でもある。
迷うな。自分がここまでやってきたことを、いま証明する。自身に言い聞かせた。
「決勝戦を始める。両名、場内へ」
いつの間にか、隣の会場の準決勝は終わったのだろうか、人がこちらの会場に戻ってきている。
審判員の呼びかけに応じ、エラゼルとラーソルバールは立ち上がり、歩き出す。
互いに顔を見合わせる事無く、試合場へと上がる。
周囲の歓声が二人を包む。盛んに名前を呼ばれるが、声が混じりあい、誰のものなのか分からない。
あまり注目される事を好まないラーソルバールと、周囲の視線があっても堂々としているエラゼル。
その様子は、歩みだけでも何となく分かるものかもしれない。
二人が試合場の中央に立ち、向かい合うと大きな拍手がそれを迎えた。
「制限時間は無い。両者、用意はいいか?」
審判員の問いに対し、二人は剣を構えて頷いた。
無駄な言葉はいらない。それは二人共良く分かっている。
一瞬、エラゼルがニヤリと笑った。
「始め!」
二人が表情を引き締めた時、審判員が試合開始を告げる。
だが開始後に二人共そのまま動こうともせず、魔法を使おうともしない。開始直後にどちらかが動くと思っていた観衆は、驚いた。
ラーソルバールは、エラゼルの力がどの程度のものか測りかねているので、様子を見ようと思っていた。逆に、エラゼルはラーソルバールを誰よりも評価しているので、安易に動こうとしなかった。
どちらも相手が先手を打ってくると思っていたため、動かなかったのだが、結果的にそのまま睨み合いの状態になってしまっていた。
「魔法ぐらい余裕で使えるくらいの時間を無駄にしてるよ」
ラーソルバールが苦笑いする。
「なら、自分で使えば良いだろう」
その言葉に応じ、エラゼルが挑発するように笑う。
エラゼル自身動きたくてうずうずしていた。自然と笑みがこぼれてくる。
待ちに待ったこの機会を、倒すべき相手を前にしたこの瞬間を、自分が楽しんでいる事を自覚した。
「ラーソルバール・ミルエルシ! さあ、正々堂々勝負だ!」
先に動いたのはエラゼルだった。大きく地面を蹴ると、弾ける様にラーソルバールへと向かった。
慌てずに、ラーソルバールは軽く構えると、エラゼルの動きを目で追う。
エラゼルは直進すると見せかけて、ラーソルバールの直前で横にステップを踏んで方向を変えた。直後に折り返すような形で差を詰めると、低い体勢から水平に薙ぎ払うように剣を出す。
ラーソルバールはその剣を受け止めると、上へと弾き上げる。
そのままエラゼルの横に回りこみ、やり返すように横薙ぎの攻撃をする。
「小賢しい!」
そう叫びながら、反対へと跳んでそれを避けた。
僅かにできた二人の距離も、ラーソルバールが追いかけるように詰め、再度素早い切り返しの攻撃を入れる。
それを、エラゼルが辛うじて剣で受け止めると、観衆から大歓声が巻き起こった。
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