暦では一年、つまり恒星を周回するのにかかる日数は三百六十日となっている。
空に浮かぶ『月』は二つ。大きい月と小さい月が、互いに軌道を重ねることなく、周回している。大きい月の周期である三十六日を一ヶ月と定め、十ヶ月で一年としている。
その暦で八月も終わり、四月から始まった学校生活も半年を過ぎた。学校の授業内容も変わり、ついていけない者は退学した。成績もの良し悪しも、ある程度固まってきている。
気持ちを入れ換えてもう一度、頑張ろうと思っていた。そんな中、成績以外でラーソルバールを悩ませる出来事が起きた。
デラネトゥス家から、郵便物が届いたのだ。
最初に、寮の部屋に届けられた郵便物の差出人を確認して驚いた。元々、デラネトゥス家からの郵便物など、受け取る覚えも無かったので、間違いではないかとも思ったが、確かに宛名には自分の名前が書かれている。
恐る恐る開封したのだが、その中身を読んだ瞬間、ラーソルバールは絶句した。
入っていたのは、三女エラゼルの誕生祝いの招待状だったのだ。
「どうしろと……」
エラゼルにとって、学友というものの存在が、どういうものか分からないし、ましてや彼女にとっての自分の位置付けが分からない。はて、お愛想だろうか、嫌がらせだろうか、本気だろうか。彼女の性格からして、恐らく嫌がらせではない。
これは顔を出すだけで良いのだろうか。いや、そもそもこのような場に顔を出しただけで済むのだろうか。
ミルエルシ家のような下級貴族とは違い、公爵家からのお誘いである。失礼が有ってはならない。そう考えると冷や汗が止まらない。
「ん、父上に相談してどうにかなる問題じゃないし……あ、でも話はしておかないと」
動揺しすぎて考えがまとまらない。
「フェスバルハ伯爵に…相談してみようか…」
そう思ったが、これ以上フェスバルハ伯爵家には迷惑をかけられない。
「そうだ、ガイザの所、ドーンウィル伯爵家には招待状が来てるかも」
思い付いたら男子寮へ急ぐ。藁をもすがる気持ちだ。
足を踏み入れた事の無い場所だけに、若干の躊躇はある。だが今は迷っている暇はない。
「確か一号棟の一階、六号室だっけ」
独り言で確認しながら一号棟の前へ。寮母に面会の申請をしてから中へ入る。
女子寮と建物の作りに大した違いはないが、やはり初の男子寮だけに緊張し、変な汗が出る。
時折すれ違う男子生徒に振り向かれる。ラーソルバール自身、外見はかなりの美しい方なので、年頃の少年にはさぞ魅力的な存在に見える事だろう。
実際に誰とはと知らずに、その姿に見とれる者も居た。制服を着て剣を持っていれば、佇まいで気付く者もいたかもしれない。
「ガイザ居る?」
周囲に聞こえないように、小声で呼び掛けながら六号室の扉を叩く。
「え?」
扉を開けたガイザは驚いた。
女子生徒が居るはずの無い寮内に、ラーソルバールが居たのである。
「ガイザ、相談……というか」
普段見せることの無い、しおらしげな姿に、ガイザは戸惑った。
「何?」
ガイザは部屋に入るよう促す。
ため息をつきながら、ラーソルバールは部屋に入った。
「実は……」
椅子に腰かけたところで、デラネトゥス家からの招待状を見せ、隠さず正直に話すことにした。
「はぁ? 招待状?」
ガイザは驚いて素頓狂な声を上げた。
「休日の朝っぱらから何を言ってるんだよ」
「いや、本当の話だってば……」
あまりに突拍子もない話だけに、冗談に聞こえたのだろうか。
「多分、うちには来てないし、来ないと思うな。何でまたラーソルに……って、ああ、エラゼル嬢本人からの誘いか」
ラーソルバールの困ったような顔を見て、思わず笑ってしまった。
「他に考えられないでしょ。ガイザの家は伯爵家だから、そういうの無しで招待状来るんじゃないの?」
「そんあ事あるかよ。デラネトゥス家といえば、招待客は厳選されるので有名なんだよ。伯爵家でも招待されるだけで名誉な事なんだ」
ガイザの鼻息が荒い。
「エラゼル自身の友人枠と言っても、彼女は友人を作るような人じゃないしなあ…」
幼年学校時代と変わらない態度で他人と接する姿を見ていると、友人を作る気は無いのだろうとさえ思える。
「だから、お前なんだろ」
「えー」
眉をしかめる。
「あからさまに嫌そうな顔するなよ」
「だって公爵家だよ、エラゼル本人がどうとかじゃなくて、私が居たら場違いでしょ」
「彼女だって建前上、友人が要るだろ。助けてやると思ってさ」
他人事だけに気楽に言ってのける。
「余所だったら取り巻き連中が居るんだから、別に男爵家の娘が友人として居たっておかしくないだろ」
正論なだけに、ラーソルバールも言い返せない。
自分は取巻きではないと言いたいところだが、問題はそこではない。
「行かないで済ませる方法、ある?」
「病気、怪我。それ例外は無いな。行かなきゃ失礼に当たるし、親にも迷惑がかかる。そういや親同伴とか書いてあったか?」
「本人のみで良いと……」
行かずに済ませる方法が無いと聞き、ため息が出た。
シェラと違って、ラーソルバールには他の貴族に関する、知識も面識も無い。行ったところで、笑顔で挨拶して切り抜ける事しか出来ないだろう。
「いい経験だと思って行ってきな」
「薄情者め…」
愉快そうに笑うガイザに、恨み言をぶつけたところで事態は変わらない。
「ちょっとは参考になったよ。ありがとう」
気落ちしながら部屋を出ると、自室に向かってとぼとぼと歩く。
エラゼル自身を問い詰めることが出来れば楽なのだろうが、そうも行かない。
「仕方ない。父上の所へ報告に行こうか」
一旦、寮へ戻ると、支度を整えて自宅へ向かう事にした。
天気は良いが、気分良くという訳にはいかない。重い足どりでも、寮からさして時間もかからず家に到着した。合鍵で扉を開けると、中から話し声が聞こえてきた。
父と女性の声だ。手伝いのマーサのものではない。しかし聞き覚えが有る声だ。
「エレノールさん!」
急いで家の中へ駆け込むと、そこには予想した通りの声の主が居た。
「騒々しい。いい年した娘がはしたない」
「はーい、すみません」
大して反省した様子も無く、客人に駆け寄る。
「ラーソルバールお嬢様。お久しぶりです。とは言え、こんなに早くお会いできるとは思っていませんでしたよ」
フェスバルハ家のメイドは嬉しそうにラーソルバールを迎えた。
「エレノールさんはどうしてここに?」
「陛下からの褒賞金を頂いたので、ミルエルシ家の分を持って参りました」
エレノールの鼻息は少し荒い。
気合いを入れてやってきたから、ではなく、ラーソルバールに会えた事が単純に嬉しいのかもしれない。
「これは受け取れないからお持ち帰りを、とお断りしていたところなんだ」
「伯爵様から『陛下のご意向だと思って受け取って欲しい』という伝言ですので」
エレノールに引き下がる様子はない。
「そう言われると弱いですね…」
父は引き下がり、渋々受け取る。
ほっとしたような表情を浮かべると、エレノールはラーソルバールの顔を見た。
「どうされました? 何かありましたか」
違和感に気付いたようで、首をかしげる。
「んー、ちょっと…」
「言いづらい事でしたら、私は外しますが……と言うより、用が済んだので帰りますが」
「ああ、エレノールさんが居てくれた方がいいです!」
ラーソルバールは慌ててエレノールを引き留める。
エレノールを再度椅子に座らせると、自身は立ったまま鞄から封書を取り出した。
「父上、私こんな物を頂いちゃいまして……」
そう言ながら招待状を差し出す。
手に取って眺める父と、横から覗き込むエレノール。
「はぁ?」
二人が同時に大きな声を上げた。
驚いて娘を見上げる父の手は、若干震えている。
「お前、デラネトゥス家の御令嬢と仲が良かったのか?」
「知ってるだけだよ、仲がいい訳じゃない…」
「あそこの三女は、真面目で気難しく、人付き合いをしない事で知られています」
エレノールも困惑している様子だが、しっかりと持っている情報を挟んでくる辺りは流石である。
「当然、出席なさるんですよね?」
「いやいや、そこを悩んでいるんです。彼女は私の事を敵視……というか、凄く微妙な関係なんですよ…。それに向こうは公爵家だし、どうにかならないかと思ってまして」
嘘偽りなく話すのは、エレノールを信頼しているからだ。彼女にならば、適切な助言を貰える気がしたからでもある。
「会を催す以上、他の方々の目もあります。悪し様にするような相手を呼んだとあっては、公爵家の評判にも関わります。安心して出席なさるとよろしいです」
横で父はただ頷いている。
娘の自主性を尊重してくれているのは分かるが、放任なのか放置なのか、時々分からなくなる。
とりあえず、ミルエルシ家としてどうすべきかは、示して欲しい。だが、そこは権力とは無縁の人。良い案など無いようだった。
「お嬢様は贈答品を何になさいますか?」
出席を前提とした質問に、ラーソルバールは半ば諦めた。
「考えて無かったんだけど、私は彼女から誕生祝いにスカーフを貰ったんです」
鞄から美しい絹のスカーフを取り出し、二人を絶句させた。
見事な染色と、斑の無い織り。安いものではない事は、すぐに分かる。
「……では、それに見合う物を探すという事で宜しいですか?」
「見合う物って言われても、そんなお金…」
何かを買うにしても貰った物に見合う物など買える余裕は無い。
ラーソルバールの顔が曇った。
「ここに有るじゃないか」
父は受け取ったばかりの、褒賞金が入った袋をポンポンと叩いた。
どの程度の金額が入っているか分からないが、恐らく目的の物を買っても余るに違い無い。
エレノールはふんふんと頷くと、ラーソルバールの手を取った。
「さあ、探しに参りましょう」
「え、今? エレノールさん戻らなくてもいいの?」
ラーソルバールは驚いて聞き返した。
先程、帰ると言っていたはずだ。
「何の事です? お嬢様は今日は休日なのですよね」
「え、あ、そうですけど…」
勢いに押される。ラーソルバールは伯爵邸に居た時の事を思い出し、思わず笑ってしまった。
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