誕生会の会場は平穏さを取り戻した。
衆目を引きつけた暗殺者達との戦いについては、デラネトゥス公爵から正式に謝罪が行われた。
「本日、皆様をお招きしておきながら、このような事態になりました事、誠に申し訳ありませんでした。皆様にお怪我が無かった事で、何より安堵いたしております」
公爵は深々と頭を下げた。
貴族には、他者に頭を下げる事をよしとしない者も多い。
公爵のこの行為は、意図したものでは無いだろうが、結果的に招待客らからの評価を高める事になった。
「暗殺者はイリアナを狙ったものと推察されます。これはイリアナおよび、デラネトゥス家の不徳の致すところであります。また首謀者の特定および逮捕を、憲兵官に依頼いたします」
デラネトゥス伯爵の横には、イリアナとエラゼルの姿がある。
二人は至って平静であり、事件など無かったかのように見せている。
ただ、エラゼルのドレスに付着した返り血だけが、事件を現実のものと証明していた。
ちなみに次女であるルベーゼは病ということで、この会に出席していない。
「本日、イリアナの危機を救ってくれたお客様がいらっしゃいますが、ご本人の希望によりご紹介できません。また、その方から、今回の一件は当家の警護の者が対応した事にして欲しいとのご依頼を受けております。皆様におかれましては、是非そのようにご記憶下さいますよう、御願い致します」
少し前に戻る。
ラーソルバールとエラゼルが会場に引き上げてくると、会場は大歓声で二人を向かえた。
白いドレスの少し後ろに揺れる赤いドレス。衆目から避けるようにラーソルバールは、エラゼルの背後を歩く。
皆、エラゼルに遠慮してか道をあけ、寄って来る者は居ない。
「良いのか? 今回の件が公になれば、国内の多くの者がラーソルバール・ミルエルシという名を知る事になる。英雄のような扱いを受けることも有るだろうに」
「そんなの面倒なだけだし、余計な揉め事に巻き込まれそうで嫌だ。それに暗殺者に知られると……」
「知られると? 命を狙われ……」
エラゼルは、はたと足を止め、慌てて振り返った。
「うん」
口を開けて焦るエラゼルを見て、ラーソルバールは頷いた。
「思い切り、名を呼んだな……」
「ついでにエラゼルも名乗ったよね」
「すまん…」
ガックリと肩を落とすエラゼルを見て、ラーソルバールは吹き出した。
今日は、普段見られないエラゼルの姿が色々と見られた。不思議な一日になったものだと振り返った。
幸い、青年レガードは暗殺者が所持していた毒消しで、事なきを得た。
また、邸内の警備についていた者達に、死傷者は無かった。誰もが、姿を消した暗殺者達の存在に気付かなかった事が結果的に幸いしたといえる。
ただ、今後は暗殺者の侵入を検知できるよう、訓練もしくは人員の入れ替えが発生する可能性は大いにあるだろう。
「まあ、イリアナ様が無事で良かった」
「そうだな。それは感謝してもしきれぬ。父上にも色々と言い含んでおくから、安心していい」
初めてエラゼルがラーソルバールに優しい笑顔を向けた。
「それでは、皆様、ご歓談をお続け下さい。後程、ダンスの時間も予定しておりますので、ごゆるりとお楽しみ下さい」
デラネトゥス公爵が挨拶を終えると、会場から拍手が沸き起こった。
フェスバルハ伯爵のもとに戻ってきたラーソルバールにも、暖かい拍手が送られていた。
きまりが悪そうに、ラーソルバールは頭を下げてそれに応える。
「まあ、何と言うか。今更驚く事ではないか」
呆れたように伯爵は笑った。何とも、驚かされ慣れてきたような気がしないでもない。
良いのか悪いのか、と自問した。
「しかし、エラゼル嬢は返り血を浴びたドレスで会を続ける気なのか?」
伯爵は壇から降りる公爵家の三人を眺めつつ、ラーソルバールに問いかけた。
「もうすぐ衣装変えのタイミングだから、このままでいいって言ってました」
「ふむ。変わった娘さんだな。………目の前の娘さんも大概だが」
「一緒にしたら、向こうが嫌がりますよ」
ラーソルバールは苦笑した。
「で、真っ赤なドレスだから分かりにくいかも知れないが、返り血はついてないのかね?」
「多分大丈夫です」
ドレスの端をつまんで、軽く眺める。
「あれだけの事をして、ドレスが無事だというのはどういうことなんだか」
「慣れない靴で色々と無理したもので足が痛いし、ドレスも動きにくいし、中身の方は散々ですよ」
頬を膨らませ、文句を言ってみる。
「そりゃあ、ドレスやそれに合わせる靴は着飾るものであって、動くと言ってもダンスくらいだ。戦うようにはできていないからな。私に言われても困る。文句があるなら選んだエレノールに言ってくれ」
「あぅ、それは無理です……」
言えば「動きやすくて美しい服を探しに参りましょう」などと良い口実を与え、連れ回されるに決まっている。
挙句、着せ替えて楽しむ魂胆だろうから、迂闊な事はできない。
「見たぞ、ラーソルバール」
グリュエルが首を突っ込んできた。
武芸好きの虫が黙っていなかったのだろう。
「不謹慎かもしれないが、実に面白……いや、興味深かった。確かにあれなら盗賊の相手など楽なものだろうな。今度手合わ……」
「こういう武芸馬鹿は放っておいてだな。あまり無茶をするなよ。肝が冷えた」
「まあ、なりゆきで……」
対照的な二人に詰め寄られて、さすがのラーソルバールもたじたじになった。
その後も無事に会は進んだが、皆が気を使ってか、ラーソルバールに近寄って来る気配はない。
近くに居る人々や通りがかる人が時折、チラチラと様子を伺う。
真っ赤なドレスが目立つという訳ではないが、しっかりとラーソルバールを認識しているのは間違いない。
「ダンスになったらお誘いが山のようにくるかもしれないぞ」
アントワールが冗談めかしながら笑った。
「それは面倒で嫌ですが、我々のような世代の人それほど多くないですよ」
「いや、少し年上でも、何かと接触しておこうという連中がいると思う」
ラーソルバールは渋い顔をする。
「嫌なら、殿下とでも踊ってるといい」
「不敬ですよ、アントワール様」
どちらにしても面倒だ。エラゼルに頼んで、そういう接触も断るよう手を回して貰えば良かったと、真剣に思うラーソルバールだった。
しばらくして、ダンスの時間が訪れた。
様々な楽器が多数の奏者により奏でられ、先程までの雰囲気とは大きく変わった。
優雅な音楽に合わせダンスに興じる者、それを見つめるだけの者。
ダンスの得手不得手に関わらず引っ張り出される者も多く、時折和やかな笑いに包まれる。華やかな時間だった。
その雰囲気が一転する。
壇上から、王太子とエラゼルが手を取って現れた時だった。周囲が音楽を残し静寂に包まれる。
エラゼルは白を基調としたより華やかなドレスに着替え、同様の色調の衣裳に身を包んだ王太子が隣に居る。誰もが二人の姿に感嘆の声を漏らした。
「兄上ばかりがつまらん……」
ラーソルバールの背後で声がした。
慌てて振り返ると、ウォルスター王子が腕を組んで不満そうに立っていた。
(なぜここに!)
ちらりと見やった王子と目が合ってしまい、ラーソルバールは固まった。
(しまった!)
後悔したときには遅かった。
「同年代の娘が少ないのだ。諦めて一緒に踊れ。フェスバルハ伯爵、借りるぞ」
ほとんど踊った事のないラーソルバールにとって、それは何よりも避けたかったことだった。
だが王子は問答無用で手を掴み、ラーソルバールに有無を言わせない。
絶対に失敗する。手を引かれながら、ラーソルバールは冷や汗が止まらなかった。
「そう固くなるな。剣舞と思えば気が楽になるだろう?」
意地の悪い顔をして、躍りへと誘う。
「あ、いや、そういう問題では……」
踊りだけでも嫌だというのに、王子と踊るなど災厄以外の何物でもない。
ままよ、と腹をくくって、ダンススペースへ。
と思えば、嫌がらせのように既に踊り始めた王太子とエラゼルの橫へ。
(ぎゃー!)
端で良いのに、よりによって一番目立つ場所へ。冷や汗は止まるどころが滝のように出ているのではないか。ラーソルバールは顔には出せないが内心穏やかではなかった。
「どうだ、これでやる気が出るだろう?」
「逆効果です、殿下!」
「先程の主役だ。多少の事は大目に見てくれる」
ああこの人に今、何を言っても無駄だ。ラーソルバールは悟った。
「無様な姿はさらせぬぞ、ラーソルバール・ミルエルシ」
近くに来たエラゼルが小声でささやく。
(余計なお世話です、エラゼルさん……)
顔には出たが、素直に言い返せない辺りがラーソルバール。
踊り始めるたが、王子のエスコートが良いのか、無難にこなせている気がする。周囲からはどう見えているのだろうか。ラーソルバールは気になった。
「文句を言う割には、様になっているじゃないか」
王子が笑った。
元々、運動神経の良いラーソルバール。ステップは剣を持ったそれと大差無いが、それ自体が優雅に見えるため、素地は悪くない。
加えて、良い見本が真横で踊っている。
しばらくすると、周囲も驚くような上達ぶりを見せた。
(腕をもう少し上げて……ステップは……)
本人は試行錯誤しながら、作り笑顔を崩さずにいる事で精一杯だったのだが、赤と白のドレスが交錯しつつ踊る様は、会場を魅了するのに十分だった。
曲が終わりお辞儀をすると、四人の主役は喝采に包まれた。
平静を装う他の三人とは違い、ラーソルバールだけが上気させたような顔をしていた。
「お疲れさん」
引き上げてくると、王子はラーソルバールの肩をポンポンと叩いて労をねぎらった。
「殿下の『また後で』とはこういう事でしたか」
フェスバルハ伯爵は二人を笑顔で迎えた。
「結果的には、もう一人の主役のお披露目になってしまって、俺は完全に脇役になってしまったがな」
王子はにこやかに答えた。
「では、また会おう。楽しかったぞ、ラーソルバール嬢」
そう言い残して、王子は戻っていった。
この日以後、事件の事は公にはされていないが、会に出席した人々の間では、赤いドレスの令嬢の話題が度々出るようになった。
会を終え、イリアナと挨拶を交わし、フェスバルハ伯爵らに別れを告げると、ラーソルバールはひと仕事終えたという満足感で一杯になっていた。
だが、会場を去ろうとした瞬間、警備に慌てて呼び止められ、馬車で送られる事になってしまった。
豪華な馬車で寮まで送られた挙げ句、ずっしりと重い、お礼の粗品とやらまで無理矢理持たされた。
後で開封したが、予想を裏切らず、金色の物が山と入っており、ラーソルバールを唖然とさせた。
ため息をつくと、ひとつの気掛かりが有った事を思い出した。
「ブローチ、使ってくれるかな?」
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