八月二十四日。
この日はラーソルバールの十五才の誕生日だった。
四月に入学してから色々な事があった。ここ数年に比べて、明らかに多くの出来事を経験したが、自分はその分だけ成長できただろうか。ベッドに転がりながら、思い起こすように考える。その時、部屋の扉を叩く音がした。
「ラーソル、入っていい?」
シェラの声だった。
「どうぞ」
扉を開けて迎え入れようとするが、彼女はそこから動かず、ラーソルバールの腕を掴んだ。
「食堂へ行こう!」
何やら分からず、シェラの誘いで部屋を出る。休日ということもあり、寮の人影はまばら。
食堂で待っていたのはフォルテシアとエミーナ。そしてエフィアナと、アルディスが後ろに座っていた。
「誕生日おめでとう!」
友人達は声を揃えて、ラーソルバールを迎える。
昼食にはやや早い時間だったためか、生徒達の姿はほとんど無く、友たちの声が食堂に響いた。
学生達が食堂で誕生日を祝うことは、珍しい事ではない。
食べ物と飲み物の他に、依頼すれば料金は取られるが、祝いの菓子等も食堂では用意して貰える。皆が少しずつ出し合って、ラーソルバールを祝う準備をしていたのだった。
騎士学校に入学してから、誕生日祝って貰えるなどとは思っていなかっただけに、驚きと嬉しさで一杯になった。
それぞれが包みや箱を、ラーソルバールに手渡す。
「あ……、ありがとう……」
ラーソルバールは驚いてテーブルに頭をぶつけそうになるほど、頭を下げた。
その様子を見た皆から笑い声が漏れる。
「さあ、食べようか」
アルディスに促されて、皆が食べ物に手をつけようとした時だった。
「遅くなってすまない、家の者が来ていて……」
慌てたようにガイザがやって来た。額には汗が滲んでおり、余程急いで来たのだろうという事が分かる。
「やあ、ガイザ君、久しぶり」
嬉しそうにアルディスが迎えた。女ばかりの集まりに、ようやく男が来てほっとしたという所だろうか。ガイザは照れ臭そうに頭を下げた。
ガイザが座り、賑やかな会話が始まって間もなく、ラーソルバールの後ろに人影が現れた。
気配に気付いたラーソルバールはゆっくりと振り返る。と、そこには見知った顔があった。
「エラゼル…?」
「む、こんな所で誕生祝いか」
祝い菓子の存在には今気付いた様子だったが、偶然というにはあまりにも不自然な現れ方だった。
「丁度いい、会ったら渡そうと思っていた。先日の良い茶の礼だ」
そう言うと、エラゼルは紙包みを差し出した。
「ありがとう、エラゼル」
ラーソルバールが笑顔で受けとると、エラゼルは僅かに視線を逸らす。
「ふむ」
「エラゼルも一緒に食べようよ」
「……いや、私はいい」
一瞬、何か戸惑うような表情を浮かべたが、誘いを断ると、エラゼルは配膳カウンターへと去っていった。
「不器用な人だね」
去っていく背を見つめつつ、シェラが苦笑した。
「そうだね……」
そう答えるラーソルバールの顔は、どこか嬉しそうだった。
有力な貴族であれば、大々的に誕生祝いを行うが、そうでなければ家庭内か、知り合いのみで、ささやかに行うのが一般的である。
ミルエルシ家は当然、大々的にやる予算も無ければ、そこまでやる意味もない。娘を宣伝する必要も、名家に嫁がせるつもりもないからだ。
エラゼルのような公爵家の娘は、本人の意思とは関係なく、無理矢理にでも御披露目される事だろう。父の考えがそうでは無いことを感謝しつつ、ラーソルバールは友と歓談する時間を楽しむ。
「さて、十五才になった事だし、来年の国主催の新年会には出席しないとな」
「うぇ……」
思わず変な声が出てしまった。
来年の新年会への参加が、必須だという事を忘れていたのだ。これがラーソルバールにとっての、社交界デビューの舞台になるだろう。
「憂鬱だ……」
「そうだねえ」
間もなく誕生日を迎える、シェラにとっても、それは同様だった。
華やかなドレスに身を包んで、笑顔で愛想を振り撒く。下手をすればどこかの貴族に、息子と婚約しろと迫られる。良いイメージなど持っていない。
「まあ、想像しているものと大差ないな」
今年の新年会に出席した、先輩であるアルディスが苦笑した。
「エフィ姉も出たの?」
「付き人としてね」
「ちゃんと着飾ってたから、まともに見えたのか、言い寄ってくる男共もいたぞ」
エフィアナがアルディスの頬をつねる。
「ん? 何か?」
「な、なんぇもありまへん」
本来であれば、使用人つまり平民であるエフィアナが、新年会に出席することはできない。
付人として同伴させる、それが兄妹のように育ってきたエフィアナへの、フォンドラーク家の配慮なのだろう。親の立場としては「将来のうちの嫁です」という御披露目もという別の目的も有ったに違いない。そこは、本人たちも何となく察していたようだが。
将来アルディスが尻に敷かれるだろうという事は、想像に難くない。
いつもラーソルバールは、そう思って笑っている。
「偉い貴族でなくて良かった。誕生会だの新年会だの、色々な催しに引っ張り出されて面倒臭そうだし」
面倒な事には関わりたくない。ラーソルバールの本音だった。
「そう言うなよ、下っ端には悲哀ってもんがある。しがらみだらけだぞ」
本家に振り回されて苦労しているアルディスらしい言葉だった。
「貴族というのは面倒なものですね」
珍しくフォルテシアが口を開いた。平民出身の騎士の娘である彼女には、縁の無い世界かもしれない。それは軍学者の家で育ったエミーナも同様だったようで、横でふんふんと頷き同意した。
「ガイザ君は気にしてないみたいだね」
「まあ、兄達のを見てますからね……。やりたくないとは思ってますよ」
「揃って華やかな場所が嫌いっていうのもな……」
アルディスは自分の事を棚にあげて、他人事のように呆れてみせた。
「一番苦手なのは、多分こいつでしょ」
「ん?」
不意に話を振られたが、一応本人にその自覚はあるらしい。
ラーソルバールは食事の手を止めて、顔をあげる。
「そういう場所って、色々と面倒じゃない。何にも良いこと無いだろうし」
「言いたいことは分かるが、あまり大きな声で言うなよ……」
余所で誰かに聞き咎められると、不都合が有りそうな内容だったため、ガイザが嗜める。
「場所はわきまえてます」
悪戯っぽく笑う笑顔に、ガイザは動揺した。
その様子を横目で見ていたシェラは、何も言わず微笑んだ。
「せっかくの誕生日だし、昔のラーソルの事を話しても良かったんだが、口止めされていてね。話すと、ラーソルとエフィアナに殺される」
肩をすくめて冗談ぽくアルディスが言うので、皆が笑った。
「知りたかったら、領地に行くか、幼年学校の同期に聞けばいいんじゃないかな」
そう言われてシェラはエラゼルを思い出した。
ふたりがどんな関係だったかも、多少興味がある。
ただ、路傍の石だと思われている自分では、彼女と会話をするのは、恐らく無理だろう。きっと悪い人では無いのだろうとは思うのだが。
「幼馴染が皆、社交界に招かれる年になったかと思うと、不思議な気持ちになる。たまたま合同訓練が直前に有って良かったよ」
エフィアナが嬉しそうな表情を浮かべる。
本当にラーソルバールを、妹のように思っているのだろう。
「今回のように合同訓練で一緒になることは、多分もう無いだろうから、会う機会もあまり無いな。こうやって食堂でたまに会うくらいか」
「そうだねえ。でも卒業まで半年近くあるし、また会えるよ。それと二人が正騎士になったあと、一年後に追い付くから待っててね。って、それは卒業式に言えばいいか」
そう言ってラーソルバールはフォークを咥えた。
貴族の娘とは思えない行儀の悪さに、エフィアナが嗜めるような視線を送る。幼少時からの付き合いのせいか、ラーソルバールはそれに気付くと、慌ててフォークを手に持った。
「時間を合わせて食べるとか、できるんじゃないのか?」
ガイザが疑問を口にする。
「二年生は、授業や実習の終わり時間が確実ではないんだよ。団体行動になるから、全員が終わるまで解放されない」
「うげ、それは嫌だな」
アルディスの説明にため息をつく。
二年生の授業などについては、何も聞かされていない。
「自分が足を引っ張る側になると、申し訳ない気持ちになるよ」
自虐的に言って笑うアルディスの隣で、エフィアナは笑顔を浮かべる。以前と変わらない、二人の微妙な距離感が面白い。ラーソルバールは黙ってそれを見つめていた。
「ああ、そういえば。新年会の前にもやる事があるでしょ」
エフィアナが思い出したように切り出した。
「え、ああ、武技大会のこと?」
「面倒なんですか?」
疑問に首を傾げる。
「騎士団の団長とか、軍務省のお偉いさんとか来るけど、大した問題じゃないよ。一年生と二年生は別。魔法を使えたり、武器も選べるし、自由度も高い。けど、この大会の意義が分からない」
「意義ねえ……競争心を煽るためとか、騎士団の品評会だとか、成績の一発逆転だとか、色々と言われているけど、実際はどうなんだろうね」
アルディスとエフィアナは顔を見合わせた。
「アル兄と、エフィ姉はどうだったの?」
「俺が二位で、エフィアナは四位だった。俺達に勝ったのはマディエレ・ジラセーラって奴でさ、将来の騎士団長候補とか言われてる」
「その名前聞いた事がある。確か傲慢で冷酷な人だとかいう噂が……」
ガイザの言葉に、エフィアナが頷き「あれが団長になんてなれるものか」と吐き捨てるように言った。
その上で「個人的な恨みは無いが」と付け加えることも忘れなかった。
「今年は俺たちが逆襲するけど、君達も頑張ってくれ」
と、言ってみたものの、アルディスにはラーソルバールが負ける姿が想像できなかった。
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