時は遡って4百年以上前。家督相続後の最初の戦い繰り広げていた伊達政宗は、何かと面倒くさくなり始めていた。だから、ずんだ餅を作った。
政宗は側近の片倉小十郎のもとに、ずんだ餅とともに走った。
「小十郎ー!」
「はい、只今」
「ずんだ餅作っ……」
辺りに砂塵が舞った。風も相まって小十郎は目を閉じた。そして、小十郎が再び目を開けた頃には、伊達政宗は鎧刀つけたまま跡形もなく消え去ってしまった。
「あれっ? 政宗様? 政宗様!?」
馬印の立った陣内に、小十郎とずんだ餅だけが残された。
先ほど立て付けを直した引き戸が開く音がした。
「いらっしゃいませー」
裕人は反射的に声を出した。将来の貯金のためにしていたアルバイトの成果の一つである。その声に対する応答はなかったが、カウンターの下を熱心に拭いていた彼は気にしなかった。
カチャカチャと特徴的な音が聞こえる。どうやら歩くたびに聞こえているようだ。アクセサリーかキーホルダーでもつけているのだろう。その音はだんだんこちらに近づき、レジの前で止まった。
「あのー、すみません」
カチャカチャという音は、青年の威勢のいい声に変わった。裕人はカウンターからゆっくりと腰を上げ、初めてのお客の顔を目に入れようとした。
「えっ」
彼が見た男の姿は、鎧と刀と、派手な兜をつけた男だった。その兜には、大きな下三日月が飾り付けてあった。
お互い目が合っていたが、二人とも喋ろうとはしない。現代人は戦国武将を、戦国武将は現代人を見てしまったのだから。
しばらく時間が経った。この雰囲気を打破するため、戦国武将のほうが先に動いた。
「ここ、どこだ?」
そう言い放ったはいいもの、またどちらも喋らなくなった。裕人は状況についていくことに手いっぱい……というより、もうついていくことなどできないと悟り始めていた。
しかし、ふと、彼は目線を動かすと、あることに気づいた。兜についた大きな前立て。この大きな下三日月、どうやら知っている。父が『全国戦国武将大百科』を見せてくれた成果だ。すぐに、この武将が伊達政宗だと直感した。
ただ、それでも彼は口を動かすことなんてできない。理由は明白。目の前に伊達政宗がいるからだ。だが、裕人はここまで引きずっているのだから、もう吹っ切ってやろうと思った。頭の中を真っ白にして、裕人は言った。
「あの、伊達政宗さんですよね」
そうは言ったものの、裕人の頭にははてなマークが浮かんだ。伊達政宗のトレードマークは、あのシャレオツな眼帯である。しかし、『大百科』の挿絵を思い浮かべても、そこに眼帯は出てこない。
そうこう考えているうちに、また、政宗が口を開いた。
「どうして名前を?」
裕人はその質問が来ることはだいたいわかっていたが、それに対する答えなど浮かんでいなかった。
「どうして、名前を?」
残念なことに、政宗は畳み掛けた。これでは言える言い訳も言えなくなった。もう後戻りはできない。裕人は事実を話した。
「ここは、あなたが生まれてから、400年後の世界です」
「えっ?」
タイミングの遅れたカミングアウトと、積み重ねられた矛盾のせいで、日本人が動けなくなる空気の度数は最高潮に達した。ただし、ここには伊達政宗という人柄があった。
「文明は、進歩したんだな」
陽気で、少し的はずれな彼の言葉は、二人の隔たりを崩した。その時、裕人の後ろの本棚が、ちょうど彼に向かって倒れた。
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