「それで、どういう本と交換するんですか?」
必須事項の質問をすると、政宗は鎧の草摺に手を伸ばし、一冊几帳面にまとめられた本を取り出した。
「これだよ」
彼はそう言うと、目一杯広げた手で鷲掴みにした本を、裕人に自慢げに見せつけた。その本のタイトルには、『新編 伊達流ずんだ餅調理法』とあった。
「ずんだ餅だ!」
そのなかなか大きな声は店中に響き渡り、かなり近くにいた裕人は、その響きを全身に浴びた。
裕人はずんだ餅というものの存在こそ知っていたが、それに関することには、なんの知識も有していない。そしてもちろん、伊達政宗がずんだ愛好家だということも。
しかしながら、裕人は彼の満面の笑みから、「相当好きなんだな」と感じ取った。逆に言えば、ずんだでこんなに笑顔になれる戦国武将は他にいないだろう。
「この本と、交換だ」
「はい」
今度は政宗が裕人に本を差し出し、裕人はそれを、丁重に両手で受け取った。筆で書かれているもんで、なかなか重たい。それでも、さっき苦労した総記の辞典やらよりは大分マシである。
「いや〜、ありがとう。おかげでいい本を手に入れられたよ」
「いえいえ」
裕人は『ずんだ』を一度カウンターに置き、奥から出てきた。そして、二人はまた、裕人が先導して店頭まで歩いていった。
「ありがとうございました」
店の先から聞こえた言葉に、閑静な日本家屋に囲まれた政宗は、少しの微笑みと、貰った本を示して、優雅に、そして大股に去っていった。
裕人はまたカウンターに戻ると、さっき倒れた本棚を確認する。するなくとも、今日中は用心しなければならない。
ふと、出入り口とは程遠いこの場所にも聞こえるほどの大きな風が吹いた。
「あっ……えぇ?」
誰も信じてくれなかった。いきなり殿がずんだ餅だけ残していなくなっただなんて。たしかに政宗はいなくなった。しかし、帰ってきた。
「小十郎ー!」
「えっ!? 政宗様!?」
「ごめんごめん。ちょっとね」
額を拭った彼の右手には、『写真でわかる 中世の日常服』とか書いてある本が手にしてあった。
「どうしたんですか」
思わず小十郎は疑問を呈した。それもそうである。いきなり、自分の殿様が、家督相続後最初の戦で白星を収めようとしているのに、ずんだを残していなくなったのである。心配というより、謎になるだろう。
しかし、政宗はそれに対して、あまり深く答えようなどということはしなかった。
「まぁ、楽しかったかな」
その後、この戦の中政宗は本を熟読し、いつの間にか勝ちました。
本棚は、今後一切倒れることはなかった。
そんなことはどうだっていい。裕人は、この不思議な経験を顧客計算用の帳面に書き留めた。一体何が起こったのか。そんなこと、彼にもわからない。しかし、彼はこの体験を、夢などとは思えなかった。
今ここに、『新編 伊達流ずんだ餅調理法』があるのだ。
彼はまた、何も考えずに掃除をしていた。あまり几帳面でなかった父のことなので、本が逆さになっていたり、本が倒れていたりとなんやかんやしていたが、それも裕人の手にかかればお茶の子さいさいというものなのだろう。ものの数時間で店舗全体が片づいた。
その間も、忌引していた本屋の開店を待ち焦がれていた人々も多く、たくさんの本を買ってもらえた。
そんな中、裕人の頭の中には一つの疑問が湧いていた。
なぜ、伊達政宗は自分と話が通じたのだろうか、と。
昔のことなので、激しい武将言葉であったり、他にも東北訛りなんて言うものもあるはずである。しかし、自分は彼との会話が通じた。それに、政宗から貰ったずんだの本。自分なんか読めるはずもないと思いながらも読んでみたところ、みるみる文字が読めていくではないか。
彼の心の中には、伊達政宗との大きな思い出と、ちょっとした謎が残った。
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