演劇が終わった後

-私を忘れないでください-
宮下ソラ
宮下ソラ

「13」

公開日時: 2023年2月9日(木) 05:39
文字数:3,578

***




この事件は一体何だったのだろうか。


窓から見える夕日を眺めながら、彼はふと思った。全てが未解決のまま、親友が傷付き、終わった事件。一つだけ確かな事は、敵はもう襲撃をしないということだけだ。


寝起きの瞼を擦りながら、赤城は部屋の鏡を見る。そこには疲労の溜まった顔が映っていた。事件の後、日中ずっと横にはなっていたが上手く寝つけず、疲れが抜けていないようだ。


「よう!!元気か、周!!」


勢いよく背中を叩かれた彼は、思わず前のめりに倒れそうになった。


「アンダーソン……もう平気なのか?」


「もちろん!!俺はそんな柔な男じゃない。それに少しでも早く彼女に会いに行かねばならない!!」


昨晩の怪我から一日も経っていないが、彼の身体はすっかり良くなっていた。弾丸が急所を外れていたのもあるが、協会内の腕の良い医者がすぐに治療に取り掛かったおかげだろう。


アンダーソンはいつも通りの笑みを浮かべ、自身の事務室へと消えて行った。


一方、ハンス・ブリーゲルは事件が収束した後、仕事が山ほど残っているといい、休む間もなくアメリカ大陸へと向かったようである。


「……何のためにフランスまで来たんだ」


赤城は虚脱感に囚われていた。


「とりあえず、ホテルに戻って休むか」


ホテルには遊幽が先に戻っていると彼は聞いていた。明日からの予定は白紙。彼は彼女と共に決めることにした。




***




アンダーソンは手術が終わると、真っ先に彼女の顔を思い浮かべた。肩に受けた弾丸の傷は深くなく、元々の体質もあるが協会の手配した医者のおかげで夕方には充分楽になっていた。


アンダーソンは懐から小さなケースを取り出す。中身は指輪。彼は今夜こそ、彼女にプロポーズをするつもりでいた。昨晩はあれから連絡がなかったが、きっと彼女ならば今晩もあの場所に顔を出すと思い、アンダーソンは馴染みの店へと向かった。




「ご機嫌ですね、いや、ワクワクして我慢できないという感じでしょうか」


店主は彼の顔がいつも以上に輝いていたのか、思わず軽口を叩く。


「今日こそ、決着をつけるんです」


「ああ、それは素敵な日だ」


「マンハッタンを一杯だけ頼む。アルコールを入れときたいんだ」


照れくさそうに笑うアンダーソンに、彼は静かにグラスを差し出した。




***




以前、一度だけ顔を出した店の前に赤城周は立っていた。まるで誰かを待っているかのように。


「あ……」


「こんばんは」


驚いた顔で立ち尽くす女性――、ルイス・マクドゥーガル。赤城は丁寧に挨拶を交わした後、本題へと入った。




***




「今日のマンハッタンはいつもより美味しく感じるね」


「そうですか、それは良かったです」


沈黙。いや、店内に流れる音楽だけが彼らの間に満ちている。


「……遅いですね。普段ならもう来ている時間だが」


「そ、そうですね。まあ、たまには遅くなることもあるでしょう」


そう返すアンダーソンだが、彼の額には冷や汗が浮かんでいた。




***




先ほどの店から歩いて数分の喫茶店。若い男女は何も言わずに向かい合っていた。席に着いてから、どのくらい経っただろうか。やっと口を開いたのは赤城だった。


「ルイス・マクドゥーガル。あのバーで小切手にサインされた時、違和感を覚えたんです。【Luise McDougall】、あれは【ルイス】じゃない。 英国式で書くと、スペルもちがう。もちろん、最近はそこまで厳しくはないですが。サインをする時、自分も知らないうちに本名を書く癖を持っているんですよ」


彼女は何も言わずに赤城の言葉を待っていた。


「マクドゥーガル……偽名か本名かはわかりません。けど、研究所の【ルイーゼ】は殆どの人間が知っています。まさかそれがあなただとは、最初は気付きませんでしたけど」


赤城はフランスを発つ前に言っていたハンスの言葉を思い出していた。


『【ルイス】という人間のスペルを思い出せ。私の推測が正しければ、彼女の本名は【ルイーゼ】だ』


すぐに答えは出た。


「どうしてアンダーソンを騙したんですか?彼なら簡単に騙せると思ったんですか?」


彼の質問に答えることなくルイス、いやルイーゼが顔を上げた。


「……私も研究所の一人としてetcの文書を探す協力をしていました。彼から情報を聞いて、それを裏で流していたんです」


「だから職員の退勤時間とかもある程度把握していたのか」


彼女は静かに頷く。そして、再び沈黙が彼らを包んだ。女の顔は静かな悲しみに溢れ、男の顔は静かな怒りで満ちている。


「あなたがアンダーソンに見せた優しさは全て嘘だったんですね」


問い詰めるような赤城の言葉に彼女はやっと重い口を開いた。


「彼には……アンダーソンさんには申し訳ないと思っています」


そして懐かしそうな目で彼女はテーブルの上のコップを見つめた。


「初めは研究所のために近づきました。でも、半年経った今は……。彼の優しさに、彼の笑顔に私は救われていた気がします。初めて嬉しいとか楽しいという感情を知ることができた。研究所の人間である前に、私は一人の人間だと気づかされてしまったんです。――だって、彼だけが一人だった私に声を掛けてくれたから」


一息ついた後、静かにそう告げた彼女の瞳は本当に幸せそうな色をしていた。


「昨晩」


しかし赤城はそんな彼女に目をくれることなく、淡々と話を続ける。


「アンダーソンが銃撃された箇所を確認しに行きました。普通、狙撃をする際は静かに近づき静かに立ち去る。行きと帰りの二つしか足跡はつかないはずなんです。けど、雨で濡れていたその場所には狙撃手が何度も行ったり来たりした跡が残っていた。おそらくその狙撃手は撃つかどうかを何度も迷っていたのでしょう。最終的にその人物は引き金を引いたようですが」


ちらりと彼女の様子を窺うと、赤城はそれ以上何も言うことはなかった。いや、彼女の顔を見てその続きを躊躇ったのだ。


「では、お先に失礼します。この件は私しか知らないので、今後の事はあなたの判断に任せます。彼の友人の一人として、私はあなたにお願いします」


そう告げると、赤城は一度も振り返ることなく喫茶店を後にした。間延びした音楽が流れる店内に、ぽつりと落ちる女の涙を残して。




***




「おい、アンダーソンさん。そろそろやめといた方がいいんじゃないか?」


「え、俺そんなに飲んだか?」


店主と向き合う形で座る男。彼の顔色は赤みを帯びていた。


「あんまり酔いすぎない方が良いと思うぞ」


店主の忠告を受け、男も真面目な顔で頷く。


「そうだな、酔っ払いすぎたら逆に見っとも無いな」




***




青年が立ち去り、何曲目の音楽に切り替わった頃だろうか。女は物凄い勢いで外に出ると、大通りを無我夢中に走り抜けて行く。


「アンダーソンさん……アンダーソンさん!!」


彼女にとって、もっとも人間らしく生きることができた半年間。彼の声、言葉、笑顔が脳内を駆け巡る。そんな幸せな日々を思い出しながら、彼女は走る。


彼女は確信していた。彼はそこにいると。いつもの――、あの店にいると。


「全く、困ったなあ」


突然、彼女の足が止まる。


目の前には見慣れた顔の男が立っていた。


「ロベルト」


「ケラーがルイーゼ一人に任せ切れないとはこういう事だったのか」


男、ロベルトは面倒くさそうな顔で懐から拳銃を取り出した。


「すまないな、後始末は私の仕事なんだ」


無音。


銃声すら響くことなく、彼女は静かに倒れ伏した。その身体は徐々に真っ赤に濡れていく。




***


「主人、もう一杯くれ」


「それはいいが……財布の方は大丈夫か?」


「酒代くらい出せるに決まってるだろう!!」


完全な酔っ払いと化したアンダーソンは、頭を上下に揺らしながら四杯目を注文していた。昨日の今日、今夜彼女がここに訪れないということは、彼は振られてしまったということだ。店主も気を遣い、慰めの言葉を掛けるが彼は一切聞き入れない。


そしてアンダーソンが一人、カウンターで俯いていると、突然隣の席に誰かが腰を下ろした。


「やあ」


いつもの人懐っこい笑顔を向ける青年、赤城周だ。




***


「ああ……俺の人生は本当についていないな」


「そんなことないだろ、アンダーソン」


ヤケ酒から絡み酒に移ったアンダーソンは、大きなため息をついて俯いた。


「周……結局、振られてしまった。彼女はきっともうここに来ないだろう。昨晩の雰囲気で行けると思ったが、やはり俺の様な男じゃ駄目だったんだ」


それが彼女の決めた答えか。そう思った赤城は、何も言わずに彼の肩を叩いた。


「慰めてくれるのか。なら、今夜は俺が潰れるまで付き合ってくれ」


「ああ」


彼女と交わすはずだった杯を親友と交わすアンダーソン。


「主人、あの曲をかけてもらえるか」


彼の提案に店主は黙って頷く。そして三十年以上前に流行った音楽が店内に流れ始めた。これは彼の父親がよく好んで聞いていた曲。






- Track.4 「There Is A Light That Never Goes Out. 」 End. –

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