演劇が終わった後

-私を忘れないでください-
宮下ソラ
宮下ソラ

「12」

公開日時: 2023年3月12日(日) 03:14
文字数:5,170

***


俺が扉を開くと真っ先に彼女の姿が視界に入って来た。満面の笑みでVサインをするリニアと、彼女の足元ではゴトーという女性が気を失っていた。

「その人は大丈夫なのか?」

「ああ、うん。多分大丈夫」

「たぶんって……」

「それより補習授業はどうだったの?」

「……まあ個人的には満足だな。すっきりした」

「……そっか」

そして俺は大学の正門を目指して歩き出す。

「帰るぞ、リニア」

「……うん!!」


***


ゴトーが目を覚ますと目の前は暗かった。暖かさも感じる。

「ああ、起きたのかい?」

「……!?」

彼女の目の前に広がっていたのは男の背中だった。ハイティントンはゴトーを背負ったまま、道中を歩いていたのだ。通り過ぎる一般人がくすくすと笑う声がする。ゴトーは恥かしさのあまり身体を左右に動かした。

「……降ろしてくれ!!」

「ああ、私は大丈夫だよ。それより君、私のボディーガードじゃなかったの?」

「……すまない」

しおらしくなるゴトーに対し、ハイティントンは穏やかな口調で語りかけた。

「君のわだかまりは解けたかな」

「え?」

「リニア・イベリンと会ってみたかったんじゃないの?」

男の問いかけに彼女は何も言わなかった。

「正直に言ってごらん。別に私は叱ったりしないよ」

「……私と彼女の環境が妙に似ていた……大きな家に生まれるというのは大変だ」

「そうだね。それで君の敗因は?」

すると彼女は急に顔を赤らめて、そっぽを向いた。

「実力で負けたわけじゃない!!汚い手に騙されただけだ!!」

「はいはい……あ、ちょっ!!あまり暴れないで!!落ちると危ないだろ!!」

ハイティントンはニコニコと笑いながら、決して彼女を降ろす気はなかった。

「そっちはどうだったんだ?」

「ん?」

「鈴木聡太にingを教えたんだろう」

「ああ、うん。教えたよ」

彼は一息置いた後、彼女の質問に答え始めた。

「それなりに満足したよ。ベルコルはきっと勝てないだろうね。ingを保有した人間があそこまで現実的だとは思わなかった」

そう言って、ハイティントンは小さく笑う。

「私の目的は果たされた。彼に自身の正体を明かし、etcが覚醒するための条件も教えた。ベルコルへの貸しは返せたんじゃないかな」

月夜に二つの影が揺らめいている。彼らの間を冷たい風が通り抜けた。

「ゴトー君……今まで私を守って来てくれてありがとう。負担だっただろうね。でも君のおかげで平和に過ごせたよ。これを最後にしよう。もう君も君の道を歩いていいよ」

「……ない」

「ん?」

彼女は男の背中に顔を埋め、消え入るような声で答えた。

「……負担ではない」

「……そう?それなら……良かったよ」

そう言ってハイティントンは夜空に浮かぶ丸い月を仰ぎ、柔らかな笑みを浮かべた。

「これからも頼むよ、ゴトー君」

「……うるさい」

「うん、それなら静かに歩こうかな」

月が二つの影を優しく落とす。それは寒空の下でもどこか暖かそうに見えた。


***


「今後はどうするつもりなの?」

帰り道、リニアは真剣な声音で俺に問いかけた。

「全部知っちゃったんでしょ?」

「ん?ああ、そのことか。そこまで深刻に考えないようにしているけど」

するとリニアは不思議そうな顔で首を傾げる。

「今はそんなに深刻に考える時じゃないと思う。そのままにしといても大丈夫だろ」

「……本当に?」

「本当。もう嘘はつかないよ」

しかし、なおも彼女は疑わしげな視線を向けている。

「……そんな目で見るなよ。あ、お前血出てる」

リニアの頬から真っ赤な血が流れ落ちた。先ほど見た時は止まっていたのに、それなりに深い傷だということだろうか。俺は懐から取り出したハンカチで彼女の頬に触れた。

「顔に傷つくるのはまずいだろ……後にならないといいけど」

「そ、聡太!!」

「は、はい!!」

突然大声を上げたリニアに驚き、つい敬語になってしまった。見ると、彼女はどこか情緒不安定に思える。

「あ……そ、そのハンカチ私が洗うね」

「……何だよ急に。大体、お前んところの洗濯は全部俺がやっているだろ」

「あ……あ、そうだったね。あはは、ごめん」

あからさまにぎこちない笑顔だ。俺はしばらく考えた後、彼女の手持無沙汰な左手にそのハンカチを握らせた。

「今日のことはこれ以上聞かない様に」

「ええ!?そんな……!!」

「それじゃあハンカチは返してもらおう。どうせ自分で洗えばいい話だ」

「え、え、駄目!!」

「じゃあ、もうさっきの話は終わりだ。これ以上追及するなよ」

「え……うん……」


ふと、俺は夜空を仰いだ。

今日の月は明るい。街灯の明かりもそこかしこに見え、何だか幻想的な雰囲気だった。


***

「So I look to my eskimo friend. I look to my eskimo friend..I look to my eskimo friend. When I'm down、down、down…」

「……何の歌だ」

空港の待合室。

ゴトーは隣で歌を口ずさむハイティントンに訝しげな視線を向けた。

「ああ、これ?ルイーゼが亡くなる前によく歌ってたんだよ」

「……」

「エスキモーっていうタイトル。個人的にこの歌詞が好きでよく聞いているんだ」

「エスキモー?」

ハイティントンは頷く。そして再び歌詞を紡ぎ始めた。

「 I find myself disposed…。Brightness fills empty space…In search of inspiration…。So I look to my eskimo friend…。I look to my eskimo friend…。I look to my eskimo friend…When I'm down、down、down…」

「……悲しげな曲だな」

「ルイーゼにはお似合いだよね」

そして男は一度目を閉じると、淡々とした声音で述べた。

「私はね、この歌にetcというものに対しての考えが込められている気がするんだ」

「……この歌に?」

「ああ、私が会いに行く友達……etcはエスキモーみたいな感じがする」

「理解し難いな」

「わからなくていいよ、これは私の個人的な感想だから」

ハイティントンは静かに笑う。ふと、室内にアナウンスが流れた。便名と目的地が告げられた後、搭乗案内が開始されたと流れる。

「さて、行こうかゴトー君」

「はい」

そう言って彼らは立ちあがった。向かう先はどこか、それはきっとここからもっと遠い場所なのだろう。


***


後日、俺は偶然構内で先輩と出くわした。

「よっ、鈴木」

「……先輩」

笑顔で声をかける彼に対し、もちろん俺は複雑な表情を浮かべていた。結局、この人が原因を作ったと言っても間違いではないのだ。

「まあまあ、鈴木よ。男同士の仲だ、そういうこともあるだろう!」

「……俺がどんな目に合ったかも知らずに」

「ん?何かあったのか?」

先輩は不思議そうな顔をするが、詳しく話すつもりもなかった。

「別に大した事じゃないですよ。それよりもあの授業の単位は貰えたんですか?」

「ああ、本当に変わった教授だな。殆どの人がAを貰ったらしい」

若干の適当さを感じるのは否めないが、これで先輩がまた一歩卒業に近づいたと思うと、俺も内心ホッとしていた。

「まあ、一応鈴木のおかげもある。ありがとな」

「え……いや、俺は何も」

思わず視線を先輩から逸らすと、構内に掛けられた時計に目がいった。

「あ、すみません!!俺この後予定があるんで、失礼します!!お疲れ様です!!」

「おう!!気をつけて帰れよー」

「はい!!」

***


そうだ、本当に大したことはなかったのだ。けれど、内心では未だに整理はついていない。ing……etc。俺とは全く関係がないと思っていた。いや、思っていたかった。

それでも、俺が今いるこの現実は│。


***


「う……」

椅子に深く腰掛けていた男が目を覚ました。彼は何故自身がここにいるのかわかっていないのか、辺りを見回す。闇。暗闇だ。

次に彼は自身の四肢を確認した。両腕、両足とも何かに縛られてはいるが無事に動くことを確認すると、彼は軽く瞬きをする。闇│ではない、僅かな明かりが奥から漏れていた。

「……」

男│フーゴ・ベルは、もう一度ここまでの経緯を思い出そうとした。そして十秒の後、彼は全てを理解した。

先日のリニア・イベリンとの戦闘後、協会の人間に連行されこの場所に監禁されたのだ。今後、どのような処分が取られるのか。処刑あるいは、情報提供│しかし後者の場合、協会内でもフーゴと言う男の口の堅さは有名なはずだ。

│では、何故俺は生きている。

捕まった場合は処刑されると考えていた彼にとって、現在の状況は非常に理解し難かった。

そこでフーゴは更に気付いた。リニアとの戦闘後、かなりの傷を負っていたはずだが、それらが全て治療されていたのだ。その気になれば脱出をすることも可能かもしれない。

「……っ」

普段から口数が少ない方の彼だが、今の彼は一言でも口に出そうとすると違和感を覚えた。かなりの間、喉を使用していないということだろうか。

彼は言葉を発することを諦め、他の仲間がどうなったかを考えた。元々、etcの文書を奪取するために日本に来たが、彼の一番の目的は自身の研究内容と一致する│リニア・イベリンに会う事だった。


何故、1%の人間は魔法を学ぶ事ができないのか。彼はいつも考えていた。99%の人間が学べるものを果たして学問と呼んでいいのか。それ以前に魔法はetcの一種、それを否定する者はいないのか。そんな疑問から彼の研究は始まった。

しばらく経った後、彼は協会内にも魔法を扱えない人間がいると知ったのだ。リニア・イベリン│協会は彼女の存在を外部に漏洩しないよう注意し、また才能がないと決めつけた。

しかし、フーゴの考えは違った。魔法を扱えないのは、その人間固有のetcがそれを拒んだせいではないのかと。他のetcよりも更に上位のetcを保有しているからではないのかと。 

1%の人間が持ち得る可能性、それをフーゴは追い続けているのだ。

そして、偶然にももたらされたベルコルの計画。フーゴはその計画の中にリニアの名を見るや否や、すぐにこれに賛同したのだ。

「くっ……」

フーゴは唇をきつく噛んだ。リニアに敗北し、結局何も得ることのないままこのように囚われてしまった自身に腹を立てていた。しかしそんな感情も一時のものだ。すぐにこれらは意味のないものだと見なす。自分は間もなく処刑されるに違いないからだ。

│あの計画が失敗していたとしたら、急進派は没落。研究所は穏健派が覇権を握ることになる。

│急進派は終わった。

彼はそう推測した。だとすれば、今後研究所は協会と無暗にぶつかることも争いが起きることもないだろう。

キイッ

突然、何者かが彼の部屋に入って来た。フーゴは思わず差し込んできた眩しい光に目をくらませる。

「フーゴ・ベルだな」

自身の名を問う男の声に、フーゴは頷いて返事を返した。

「何故ここに監禁されているのかわかるか?」

「……俺は捕まったんだな」

「安心しろ。乱暴を働くつもりはない。君が捕まって幾日過ぎたかわかるか?」

フーゴは口を閉ざしたまま、首を横に振った。

「噂通りの口の堅さだな」

「……目的は何だ」

フーゴはじっと目の前の男を睨んだ。目的│自身を生かし続ける理由は何か。

「我々の目的は君の研究だ」

思わぬ言葉にフーゴは更に困惑した。

「一応言っておくが、君たち急進派と呼ばれる連中の計画は失敗した」

「そうか」

「……手短に話そう。協会の仲間になる気はないか?君の研究に興味がある」

瞬間の驚きはあれども、フーゴはすぐに冷静さを取り戻した。協会の仲間になり、協力するということは、一時であれ処刑される時期は遅くなるだろう。しかし成果を上げた後、唐突に処刑される可能性もなくはない。

フーゴは男の真意を測りかねていた。

「……研究結果のみなら、私を拷問して吐かせた方が早いんじゃないのか」

「そうだが、それはあまりにも残酷すぎるだろう。私は血を見るのが苦手なんだ」

「……そうか」

「それで、協力してくれる気はあるのか?」

フーゴはしばらく考えた後、

「一日だけ考える時間がほしい」

「わかった、起きたばかりの相手には唐突すぎるからな」

男が背を向ける。ふと、フーゴはその背中に問いかけた。

「ロベルトはどうなった」

「……まだ君に話すつもりはない。私が話に来たのは協力するのかしないのかを問うためだ」

その男の態度で彼は察した。ロベルトは死んだのだと。フーゴは静かに目を閉じる。そしてやっと目の前の男に何者かを問いかけた。

「……お前は何だ」

男はどう告げるべきなのか、考える様子を見せた後、静かに口を開いた。

「周りの人間には、アルゼンチンの男と呼ばれている」

そう言って男は扉の外に消えていった。再び静寂と暗闇がフーゴを覆う。

「……あの男は、一体何を考えている」

彼の独白だけがこの小さな部屋に響いていた。


- Track. 6「Eskimo」End. -





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