***
奏と別れてしばらくすると、やっと公園が見えてきた。終わりが見えてきたせいか、無心で歩き続けていた足がやけに重く感じる。
「う……」
思わず口からうめき声が漏れてしまった。あんなに嫌だった場所に、何故こんな大荷物を担いで向かっているのか。頭の中を当然の疑問が通り過ぎる。
――先生は、天城紫乃はすごい。
一次著作権だか二次著作権だか詳しい条約の事は知らないが、彼女はそこを上手く突いて協会からロイヤルティを受けていると聞いた。それだけでも生活することはできるはずなのに、先生は一生懸命仕事をして、子供を育てている。立派な大人だ。社会的な面だけは尊敬できる人間だと思う。
でも、つい最近まで俺はあの魔女を憎んでいたのも事実だ。あの三年前の事件。俺が最強だと思っていたあの女は、親友を救ってくれなかった。何もしなかった。真実を教えてくれなかった。
彼女も、誰も。
知らなくてもいい事実がある。それが危険なことなら尚更だ。理解はできるけど、やっぱり納得はいかない。俺だけが真実を知らないというのは、少し寂しい。いや、悲しかった。奏の存在がなかったら、今頃俺は一生彼女とは他人でいたのだろう。
ふと、俺は空を見上げた。
――俺は大人になったら何になるんだろうか。
ずっと憎んでいた彼女は、先生はきちんと生活している。俺はどうだ、あれから何か変わったか。いや、何も変わってはいないのだろう。全くもって、俺はみすぼらしい。もしかしたら、奏がいるからなんていうのは言い訳だったのかもしれない。俺は俺を変えたくて、先生と話をしたくてあの場所に向かったのかもしれない。
――そう、俺は何も変わっていないから。
頭の中で色々な事を考えていたせいだろうか、下げていたビニール袋が余計に重く感じられた。重さで伸び切った袋が俺の手に食い込む。とても痛かった。
「大人数だから買う量はわかるけど、交通手段が何もないってのはどういうことなんだ」
気づくと俺は公園に辿りついていた。子供たちがベンチで遊んでいる。
いや、あの子供は――、
「奏、こんなところで何しているんだ――っと、その子は研究所の」
「ノエル」
「そうだった。というか二人とも早く帰るぞ。こんなところにいつまでも居たら風邪ひいちまう」
寒い中何をやっているんだか。よく見たら、二人の足元には何かを食べたゴミが落ちていた。
「おいおい、ゴミはゴミ箱に……って、ん?これ」
アイスの袋だ。
「奏さん、そこに落ちているアイスの包装、見覚えあるんだけど、あのイチゴ味の」
奏は俺の視線を避けるように明後日の方角を見つめたままだ。何も言わないという事は、そういう事なのだろう。俺の買ったアイスはあの少女、ノエルの腹の中か。
「これだけは俺の自腹だったのになあ……」
何ともやり切れない気持ちだが、この二人が仲良くなるきっかけになったというのなら仕方ない。アイスの一つや二つ、喜んで出そう。そうだ、俺もポジティブにいこう。前向きに考えようとは思うが、どうやら俺の体は正直なようだ。先ほど以上に荷物が重く感じる。
***
「やっと着いた……」
「あらあら、たくさん買ったのね」
ため息と共に荷物を床に置くと、先生が驚いた顔で出迎えてくれた。そして俺たちの背後へと視線をずらし、にこりと笑う。
「思っていたより随分と早い帰宅ね」
「……」
「お腹空いたのかしら?」
「そう!!私はパスタが好きだから、食べに来た」
「それなら早く作ってもらいましょうか」
「うん」
気まずそうに口を曲げていたノエルは、魔女の掌に乗せられるようにコロコロと表情を変えていく。
ふと、先生の後ろにも誰かいるのが見えた。ノエルの友人であり、奏の担任の先生である真田だ。喧嘩でもしていたのだろうか、二人の間の空気は重苦しいものだった。
「ノエル」
真田が相手の様子を窺うようにゆっくりと少女へと近づいて行く。ノエルも躊躇う様な視線を真田へと投げかけ、ぽつりと――、
「さっきは……ごめんね」
その謝罪と共に、真田はノエルの身体を優しく抱きしめていた。
「こっちこそ。ごめん」
真田の謝罪が終わるや否や、二人はその場で泣き崩れた
「一体何があったんだ」
「空気読んで」
「悪い」
奏に叱られてしまった。黙っていろということだろう。
「あ、おい、奏!!」
頑張って空気を読み取ろうと思っていた俺の隣を、奏はすっと通り過ぎる。キッチンに向かうようだ。俺も遅れて中に入ると、奏はすでに調理の準備をしていた。いつもの変わらぬ風景。思わず笑みがこぼれてしまった。
「聡太?」
「これが平和ってことなのかもしれないな」
「何?」
「いや、何でもない」
***
「ベルコル!!どこにいる、ベルコル!!」
名の知れた抵抗作家にも似たような名前が響き渡る部屋。天井はドーム型でできており、床には大理石が敷かれた豪華な作りの会議場だ。普段なら多くの人間が集まり、討論をする場だが今は男以外には誰もいない。今日は木曜日だ。ここで会議が行われるのは水曜日と決まっていた。
「ベルコル!!さっさと出てこい!!いないのか!?」
「私はここだ」
大きな声を上げる男の声に、やっと会場の中央から返事が返ってきた。金色の長い髪に、貴族と思しき品のある服装。一見、素敵な好青年に見えるが、ある一点においてその印象は不可解なものへと変わる。彼はその不可解な――その容貌に不釣り合いな髭を弄びながら、自身の名を呼んでいた男を真っすぐと見据えた。
「友が死んだ!!私の友が!!これは一体どういうことだ!?」
「友……?」
男の脳内で何人かの顔が通り過ぎる。やがて、一人の男の顔が浮かんだ。先日、単独で魔女のいる地に赴き、派手に拉致事件を起こしたものの、あっけなく魔女の手にかかって死んだ男の顔だ。
「そういえば、死んだな」
「何だその言い草は!!Mr.modificationはそんな簡単に死ぬ奴ではない!!あいつもetcを持っているんだ、空間催眠という特殊な力を持っているんだぞ!?」
頭を抱えて喚き散らす男を、彼は無心な瞳で見つめ返す。
「獣も自身の子が危機に晒されれば、敵を殺して助ける。それと同じだ。ましてや最強の女の子供を誘拐したのだから、それ相応の報いは返ってくると奴もわかっていたはずだ、ケラー」
ケラーと呼ばれた男は、体を小刻みに震わせながら彼を睨みつけた。
「お前が焚きつけたんじゃないのか!?」
「違う。冷静に考えろ。彼に無理やり仕事を回したのは全て穏健派の仕業だ」
「……っ」
何を言い返せばいいのかわからないといった表情で、ケラーは俯いた。男は依然として変わらぬ表情で続ける。
「しかし、結局はMr.modification。彼自身が犯した失態だ。大量拉致事件なんてものを仕出かすとは……本当に気が狂ってしまったようだね」
「奴は!!Mr.modificationは……研究をしている時だけは誰よりも真面目だった。三年前のあの事件からだ、奴がおかしくなったのは。そんな人間に任務を任せるだなんて、間違っているに決まっている」
ケラーは拳を握りしめ、必死に自身を押さえこんでいるようだが、言葉の端々からは怒りがにじみ出ていた。そんな彼を一瞥して、男は意見を述べる。
「穏健派が邪魔な奴らを排除しようとしているんじゃないか?」
「いいや、研究所は個人主義の集まり。権力を握りたいだけなら、そんな馬鹿なことはしないはずだ。それに、そんなことをするなら我々、急進派だろう。三年前の事件以降、我々の勢力は弱まり、今は争いを好まない穏健派が実験を握っているじゃないか」
的を射ている彼の意見に、男はそれ以上何も言い返さなかった。代わりに、
「そういえば、思っていたより遅い報せだったんだな、奴が死んだと言う事」
「何?」
「いや、何でもない」
「お前……やはり何か知っているな?」
今にも掴みかかりそうな顔でケラーは男に詰め寄った。その様子に男も観念したように、肩をすくめて話し始める。
「私はただ奴が事を起こす前に電話をしただけだ。魔女のいる地は私の担当領域だということを伝えるため、奴の安否を確認するためにね。結果はこの様だが」
「……その時に俺に教えてくれれば、こんなことには」
「ケラー、君は思っていたより純粋な人間なんだな。Mr.modificationのように無知でもなく、ゴトーのように博識でもない、あるいはフーゴのように凶悪でもなく、ロベルトのように生死に無頓着でもない。そんな君がどう戦うのか見てみたいよ」
興味深げに話す男に対し、ケラーの脳内に浮かんだ言葉は、
「死」だった。
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