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「ところで……俺たちだけこんなに騒いでいていいのか?」
店内に響く自分たちの声が気になった赤城は、そっとアンダーソンへと耳打ちをした。すると、彼は声量などちっとも気にする様子はなく、普段と同じように言葉を返す。
「ああ、平気さ。どうせここは馴染みの客しか来ない。いつも同じやつの顔しか見ないからな」
「それじゃあ、商売的には上手くいかないんじゃないの?」
二人の会話を聞いていた遊幽が思わず口を挟むと、アンダーソンは付け加えるように答える。
「同じ客でも、毎日来るなら話は別だろ?」
「……なるほど」
「それより、最近どうなんだ?」
二杯目のビールを飲みながら、アンダーソンは赤城たちへと顔を向けた。
「あいつはまだぶっきらぼうな態度なのか?あとマエストロとかその子供は?元気か?」
答えづらい質問が一度に飛び、赤城はひとまず頭の中で整理をした。そして彼も二杯目のビールを口にすると、ゆっくりとアンダーソンへ返答する。
「えっと、まずはそのぶっきらぼうな奴、葵ね。あいつは大学生になったよ。著作権騒動以降、協会のバイトをしながら一生懸命学費を稼いでいるみたいだ。マエストロ……先生は、まあ普通に元気だね。それと奏ちゃんは」
思わず赤城は押し黙ってしまった。次に紡ぐべき言葉がうまく整理できないようだ。
「奏ちゃんは……その……元気でいるといいな」
「そうか」
アンダーソンの耳にも先日の一件が耳に届いているはずだ。彼はただ小さく相槌を打った。
「完全に解決したわけではないと思うんだ。奴は先生が処理したって報告を受けているから大丈夫だとは思うけど……その背後がな」
「マエストロもついてる、きっと大丈夫だ」
アンダーソンは友人を安心させるかのように満面の笑みで笑うと、豪快にグラスを煽った。そして、彼は思い出したかのように赤城へと振り返る。
「そういえば、隣の彼女は俺たちの仕事について知っているのか?」
「ああ、言っていなかったか?」
そういうと、赤城は少しだけ身を引いてアンダーソンから彼女の顔が見えるようにした。
「遊幽ちゃんは先生の妹だよ」
平然と答える赤城に、アンダーソンは息を飲む。
「なに!?マエストロの妹!?いや、ちょっと待て、マエストロは数百歳も超えてるはずだが……!?」
「体だよ、体」
「あ……ああ、そういうことか」
一人、混乱状態に陥る友人を前に、赤城は簡潔に誤解を解いていった。そして付け加えるように遊幽が身を乗り出して答える。
「マエストロだろうが、先生だろうが、金色の魔女だろうが、私にとっては今も昔もただの私の姉よ」
ふと、彼女の言葉に、赤城はだいぶ前の会話を思い出した。
『魔女としての記憶と習慣、能力。そして天城柴乃としての記憶と習慣、特技。どっちもこの私に宿っている。なら、私は一体誰なのかしらね』
初めて魔女と会った時、彼女が赤城に投げかけた質問。それに答えたのは遊幽だった。
『姉さんの記憶も習慣も癖も特技も全部持っているんでしょ?なら、ただの私の姉さんじゃない。大学で博士号まで取って異例の出世ルートに乗っていたのに、突然仕事辞めて教師の資格取った途端、行方不明になった馬鹿な姉さん。妹の顔を忘れたなんて言ったら、承知しませんよ?』
――まっすぐで堂々としていて……変わらないな。
赤城は静かに笑みを零すと、再びグラスに口をつけた。
「それより俺たちの話ばかりじゃなくて、お前の話も聞かせてくれ。ここの奴らはどうなんだ?」
赤城の言う『ここの奴ら』とは教会のことである。アンダーソンもすぐにそれを察し、慎重な声音で語り始めた。
「協会は以前とは違い、一種の企業のように表に顔を出してきたのは知っているな?今までの連中はそれぞれで生計を立てた上での所属だった。まあ一部の裕福な協会員からの寄付もあったが。だが、今回の教会長、アルゼンチン生まれの男が就任して、協会は、より世間に対して露骨的に存在を示すようになった」
「だいぶ複雑になってきたようだな」
「ああ。俺たちの目標はあくまでも現状維持だ。改革なんかじゃない。だが、俺にはどうもあの男が……いや、教会事態が、均衡を守るという俺たちの目標を壊していく気がしてならない」
アンダーソンの推察に、赤城も真剣な顔で相槌を打つ。そんな彼の反応を見ると、アンダーソンは更に鋭い視線で前を見据えた。
「おそらく研究所は以前のように、大量の人員を導入して世界規模の行動をすることはできない。奴らが目標を果たすために狙いを定めるのは二ヵ所だけだ」
「二ヵ所……?」
アンダーソンは指を出して、カウンターをたたいた。
「一つはパリ、もう一つは」
彼の指は天井を指していた。
「日本。マエストロがいるところだ」
アンダーソンの言葉に、彼らは息を飲む。薄々予想はついていたのか、驚いた様子はないものの赤城はつい疑問を口にした。
「ずっと気になっていたんだが、奴らが日本を狙うのはわかるが、でも、どうしてもう一つがパリなんだ?今の本部はアルゼンチンだろ」
「ああ、そうだな。でも十五年間も本部が置かれた地だ。数々のお宝が眠っているんだよ」
「宝?」
「……etcについての資料とかな」
赤城は何も言い返さず、まっすぐとアンダーソンを見据えたまま、彼の言葉の続きを待った。
「アルゼンチンに移せばいいんじゃないかって思っただろ?それができないんだ」
「できない?」
「見つからない、俺たちでもを探し出せないんだ」
「それを奴らは探し出したいわけか。けど、おかしくないか?研究所の連中は組織ではないはずだ。同じ所に狙いを定めて一緒に行動するとは考えにくいと思うんだけど」
赤城の質問に対し、アンダーソンは呆れたような表情でため息をついた。
「奴らの本当の目的なんて誰も知らない。いや、俺たちには分かり得ないさ。同じ方向まで一緒に行って、途中で目的に相違が出たら、まるで分かれ道を進むかのように個人の道を行く。そういう奴らだ。まあ議会だか何だか知らないが、一応形だけでも奴らを束ねている人間がいるみたいだがな。本当に形だけだろ」
赤城も遊幽も黙ってグラスを見つめたまま、静かに彼の意見に聞き入っていた。そんな二人の様子を見て、アンダーソンは気を取り直すように赤城の背中を勢いよく叩く。
「いってえ」
「単なる俺の考えだ!!そんな深刻に捉えないでくれ。そもそもetcについての資料自体、存在するかどうかもわからん代物だ」
背中を抑える赤城に対し、アンダーソンは店内に響き渡るような大声で彼を励ました。そしてもう一杯注文をしようとしたところで、アンダーソンの手が止まった。
ふと、彼は自身の腕時計を確認した。現在の時刻は午後七時三十分。
すると、急にアンダーソンは身なりを整え始めた。
「おい、バーテンダー。マンハッタンを二つ頼む」
カウンター越しにちらりと彼へ視線を返すと、バーテンダーは慣れた手つきでグラスを用意し始めた。まるで赤城たちが消えてしまったかのように、アンダーソンは一人そわそわと人を待っている仕草を始める。赤城も遊幽も不思議に思いながら、しばらく彼の行動を見つめていると、
――ちりん
入口に掛けられた鈴が小さく音を鳴らした。
――あ。
店内に入ってきたのは一人の女だった。綺麗なブロンドのロングヘアーに茶色のコート、赤いハイヒールが物静かで上品な女性という印象を醸し出していた。
――写真に写っていた女性だ。
口には出さないものの、赤城には一目で彼女がアンダーソンの待ち人なのだとわかった。
「綺麗な人……」
隣に座っている遊幽も思わず感嘆を述べてしまう程、彼女はどこからどう見ても美人だった。
「あ、こんばんは。よく会いますね」
まるで偶然会ったかのように、アンダーソンは彼女に近づいた。対する彼女もにっこりと笑いながら、彼の隣へと腰かけた。
「こんばんは。アンダーソンさん。今日もお元気そうですね」
彼女が席に着くや否や、バーテンダーはとても自然な動きでマンハッタンを二人の前に置いた。
「……本当にいたのか」
「似合わないわね。一種の美女と野獣みたい」
「言われてみれば、そんな風に見えなくもない」
静かな雰囲気で飲み始める二人を横目に、赤城と遊幽は小声で自身の感想を述べ合う。しかし、隣に座るアンダーソンの耳には確実に聞こえていた。若干の戸惑いを顔に浮かべつつも、彼は改めて姿勢を正すと女の方へと向き直った。
「えっと……今日は私にとってとても素晴らしい日なんです。実は昔の友人が訪ねてきてくれて」
「あら!それは本当に素晴らしい日ですね!!」
嬉しそうな笑顔を浮かべる彼女に動揺しながら、アンダーソンは隣に座っていた彼らを紹介し始めた。
「男の方が赤城周で、この間も話した私の友人です。それと、彼の隣に座っている女性は彼のガールフレンドです」
「こんばんは」
上品な仕草で挨拶をする女性に、思わず赤城も遊幽も慌てた様子で挨拶を返した。そんな彼らが面白かったのか、彼女は小さく笑みを零すと、静かにマンハッタンを口にした。遊幽の時とは違った美しさ。まるで映画や童話に出てくるような、次元の異なる上品さがそこには存在していた。
「あの……」
アンダーソンが再び、頬を掻きながら彼女へと声を掛けた。
「はい」
「いや、その。今日は私の友達をぜひあなたに紹介したかったんです」
「それは光栄なことですね」
「は、はい。今日はとても貴重な日です」
「でも、そんな大事な日に私がここにいてもいいんですか?」
「も、もちろんです!!大丈夫です!!」
先ほどまでの彼女の笑顔が、突然申し訳なさそうな表情になった途端、アンダーソンはいきなり顔を上げ、大声で彼女へと振り返った。
「……ずっと思ってたけど、あの人馬鹿ね」
「俺はまっすぐでいいと思うよ」
くすくすと隣で囁き合う赤城たち。それでも赤城は、女性に対してどのように接していいかわからない友人を見るのは楽しかった。馬鹿にしているわけではなく、それは本当に、純粋に、友人が幸せそうに見えたからだ。景気の良い音を立てて、幹杯を交わした後、女は思い出したかのように赤城たちへと向き直る。
「ごめんなさい、自己紹介を忘れていたわ。ルイス・マクドゥーガルです。よろしくお願いします」
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