「はあ……結局私はまたこの女とか」
リニア・イベリンは相手を前に、深いため息を零した。
二人は満足に戦える場所を求めて、校舎の外に出ることにした。昼間に降っていた雨もやみ、足元の条件も互いにフェアだと言えるだろう。
「まあでも、とっとと叩きのめして戻ればいいだけね」
意気揚々と宣言をするリニア。そんな彼女を気に入らない様子で睨む女性│ゴトー・フリードリヒ。彼女の視線は凍てつくように冷たい。
「口の悪い女だ」
「あなたも相当だと思うけど?」
睨みあう二人。一方は素手、もう一方は、
「わお。殺伐としてるわね」
リニアは目の前の女性が懐から取り出したものを見て、思わず感嘆の声を上げた。ゴトーが手にしていたのは鞭だ。それも乗馬などに使われる短いものである。
「リニア・イベリン。イベリン家一族の長女であり、ハンス・ブリーゲルの全てを受け継いだ者。そして金色の魔女の弟子。私もやや似た境遇なので興味があった。協会の子供よ」
「非常に不快だな。そんな風に呼ばれるのは。銀髪の魔法士と呼んでくれない?」
そう言ってリニアは軽く地面を蹴りあげた。そこはアスファルトで覆われた場所ではない。リニアの上げた足は土埃を纏ったまま、ゴトーの顔面に降りかかる。彼女の視界が奪われている瞬間に、リニアは全力で走りだした。
「なっ……!」
ゴトーが動く前に彼女は先手に出た。初めに脇腹を突き、その勢いを消すことなく下半身に蹴りを入れる。その後軽い一撃を加えて気絶させる│これがリニアの描いていた計画だった。
「名前通りの勢いだな」
ゴトーは決して動揺することなく、リニアの一撃一撃を冷静に見極め、寸でのところでかわしていく。対するリニアも口笛を吹いて相手を評価した。
「なかなかやるじゃない」
「汚い手だ」
「これでも急いでいるからね」
リニアは真っすぐとゴトーを見据えた。しかし彼女はその視線を受ける事なく、じっと自身の手元、その短い鞭を眺めていた。冷静に、静かに、決して微動だにすることなく彼女はただその一点を見る。
その気迫に思わずリニアも身構えた。先ほどの空気とは明らかに違う。
「……」
│相手は自分と同じ女性だ。まず身体的なハンデはない。ならば自ずと戦闘スタイルは私と似てくるものだ。差が出るとすれば、それは経験。能力。
しばらく考えた後、ゴトーはゆっくりと顔を上げた。そして素早く前に出て腕を振り上げる。彼女の鞭は一般的なものと違い、孤を描くものではない。一直線に、殆ど棒と言っても過言ではないほどの威力と鋭さを持つ。
リニアは彼女が腕を振るう軌道を一瞬たりとも逃すことなく、的確に避けて行った。その独特の攻撃形態にリニアは考える。
│瞬発力では確実に相手の方が一枚上手だ。
しかしその思考こそが、彼女と自身の違いを冷静に分析できるようになったのだ。自身に瞬発力がない分、相手よりは集中力があるはずだと。
「くっ……」
依然としてゴトーは鞭を振るう腕を休めることはない。リニアの耳にはずっと、しなり続ける鞭の音が聞こえていた。
リニア・イベリンは協会内でもハンス・ブリーゲルの弟子として、主に体術を用いて戦闘するスタイルであり、それは協会内だけでなく研究所内にも知れ渡っていた。故に戦闘においてその腕もかなりのものである。
しかし、そんな彼女でもこの状況では自身が不利だと感じずにはいられなかった。もちろん体力的にも精神的にもまだまだ彼女には余裕がある。しかし、言い知れぬ不安がじわじわと彼女の胸中には広がっていた。
「……いけない、いけない」
リニアは少しぎこちないが、努めて笑顔を消さないようにした。それは自身の心理的安心感を得るためでもある。
│私は金色の魔女の弟子だ。あのハンス・ブリーゲルの師事だって受けている。
「こんなところで倒れたら、二人に何て言われるか」
戦闘中でもこの様な言葉を口にできる当たり、彼女自身もまだ余裕があると思っていた。しかし不安感が拭われる事はなかったのだ。
「このっ……何だって言うの……!!」
再びリニアは繰り出される攻撃に集中した。いくら隙のない攻撃だとしても、必ず綻びというものはできるはずだ。
***
研究所の人間が協会と戦える理由は何か。それは科学を用いているからだ。科学の力│それはつまり兵器である。兵器は相手を殺すことも、自身を守ることもできる。現在を保存する協会と違い、前へと進み続けようとする研究所。彼らのその姿勢は兵器にも現れ、常に最新鋭のものを生み出し、それを用いて彼らは自己防衛を果たすのである。
代表的なものは拳銃だ。魔法士と雖も身体は生身の人間。撃てば死に至る。もちろん防弾チョッキや魔法を用いれば、話は別だが。しかし全員が常にそれらを用いているわけでもない。
故に協会内は莫大な被害を受けてきた。要は前知識があり、且つそれに対する予防が万全ならば、明らかに協会側に軍配は上がるのである。
しかし、今リニアが相対しているのは彼女にとって初めての武器だった。
普段見慣れないもののせいで、軌道はもちろん間合いすら掴む事が難しい。リニアは相手が振り上げた腕の位置、角度からおおよその狙いをつけて避けるしかないのだ。それ故、上手く間合いが取れなかった場合はかすり傷を負うしかない。
│けど、刃物や拳銃に比べたら威力は弱い。
そう思い、再びリニアは自身を鼓舞する。このまま戦いが続けば、ゴトーの体力が先に尽きるのは明らかだったからだ。
「……隙あり!!」
リニアは彼女の足めがけて踏み込む。しかしゴトーは一瞬驚きを示したものの、すかさず身体を後方に退けてかわした。そして攻撃を再開する。
変わらない。彼女はずっと同じ軌道を繰り返していたのだ。相手の顔色をうかがいながら、間合いを徐々につめて行く。それに伴いリニアの身体も自然と後方へと追いやられていくのだ。
「……まさか!!」
リニアの額に冷や汗が流れた。
「ずっと同じ攻撃をしていたのはそういうことか。こっちは体力温存しながら最小限の動きで躱してきたっていうのに……」
そう、ゴトーがやっているのは勝つための攻撃ではなかった。相手の体力を減らす事を目的としていたのだ。
「なめるなっ!!」
リニアは勢いよく手を伸ばして彼女の鞭を掴んだ。左手に走る激しい痛み。リニアは痛みに堪えながら前にでた。
しかし、直後。視界が反転したと思った時には、遅かった。
気づくとリニアは宙に浮いていた。
「なっ……!!」
そして小さな悲鳴と共に彼女の身体は一直線に地面へと叩きつけられた。
全身を鈍い痛みが巡る。リニアが目を開けると、すぐ目の前でゴトーが冷ややかな視線で彼女を見下ろしていた。瞬間、彼女は自身の身に何が起きたのかを理解する。
│体術。只でさえ消耗していた体力に、鞭を掴んだことで生まれた一瞬の緩み。そこを付け込まれたというわけか。
リニアはつくづく自分の戦闘スタイルとは相性の悪い攻撃に頭を悩ませた。そして、ゆっくりと身体を起こすと服についた土埃を払う。
「けど、まあこれぐらいなら何とかやれそうね」
「ほう」
「それより、今ここでトドメを指しておいた方が良かったんじゃないの?」
「私はあなたと違って、勝つためには手段と方法を選ばない人間ではない」
「そう?」
ゴトーは再び鞭を構えた。その姿を見て、ふとリニアは思い出したように口を開く。
「……その構え方って、もしかしてフェンシングみたいな感じ?」
「敵対する相手に教える義理はない」
「ひどいなー。互いに命懸けて戦ってるんじゃないの?」
「リニア・イベリン相手に懸ける命などない」
その言葉が多少頭にきたのか、リニアはにっと口元を緩め姿勢を落とした。
「そうね、私も殺人者になるつもりもないから命懸ける必要はないわね」
そう言ってリニアは両手を合わせて指を解すと、
「けれど、緊張感っていうのは大事じゃない?」
リニアはポケットから紙束を取り出した。そして相手の動きを気にせず、一気に三枚の紙を床にばらまく。
瞬間、ゴトーは気付いた。しかしリニアの行動の方が早かった。彼女は凄まじい勢いでゴトーめがけて突っ込む。先ほどまで防御一点の相手とは思えないほど無謀な攻撃だった。
リニアが進む度にその速度は上がっていく。彼女がばらまいた紙には速度をあらわす表意文字が書かれており、一枚の効果が終わるごとに次の紙が発動する仕組みである。最大十秒。
しかしこれだけの時間があれば相手の間合いに入ることは容易だ。
リニアはゴトーの目の前に近づくと、すかさず拳を打ちこむ。対する彼女も防御へと転じるが、既にリニアの拳は彼女の懐に深く食い込んでいた。
瞬間の静寂の後、ゴトーは膝から崩れ落ちていった。必死に意識を保とうとするが、彼女の瞼は徐々に閉じて行く。
│痛い。
その感情だけがゴトーの脳内に漂っていた。決して相手を甘く見ていたわけではない。リニア・イベリン。研究所内でも危険視している人物だ。それでもゴトーの戦法は彼女にはあまり効果がなかった。それをゴトーは見抜けなかったのだ。
「くっ……」
ゴトーは痛む上半身を抱えながら、ゆっくりと立ち上がった。そして腕を構える。やや視界がぼやけているが、彼女には関係なかった。
ふと、彼女は自身が握っている鞭にひびが入っている事に気付いた。
│あとどのくらい持ちこたえられるか。
そんな焦燥が彼女の心中に広がる。それでもゴトー・フリードリヒは口元に笑みを浮かべた。
「これからが全力だ……!!」
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