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俺はずぶぬれのまま幼稚園に戻ってきた。部屋の中から三人の声が聞こえる。どうやら俺が出て行ったあと、先生が探索を始めたらしい。正直、今この部屋に入るのは足が重い。もちろん背中に背負っているせいもあるが。
一呼吸置き、意を決して扉を開ける。三人の視線が一気に俺と、その後ろの少女に集まる。
「誰?」
「そうちゃん……その子」
葵とリニアの質問に答えず、俺は無言で部屋の奥に行くと布団の上に少女を寝かせた。
「おい、鈴木」
「仕方ないだろ。雨の中、血だらけで……必死な声で助けてくれなんて言われたら」
葵はリニアの反応を見て色々と察したのだろう。彼の表情は更に険しくなっていく。
「だからってどういうつもりだ。そいつは研究所の改造人間なんだろ? 俺たちを油断させるための罠かもしれない。お前はもう少し、感情を抑えて理性的な判断をしろ」
葵は俺の目を真っすぐと見ていた。だが、俺も言われたままでは気が済まない。腹の中から何かが沸き上がってくるようだった。
「じゃあお前は、目の前で倒れている血だらけの少女を見捨てろって言いたいのか」
俺も葵を真っすぐと見返した。リニアは不安げに、先生は興味無さそうに俺たちを見ている。
そして俺たちが互いを見つめたまま、数分程経った頃。
「くっ……ははは」
突然葵が笑いだした。
「は?」
俺とリニア、ついでに先生も、思わず葵に視線をやった。
「いや、お前が俺の予想通りキレたのが面白くて。そうだよな、たとえ敵だろうが、誰かが目の前で倒れていたら助ける。お前はそういう奴だよ、鈴木。理性的に立ち回れないもんな」
「葵……よくこんな状況でふざけていられるな」
俺が呆れた顔で葵を責めると、彼は余裕の顔で俺に笑いかけてきた。
「ふざけてなんかないさ。お前は最高の落し物を拾ってきてくれた」
「最高の落し物……?」
俺は布団に横たわっている少女に振り返った。
「ああ、これで奴の所へ辿りつけるかもしれない」
***
話を聞くためにはひとまず彼女の傷を直さなくてはいけない。俺が先生の方に向き直ると、彼女は早速何枚か文字が書かれている紙を少女の身体に投げつけた。これは回復魔法だ。医学的知識を要する、魔法の中でも難しい部類のもの。先生が投げた紙はすぐに光を放ち始め、少女の顔色も徐々に良くなってきた。そして回復魔法の発動時間が終わり、少女の周りに紙束が落ちると、彼女はゆっくりと目を開けた。
「ここは……」
横になったまま、辺りを見渡す少女。表情からは警戒の色が見える。
「ここは幼稚園だ。とりあえず落ち着いて。傷は大丈夫か?」
「……私をどうするつもりだ」
少女は鋭い瞳で俺を見つめ返す。そこにはやはり敵意が宿っているようだ。
「君が俺の目の前で倒れていたから。君が泣きながら助けを求めたから。俺が君の手を取っただけだ。敵味方関係なく、俺はさ、目の前で弱っている人を見て見ぬ振りできない性格なんだ」
俺がそっと、子供をあやす様に少女に笑いかけると、彼女は罰が悪そうに俺から目を反らした。
「……これが罠だと思わなかったの?」
「罠だったのか?」
「……」
「まあ、理由をつけるとしたら、今俺に危害を加えたらこちらのボスが黙っていない。わざわざ自殺行為をしに来るようなものだからな」
すると、少女は思いつめたような表情で黙ってしまった。しかしそんな様子に構うことなく、葵は淡々と事実を確認し始める。
「それでお前は何があったんだ?」
「……」
「何で血だらけで倒れていた」
「……あんな奴が来るとは思わなかった」
少女は手をきつく握りしめて、ぽつぽつと話し出した。
「部長が新しい人間が来るっていうから……挨拶も兼ねてビルに呼び出されて……でもあの男はすぐに自分の実験がどうのこうのって。ingなど私には関係ないって。それで……近くの小学校で実験するとか言い出して。すごい、すごい怖かった。そこには私の友人がいるから。きっと、あの男……人体実験をするつもりだ…」
少女の肩が小刻みに震え出し、怯えているのがわかった。そんな少女の肩に手を置き、何か声をかけようと思ったが、俺は何と言えばいいのか全くわからなかった。呆然としてただ少女の肩に手を置いていると、最後にと葵が少女の前で問いかけた。
「そのビルは……お前たちのアジトはどこにある」
一瞬ぴくりと反応し、顔を上げた少女だったが、すぐに視線を落とし唇を噛みしめた。俺たちに明かそうか躊躇っているのか、少女はこの部屋にいる人間を一人一人注意深く観察していた。
「やっぱり無理か」
つい俺は口に出してしまった。
すると、少女はすかさず物凄い勢いで首を横に振り始めた。
「違う!! そうじゃない!! ただ……私は思考が制限されているから、自由に行動できないの」
再び少女の目から涙が零れていく。
「でも……助けて!! 私の友達が……私の大事な友達が捕まったの」
居場所は言えないけど助けてほしい……か。
「先生、なんとかできないのか?」
助けを求めて先生に振り返ると、彼女は大したことなさそうな顔で答えてくれた。
「考え方の制約でしょ? じゃあ壊せばいいじゃない」
「いや、そんな簡単そうに言うけど、どうやって」
「大丈夫、大丈夫」
そういうと先生は横になったままの少女の隣に座り、少女の身体の至るところに文字を書き始めた。そして何か呪文を呟き、最後に『おしまい』と少女の身体に書くと先生は大きく伸びをした。
「先生、終わったのか?」
「ああ、字が消えてないから、もう考え方の制約ってのはないよ」
先生の治療に呆気に取られていた少女は、いざとばかりに腕を大きく回して、自身の身体の状態を調べた。そして―、
「都市の北部郊外にある六階建てのビル」
先ほどまでの固さはどこにいったのか、少女はスラスラと敵のアジトを述べてくれた。彼女自身も驚きの顔を浮かべている。俺たちは揃って頷き合うと、すぐに戦闘の準備を開始した。
「待って!! 本当に行くつもりなの?相手は研究員。普通の人間や魔法使いとは次元が違う。改造人間の私でさえ歯が立たなかったのに」
きっと彼女自身の経験談によるアドバイスだったのだろう、彼女の身体はまた小さく震えていた。
「俺たちは行くよ、行くしかないんだ」
「以前に逃した奴だしな。それに俺たちはそういう奴らと戦ってきた。危険でも何でもない」
俺の返事に被せるように、葵もどうと言うこと無さそうに答えた。先生は黙々と準備を続けているし、リニアは……彼女は深刻そうな顔をしていた。
「敵の危険度はともかく。この二十四時間以内に奏ちゃんたちに危害が加えられてないといいんだけど。奴の性格を考えると……」
リニアの言葉を誰も否定することはなかった。頭の中を奏の顔が横切る。
「先生、あの装備も俺にくれ」
すると、すぐに先生は棚の中から重たい鞄を取り出した。山岳用の鞄だが、この中には様々な装備が入っているのだ。
一方の葵の準備は簡単そうで、中身の確認だけを行っていた。リニアは体中に装備を付け、まさしく戦闘に赴く格好だ。俺も体中に装備をつける。防弾チョッキの上に大量の紙束と筆記用具、先日も使用したナイフとピアノ線、そして連射可能なボウガンに麻酔銃。以前のままだから油も取れてない。一応肉弾戦にも耐えられるよう、身体の隅々にまで装備を怠らない。
ただ、俺は他の奴らより応用力もない。肉弾戦に優れているわけでもない。あくまでサポーターだ。サポーターはサポーターとして行動する。訳もなく戦闘に買って出ても邪魔なだけだ。だからこれだけの装備をしても、これは全てサポート用なのだ。ボウガンは殺傷用ではなく、バフの役割をする紙をつけて壁や床に撃つため。腰にあるナイフも基本は先日のような使い方をするためだ。
久しぶりの重装備に身体がまだ感覚を取り戻してない。このような格好を再びするとは思っていなかった。
三年ぶりだ。久しぶりにみんなで動く。まあ何人かはいないが。
俺は無意識の内にため息をついた。窓が空いているせいか、何故か鳥肌が立ってきた。
―俺は緊張をしているのか。
二十四時間経つまでに……一刻も早く奏の元に行かなくては。俺はぐっと拳をきつく握りしめた。これが俺の覚悟の証だ。
―さあ、再びの非日常へ。
「行こう」
みんなの視線が絡み合う。
その時だった。ふと葵が静かに口を開いた。
「先生はここに残っていてくれ」
「何故?」
彼は先生を見たまま、いつものように軽い声で答えた。
「その子供の面倒見なくちゃ」
ちらりと少女の方を見ると、彼女は不満げな顔で葵から視線を反らしていた。
「それもそうね」
あっさりと了承する先生。その返事に思わずリニアも驚いているようだ。
「え、ちょ……先生、行かないの?」
「だってこの子を置いていけないじゃない」
リニアは何か言いたげだったが、その言葉を飲み込んだようだった。すると、そんな会話を聞いていた少女は伏せ目がちな目で呟いた。
「私のことは気にしないで……」
「何もせずに大人しく待っているか?」
少女の言葉にすかさず葵が質問する。確かに俺も彼女が葵の言うとおりにするとは思えなかった。
「けど……お願い。私にだって大切な人がいる。私も失いたくない……」
少女の目は真剣に葵を見据えていた。
「……はあ」
彼女に何も返すことなく、ただため息をひとつ洩らした葵は俺の方へと振り返った。
「お前が連れて来たんだから、責任とれよ」
そして不貞腐れたような顔をして、葵はリニアを連れて外に出た。
部屋には俺と先生、少女の三人だけが残った。少女はじっと俺の顔を見ている。あまりの視線に耐えられず、俺は隣の先生を見た。
「責任っていっても……どうすればいいんだよ」
「あなたの好きなようにしなさい」
面倒くさそうな顔で、先生は突き放すように答えた。それを聞いてか、少女は一歩前に出て俺へと顔を近づける。
「足は引っ張らない。私は改造人間だから人間と比べて頑丈。研究所の内部も知っている」
少女は瞳に涙を浮かべながら、必死に自分をアピールしてきた。
「……」
「お願いします」
「……」
「私を連れていって」
「……」
「お願い!!」
「……はあ」
駄目だ、俺の負けだ。ここまで必死な子を無視することは俺にはできなかった。
「危険になったらすぐに逃げろよ」
ぱっと明かりが灯ったかのように、少女の顔色が良くなっていく気がした。
「わかった……ありがとう」
少女を連れて、俺も外へ向かう。
「ちょっと待ちなさい」
椅子に座ったままの先生が俺たちの背中に声をかけた。何故か厳しい顔をしている。
「……なんだよ、先生」
「言いたいことがあるわ」
―なんだ? やっぱりこの子が行くのは反対なのか?
いつになく真剣な顔をする先生に俺は少し気圧されていた。
「……悪いが、もう決めたことだ。俺は好きなようにしただけ」
言い終わる前に何かが俺の上に被せられた。
―布?
手に取ってみると、それは派手な色をした服だった。
「そんな格好で敵陣乗り込んでも興覚めよ」
言われて俺は少女を見た。
「あ」
彼女は先ほどの治療の際、リニアが患者服に着替えさせたままだったのだ。
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