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職員室に電話の音が鳴り響く。
「はい、ひまわり幼稚園です」
天城紫乃はいつも通りに受話器を取ると、慣れた調子で言葉を続けた。既に他の職員は退勤しており室内には彼女一人。
「あら、珍しいわね。そっちから電話をしてくるなんて」
少し驚きを含んだ表情を見せる彼女の顔は、口元に微笑を浮かべているあたり彼女にとって好意的な人物からの電話のようだ。
「なるほど」
しかし、その顔は徐々に陰りを見せ始めた。何かが起きたと言う事は明白である。
「わかった、すぐに行くわ」
その言葉を最後に、天城は受話器を戻した。そして何をすることもなく、呆然と彼女は机の上を凝視している。そこにあるのは未だ目を通していない書類たち。否、彼女はそれらに目をくれることなく脳内を巡る思考に注視していた。
しばらくして、自身の顔が強張っている事に気付いた魔女は、何かを切り替えるように頬を軽くつねると椅子から立ち上がり、そのまま冷蔵庫へと向かった。いつものように、いつもの飲み物を取り出し、口に含む。
「ぷはっ……よし!!」
勢いよく飲み干した彼女は、それをゴミ箱に捨て入れ職員室を後にした。行き先は皆が集まっている台所。魔女は部屋の隅から、少しだけ顔をのぞかせた。鈴木と奏が流しの前で調理をし、その様子を物珍しげに覗くノエル、そんな彼女を微笑ましげな表情で眺めている真田の様子が魔女の目に映る。
「……どうしようかな」
ふと、彼女の口から洩れた言葉も今の彼らには聞こえていないようだ。
「奏、これも切ってくれ」
「わかった」
「ねえねえ、これ何?」
忙しなく調理する鈴木と奏の後ろで興味深げに訊ねるノエル。鈴木も何てことないように答えていた。
「パプリカだよ、パスタにいれる」
「パプリカ?」
「ピーマンのお友達みたいなもんだ」
「え……ピーマン?」
若干、顔を引きつらせるノエル。鈴木はその一瞬を見逃さなかった。
「食っても死なない。ちゃんと食べろよ」
「……食べないとは言っていない」
ふいっと顔を反らした彼女は、そのまま逃げるように真田の元へと走っていった。
「あの男、私をいじめる」
「それは困ったわね」
「さっき私がイチゴ味のアイスクリーム食べたから、ああしているの」
まるで子供の泣き言を聞き入れるように真田は彼女の頭をそっとなでる。しかし、その会話を聞いていた鈴木はすぐに彼らへと向き直った。
「ちょっと待て、俺はそこまで心の狭い男じゃない」
「私はただ貰ったから食べただけ、私は悪くないから!!」
「悪いとか悪くないの問題じゃなくてだな、俺が自腹で買ったものをお前は食ったってことだけ認識しとけ」
それでもなお、ノエルは真田の影に隠れて舌を突き出す。鈴木の言葉は一切、彼女には響いていないようだ。悔しげにため息を零す鈴木の裾を、ふと、何かが引っ張った。
「聡太、これ。パスタ、もう入れていい」
「ああ、そうだった」
どうやらつい後ろの相手に専念してしまっていたようだ。鈴木は慌てて調理を再開した。 そんな彼を横目に、奏は炊飯器の表示を確認する。
「なあ、奏。何で米も焚いているんだ?今日はパスタだろ?」
「ご飯にソースかけて食べる人もいるから」
「……あまりおいしそうとは思えないな。そいつの舌は大丈夫なのか?」
「だめかも」
揃って二人の頭に浮かぶ完成イメージ。その画に合う人物の顔は一人しかいなかった。
「そんな穿った食べ方する奴って……もしかして葵か……」
奏は何も言わない。だが、逆にその沈黙は明らかに「そうだ」と言っているようなものである。
「奴ならやりかねん……」
そのように結論を下し、彼は調理を再開した。
「そういえば真田さんって料理するんですか?」
冷蔵庫から買ってきたばかりのタコを取り出し、鈴木は真田へと声をかけた。彼女はまさか自分に話しかけてくるとは思っていなかったのか、少し驚いた顔をしたまま、
「ええ、私も一応一人暮らしの身なので」
「へえ。じゃあたいていの物は作れそうですね」
「い、いえ!!一人暮らしの人間が必ずしも料理上手だなんて思わないでください!!」
「あ……なんか、すみません」
顔を赤くして俯く真田に、どこか罪悪感を覚えた鈴木。そんな彼の足もとに綺麗な横蹴りが入った。
「真田ちゃんを困らせないで」
「痛ッ……お前、こんな性格だったのか」
「残念ながら、そのようね」
感情と思考の制限が解除された改造人間、いわば彼女の本性のようなものだ。改造人間と雖も、後ろの真田と違い、それぞれ人と同じ個々の性格があるということである。この事実に鈴木は、恨めしげに彼女らの顔を見比べた。
すると、今度は違う足にも蹴りが入る。
「聡太、ゆですぎ」
「やべっ」
慌てて、コンロの火を消す鈴木。だが、パスタを湯切りするにも置き場所がなかった。
「タコは後でするべきだったな」
手順の悪さに肩を落とす鈴木に対し、奏は何も言わずに自身の作業をこなしていく。
台所は平和な日常、そのものだった。魔女はそんな光景を端から眺めたまま、じっくりと考える。今、この場で口にしていいものだろうかと。
「みんな」
彼女の呼び掛けに四人の顔が一斉に同じ方向を向く。一瞬、躊躇ったものの魔女は静かに口を開いた。
「リニアが拳銃で撃たれた」
「な……!?」
鈴木は口を開けたまま動かない。奏の顔も一気に色を失っていく。
「今はもう病院にいるから大丈夫よ」
「容体は!?」
鈴木の質問をかき消すように、彼の隣から皿が割れる音がした。奏だ。彼女の足元には破片が散らばっていた。その音で冷静さを取り戻した鈴木は、
「どこの病院だ」
多少落ち着いたものの、その声音は未だに焦燥を帯びている。だが、魔女の予想よりは動揺をしていないようである。
――少しは成長したわね。
「……知り合いの病院よ、今から私も向かうところ」
「私も行く」
鈴木がエプロンを解く隣で、奏も準備をする。だが、彼はその手を掴んだ。
「だめだ、奏は夕飯を作らなきゃいけない。大丈夫だから、大人しく待っていてくれ」
「……わかった」
ほんの少し間があったものの、奏はしっかりと鈴木の目を見据えたまま深く頷いた。
突然、バタバタとし始める台所。ノエルと真田は置いて行かれたように、その様子を見ていた。
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