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「うわっ、結構強いじゃん」
リニアは腕を擦りながら男――フーゴの顔を見た。先ほどから数十分以上、肉弾戦を繰り広げている二人。相手の拳を避けては攻撃し、相手の蹴りを避けては攻撃する。互いに似通った戦闘パターンであり、リニアにとってはある意味やりにくい相手であった。この戦いでは持久力がいる。どちらかが集中力を切らせば、一気に形勢は偏るのだ。
リニアは心中で舌打ちをしながら、男の攻撃から目を離すことはなかった。だが、彼女も自身が不利であることは気が付いている。鈴木たちの前では平気を装ってはいたが、先ほどの銃痕はもちろん、先日の戦いでの傷も完治には至っていないのである。
「単純だが、迷いがない。なるほど、確かにハンス・ブリーゲルの弟子らしい」
「弟子じゃない……娘だ!!」
リニアは勢いよく男に向かって足を振り上げた。しかし一瞬――、傷の痛みに彼女の蹴りは失速する。その一瞬を男は見逃さなかった。彼はリニアの足を掴むと、その大きな肩で彼女の身体ごと遠くへ投げ飛ばす。戦いの流れが変わった。
「ぐっ」
背中に伝わる衝撃に思わず咳を零すリニア。口からは容赦なく真っ赤な血が流れ出ていた。
「気絶くらいはするかと思ったが、意外に頑丈だな」
「体が取り得みたいな所はあるからね」
口元の血を拭き取り、何とか根性で立ちあがるリニア。しかし、男は彼女の様子に構うことなく攻撃を再開した。
彼が狙うのは左腕。とっさに反対の利き手でこれに対処しようとしたリニアだったが、それすらも男は見抜いていたのか、男の肘が彼女の右肩を強打する。まるで電流が流れる様な痛みに、思わずリニアは顔を歪めた。しかし、男の攻撃はそれで終わりではない。右腕の痛みに態勢を崩したリニア、その身体に固い拳が食い込む。
全身から血が噴き出す様な痛みをリニアは感じた。男の拳が入ったのは、ちょうど腹部。それも未だ傷の癒えない部分。彼女は気を保つことで精一杯だった。
「……早くトドメを刺したらどう?」
「断る。何か策があるのだろう、油断できない」
男は一度体を後方に傾けると、勢いをつけてリニアへと突進した。トドメではない、まだ戦闘が続くと思っているからこその勢いだ。リニアは何とか体を傾けてその攻撃を防ぐが、地面を蹴る振動が衝撃として腹部に伝わってくる。再び彼女の口からは血が漏れだした。
しかしそんな事に構ってはいられない。リニアは精一杯の力で地面を踏みこみ、男の肩に向けて拳を振りかざす。彼女はそのまま後方に飛んで防御に入ると思っていたのだろう、男は僅かに目を見開いて、その攻撃を受け入れた。そしてその攻撃の勢いのまま、男の身体は僅かに後ろに引き下がる。自身の拳が確かに男の体へ入った感触に、リニアは微かな希望を感じた。
「……もしかして、一対一の戦いって初めて?」
「どういうことだ」
「だから、戦争とかじゃなくてこういう個人と向き合っての戦い」
そう言うと、リニアは大きく左足を蹴りあげた。攻撃ではない、彼女の目的は――、男の周囲に舞い上がる土埃だ。
「くっ」
男は狭まる視界の中で動く影を見た。それに合わせて、防御を行う。リニアの拳は男の腹部に入る前に止められた。しかし、それで彼女の攻撃は終わりではない。
「命を懸けて戦う……それは相手の命も懸けるってことだ」
そう呟いて、彼女は閉じていた拳を開いた。そこに握られているのは『雷』と書かれた小さな紙。それを男の身体に張り付けると、彼女はすぐに後方に退いた。
瞬間、眩しい閃光が男の身体を包み込む。
「魔法士が魔法を使わないわけがないでしょ」
男はかなりのダメージを負ったのか、体をよろめかせた。そこにリニアの拳が再び襲いかかる。男は防御することもできず、その身体は先ほどのリニアの様に大きく後ろへと飛ばされた。男の口からうめき声が漏れる。しかし、その瞳は依然として戦意を保っていた。立ちあがる事もできない男の足をリニアは踏みつける。
ぎりぎりぎりぎり……
骨が折れる音がした。男は声を上げることもなく激痛に耐えている。それでもなお男の戦意は消えない。リニアはその姿に一瞬戸惑いを見せるが、戦いの結果は目に見えていた。
「私の勝利でいいかしら」
「君の勝ちだ、さすがハンス・ブリーゲルの弟子」
「だから……弟子じゃないってば」
男は負けを認めたのか、顔を落として静かに語り出した。まるで最後に言い残した事があるとでも言う様に。
「私たちが探していた知識は何だったのだろうか。私たちは一体何のために中東に行ったのか、そこで何を得られたのか。そして何故三年前の戦いは起きてしまったのか」
リニアは静かに男の言葉に耳を傾ける。
「ハンス・ブリーゲルという男にもう一度会えば、答えを得られると思っていた。あの男のおかげで私の人生は、良くも悪くも変転したのだ。だが、その男には会えそうにもない。日本にその男の弟子がいると聞いて、私はやってきた。そいつと戦えば、或いは答えを得られると思った。何故我々は知識のために命を懸けて戦ったのかと」
「答えは出たの?」
男は静かに首を横に振る。
「そう……それは残念ね。あの……ずっと気になっていた事があるんだけど、あんたは何を研究しているの?」
彼女の質問に男は思わず口元を綻ばせる。
「敵のお前に話すわけがないだろう」
そして震える手で、彼女を指さした。
「リニア・イベリン。ひょっとしたら、君も研究の対象かもしれない。0.1%に分類される劣等生……君ならおそらく分かるだろう。 知識に対する渇きを。そして、それを欲することを」
男の腕が下がる。それ以上、彼の口が開くことはなかった。死んではいない。おそらく気を失ったのだろう。男はこの後、協会に引き渡される予定だ。そこでどんなことが行われるかは、リニアには想像もつかないだろう。
「……そう私は0.1%の劣等生。あんたたちの考えもわかるかもしれない。目の前にあるかもしれないものを掴めないのは、とても窮屈で苦しい」
リニアはボロボロの身体を引きずらせて立ちあがった。
「でも私はあんたたちの様にはならない――誰かを殺してまで魔法を習いたくはない」
冬の冷たい風が銀色の髪を揺らした。
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