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「ところで、何でまたこんな遠くまで来たの?」
やっと気持ちも落ち着いたところで、遊幽は当然の質問を赤城へと問いかける。しかし当の彼女は彼の返答も聞かずに一人楽しそうに辺りを見回し始めた。
「私、海外旅行なんて初めてなのよね。楽しみだな!!まさか姉さんがこんな風に気を遣ってくれるなんて思いもしなかった!!妹と妹の旦那の分の旅費まで手配してくれるなんて!!」
「旦那って……まだ結婚もしてないの……」
ぼそりと呟くが、どうやら今の赤城の発言は彼女には聞こえなかったようだ。ほっと一息をつくと、赤城はアンダーソンへと向き直った。
「さて、俺もここに来た理由を聞いてないんだ。なんとなく予想はついてるけどきちんと教えてくれ」
「たぶんその予想で当たっていると思うぞ」
「……何か起きるのか?」
「おそらく……な」
「でも何で俺なんだ?」
「俺の口添えのせいでもあるな。知っての通り、俺たち協会連中の活動領域は欧州全域だ。ただ去年、協会長が変わってアルゼンチン人になっただろ?だから協会本部も南米に移って、こっちは勢力が弱まっているんだ。それで欧州側の勢力を増強しときたくてな」
「なるほど」
「それにここは前の協会長がいた国だ。拠点にするには色々と設備が残っていて勝手が良い」
説明を聞き終えると、赤城は長いため息をついてうなだれた。
「やっぱり海外旅行気分なんて味わえなさそうだ……」
その瞬間。今までキラキラと目を輝かせていた遊幽が物凄い早さで赤城の言葉に反応した。
「ちょっと!!私たち、ここに旅行しに来たんじゃないの!?」
「……そのつもりだったけどね」
純粋に海外旅行だと思っていた遊幽は、自嘲気味に笑う恋人を見て全てを察してしまったようだ。そしてふらふらと二、三歩ほど赤城から遠ざかると、彼女は周囲の目も気にせず大声で宙に向かって叫び声を上げた。
「騙された……また騙された……お姉ちゃあああああああん!!」
行き場の怒りにただただ地面を踏み続ける遊幽。そんな彼女をなだめるはずの赤城は傍観を決め込んでいた。仕方がなく、アンダーソンが遊幽へと声をかけようとするが、今度こそ彼女は絶望を顔に浮かべたまま、下を向いてぶつぶつと呟き始めていた。
「あーあ、何だこれ。せっかく二人きりで優雅に海外旅行だって聞いて色々と準備してきたのにさ、まさか仕事で派遣されてるなんて。また働かないといけないの?ていうか、そもそも私たちはいつ……」
「おい……いいのか?彼女」
「今はほっといた方がいいよ」
赤城たちがこそこそと話し合っていると、突然、遊幽は彼の右腕を掴んだ。そして今までの鬱々としていた彼女の声色が変わった。
「ねえ。私たち、もう全部辞めて普通に旅行楽しも?ね?」
「え……いや。でも」
急に愛僑がたっぷりとなった鼻声に、思わず赤城も動揺を隠せずにいた。これをチャンスだと思ったのか、遊幽は更に言葉を続ける。
「ねえ、優雅に海外旅行しようよ。とりあえず、何も起きてないんだからいいじゃない。私たちは、綺麗な街並みにおいしい料理に素敵なホテル……姉さんのお金でフランスを満喫しよ?せっかくの初海外だよ?」
両手を握りしめ、甘い鼻声を滑らせながら彼女は徐々に赤城との距離を狭めていく。
「こんな無料で行ける海外予行なんてめったにないよ?どうせ、姉さんのことだからまた大変な仕事押し付けてきてるだろうし、疲れちゃうじゃない。観光なんてしてる暇無くなるよ。だったら、もう全部忘れて素敵な海外旅行にしようよ」
悪魔の囁きをしばらく黙って聞いていた赤城は、ついに決心したように顔を上げた。
そして彼女に笑いかける。
「やっぱり俺には無理だよ。先生が俺たちを信用してくれたからこそ、旅費も全部出してくれたんだ。だから遊幽ちゃん、さっさと仕事終わらせて、旅行楽しもう?」
「……」
「遊幽ちゃん?」
「…………この気の利かない奴!!」
「痛ッ!!」
「女がここまでアプローチしてるんだから、ちょっとは妥協しなさいよ」
遊幽は思いきり赤城の足を蹴飛ばすと、小言を言いながら足早に出口の方へと歩きはじめた。そんな彼女の背を追いながら、赤城は再び先ほどの話を続ける。
「ところで研究所の動きはどうなっているんだ?」
「あ……ああ、最新の情報では、Mr.Modificationが日本で事件を起こしたと聞いたな。解決はしたと時宮葵から連絡を受けている。どうやらマエストロが処理したらしい」
「とりあえずは安全か。問題はその次だろうね。研究所の連中が、本格的に動き出したっていう証拠だからな」
赤城の見解にアンダーソンも深く頷き返す。
「……三年前のような事件がまた起きないといいな」
「組織の半分が飛んだんだ。そんな状況下でできるか?」
疑問符を浮かべる赤城に対し、アンダーソンは鋭い視線で前を見据えたまま静かに呟いた。
「奴らに頭はない。が、たった一人残ったとしても研究所は研究所という【勢力】だ。何を仕出かすか知れない」
「……そうだな」
瞬間、赤城はいつのまにか自身の顔から笑みが消えていることに気付いた。
「……どうやら随分と重い話をしていたみたいだね」
緊張の糸がほぐれたかのようにふわりと柔らかい笑みを浮かべる赤城に、アンダーソンも釣られて乗っかった。
「もっと楽しい話題でもするか?」
「何かネタがあるのか?アンダーソン」
すると、彼は先頭を行く遊幽を見つめたまま、にたりと笑みを浮かべた。
「実は最近、俺にも彼女ができたんだ」
その発言を聞くや否や、赤城は大きな声で笑い始めた。
「本当かよ、アンダーソン!!突拍子もないな!!」
「何がおかしいんだ!!」
「いや、悪い悪い。びっくりして……で、どんな女性なんだ?」
赤城の問いかけに、アンダーソンは急に頬を掻いて恥ずかしそうに視線を横にずらした。
「……少し前に会った女性なんだ。なんかとても落ち着いていてさっぱりした女性だ」
「そうか、それは良かったな」
「ああ、いつかお前にも紹介する。お前は両親の次に大事な友人の一人だからな」
そういうと、アンダーソンは財布から一枚の写真を取り出した。そこに映っていたのは本当に美人な女性。ブロンドの髪の毛にブルーの瞳。どこか物憂げな表情が印象的な顔をしていた。
「綺麗な人だな」
「ああ、俺もそう思う」
写真を見つめたまま微笑むアンダーソン。そんな純粋な彼を横目に、ふと、赤城にも悪戯心が芽生えてきた。
「……本当に付き合っているのか?」
「もちろんだ!!俺は嘘を言わない」
互いに笑い合うと、アンダーソンは密かに彼の耳元へと囁いた。
「これは真面目な話だが、ああいう女性は避けた方がいいぞ?一度目をつけられると中々離してもらえなくなるからな」
おそらく遊幽のことだろうと察した赤城は再び前を行く彼女を眺めて、困ったような笑みをアンダーソンに返した。
「わかってるよ。でも既に捕まっちゃったし。それに俺ももう慣れたよ」
「周……」
「大丈夫だよ、無理してないって」
「そうか」
いつも通りの笑みを浮かべる友人に対し、アンダーソンも安心したように、そして激励をするかのように彼の背中を叩いた。
「……そういえば、そんな美人とどこで知り合ったんだ?」
「周、それは飲んでから話そう!!」
豪快に笑いながら、アンダーソンは彼の首に手を回して歩く――しかし、彼らの目の前には警備員に取り押さえられている遊幽の姿があった。どうやら物珍しさ故に何か迷惑を起こしたのだろう。
「嬢ちゃん、そんな所でもたもたしてると置いてくぞ!!」
「ちょっ……待って!!助けてよ」
「早く来ないと、こいつは俺が連れて行っちまうぞ」
「ちょっと!!誰か助けてよ!!周ちゃん!!」
アンダーソンは楽しそうに笑いながら、遊幽の横を通り過ぎていく。
一方、赤城の方も面倒事には慣れているのか、ため息をついて遊幽の元へと戻っていった。
赤城周、天城遊幽、そしてアンダーソン・カイル。この三人にもまた重大な事件が待ち受けていた。それはいずれ彼らの日常にも、そして今後の勢力関係にも大きな影響を与えることになるのであった。
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