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「はい、ひまわり幼稚園です」
「金色の魔女だな、こんなに早く話せるとは思っていなかったよ」
普段通りの応対をする魔女だったが、電話口の男の声にすっと身を固くする。【金色の魔女】、その名を口にするものは、協会、あるいは研究所の連中しかいないからだ。
「これは幼稚園の電話よ、園長の私が電話を受けるのは当然でしょう」
「ロベルトだ」
早々に男は自身の名前を告げた。その名に魔女の口角がゆっくり上がる。
「ロベルト……かの有名な爆弾魔さんが何の御用かしら」
「久しぶりに暴れようと思って、その前に挨拶を兼ねて電話をしたんだ」
受話器の向こうで微かに聞こえる風の音。おそらく男は外にいるのだろう。そう推察した魔女は最大限に周りの音に耳を傾けた。
「ご丁寧に電話をくれるなんてどうも。それで用件は何?」
「ベルコルからの伝言だ。『etcの文書を出せ』」
「何のことかしら」
「欧州になかったのなら、残るは君が持っているとしか考えられない。早く出せ」
「嫌だと言ったら」
「爆弾を設置した。ここら辺で一番大きな建物に一つ。そして中心部にあるビルに一つ」
「へえ」
電話口から聞こえる要求に、彼女は眉ひとつ動かすことはなかった。
「……どうする、金色の魔女」
「お断りするわ」
彼女は迷うことなく男の要求を突っぱねた。男もある程度予想はしていたのか、大して驚く素振りも見せない。
「なら仕方がない。全面戦といこうじゃないか」
男が言い終わるや否や、大きな爆発音が電話口、そして外から聞こえてきた。
「あんた」
「私がどこにいるかはわかるだろう、その窓から、あるいはニュースでも見れば一目瞭然だ」
「なるほど、ケリをつけるってこと」
「ああ、待っている」
電話が切れる。魔女の手には受話器が握られたままだ。
「先生!!今の爆発音は!?」
鈴木が勢いよく駆けつけてきたが、彼女は何も答える事なくキャビネットを開けた。そして古ぼけた黒い鞄を鈴木へ投げる。それは三年前に彼が使用していた重装備の数々が入った鞄。魔女は何も言わないが、鈴木に返答をしたつもりでいた。そして彼もこの鞄を渡された意味を理解している。
「本当にテロなのか」
「ご丁寧に電話までくれたわ」
「やれやれ、本当に大事になってきたじゃねえか」
文句を垂れつつも仕度を始める鈴木。すると、彼の背後から再び足音が聞こえてきた。台所にいた連中である。
「先生、さっきの爆発音……」
「あなたはここにいなさい、ここを守る事」
魔女はリニアに目をくれることなく告げた。彼女が何かを言い返そうとする前に、魔女は再び口を開く。
「ノエル、真田さんもここにいて」
二人は無言で頷いて同意を示す。
「奏ちゃんも……ここにいてね」
「私も行く」
「だめ、これはとても危険なの。あなたはまだ子供よ、大人しくしていなさい」
奏の声は魔女に聞き届けられる事はなかった。魔女が奏にこのように言う事は珍しく、彼女も思わず怯んでしまう。それを見届けた後、魔女はすっと真田へと顔を向けた。
「先生、うちの子をよろしくお願いします」
先生という言葉の重みを真田は強く感じた。保護者が子供を預ける時と同じ、いや、それ以上の安全を彼女は真田に託したのである。
そして彼女は着替えるからと全員を部屋から追い出した。
金色の魔女ひとりが部屋に残り、静まり返る室内。躊躇うことなく彼女は服を脱いだ。空気の冷たさを肌に感じ、彼女は静かに深呼吸を繰り返すと勢いよく箪笥を引きだし、中から黒い洋服を取り出した。
黒い上着、黒いスカート、黒いストッキング。彼女は瞬く間に全身真っ黒の衣装に身を包んでいった。そして準備を終えた魔女は、まっすぐと玄関に向かい幼稚園を後にする。外では鈴木がじっと立って待っていた。
「待たせたね、それじゃ、行きましょ」
「ああ」
***
「――それにしてもテロを防ぐ正義の味方としては、恰好悪くないか?」
幼稚園を出た後、俺と先生は目的地に向かうために歩き出した。車かバイクで颯爽と現地に到着するつもりでいた俺が着いたのは、近所の駅。案の定、改札を抜けガタンゴトンと電車に揺られてきた。そして、そのまま到着……ではなく駅からは徒歩で行くらしい。普段よりは足早だが、何とものんびりとした状況である。
「なんか葬儀に行く気分だ」
俺は隣を歩く先生の服装を見て、思わず口を漏らした。全身真っ黒、まるで喪服だ。
俺の呟きが聞こえただろうに先生は何も言わない。ここに来るまで彼女はだんまりを決め込んでいた。
そして駅から歩く事数分、やっと先ほどの爆発が起きた場所に着いた。辺りは騒然としており、消防車や警察など多くの人間が押し寄せ、色んな所から悲鳴のような叫び声が聞こえる。
「おい、金色さん。これは一体どういうことなんだ?」
中年の男性が先生へと声を掛けた。すると彼女はやっと口を開き、
「あら、お早いご到着ね。もう少しかかると思っていたわ」
「葵のやつに準備だけはしとけって尻を叩かれていたからな」
男は欠伸をしながら、煙草を取り出して火をつけた。
「それじゃあ、事後処理よろしく」
「全部終わった。そっちもあまり騒ぎにはしてくれるなよ。研究所の連中にも伝えといてくれ」
そう言い残すと、男は部下と思しき人たちの所へと戻っていった。どうやらかなり忙しいらしい。
「誰だ?」
俺が先生に訊ねると、彼女はやれやれと肩をすくめて教えてくれた。
「日本支部課長、柳公平。最近、禁煙を考えているとは聞いたけど……あれじゃ駄目ね」
そういうと、魔女は未だに炎が燃え上がる建物に向かって歩き出した。何も言わずについてこいと背中が語っている。俺もこの中に入るのか。そんな風に考えて立ち止まっていると、彼女はため息をついて振り返った。
「いいから。私が傍にいるから安全よ、もし崩れたら何とかしてあげる」
「そ、それなら」
呆れ顔をされるよりマシだ。俺は無我夢中で彼女の後を追った。人生初、俺は燃え盛る建物の中へと入っていった。
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