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それは一瞬の出来事だった。まばたき一つの後に映るのは真っ暗な世界。いや、ちらつく街灯に仄かな月明かり。ここは紛れもない、現実。事件が起きた場所であり、現在も事件が起きている場所だ。遊幽が呆然とした姿で地面に座り込んでいた。
「遊幽ちゃん!!」
「し、周ちゃん!?それに、ハンス・ブリーゲルさん!?どうして!?」
彼女に答えることもなく、赤城は遊幽へと詰め寄る。
「もう一人はどこにいる!?」
「たった今、消えたわ。五十メートル以上、ううん、もっと離れている」
「そうか、もう少し範囲を広げるべきだったね」
「その分、時間がかかるわ」
ひとまず敵は退散、任務は失敗してしまったということだ。赤城は倒れこんだ被害者たちの状態を確認し、改めて外傷はない事を確かめた。
「etcに関する文書」
安否を確認する赤城の背後で、静かに男が口を開いた。
「私もその噂は聞いている。魔法の全てを記した本。私も君と同じように任務でここにきた。アンダーソン・カイルは頼りにならないのでね、私が君のサポート役ということだ」
「つまりずっと見ていたわけですね」
「ああ」
「なら、もっと早く助けてもらいたかったです」
拗ねるように頬を膨らませる赤城に、ハンスは淡々と返す。
「君がどう対処するかを確かめたかった。まあ残念な結果に終わったが」
「むう……」
罰の悪そうな顔をする赤城を横目に、ハンスは都市の方を見返した。
「ここは襲撃を受けるにも襲撃をするにもいい場所だな」
いつもの癖でコートから煙草を取り出した彼は、躊躇うように再びそれを戻した。どうやら禁煙を心がけているらしい。
「ところで、アンダーソン・カイルはどこにいる。君たちと一緒ではなかったのか」
「いえ、もしかしたらまだ協会内に……」
「電話してくれ」
やや苛立たしげな顔で促すハンスに赤城も訝しげに目を細める。事実、彼の胸にも何か嫌な感じがしていた。
――もしかしたら、別の所で事件に巻き込まれているかもしれない。
僅かな不安を抱え、赤城は携帯を取り出す。数回のコールの後、アンダーソンは電話に出た。
『――もしもし』
「もしもし!?アンダーソン!?」
『おお、周か。どうだ無事に仕事は終わったか』
「いや、それよりアンダーソン!!今どこにいるんだ!!」
『ん?俺か?俺は……二十分前にデートを終えて家に帰る途中だが』
「……は?」
『それがどうした?何か用か?』
「いやいい。もう切る」
『おいおい、どうしたんだよ。周!!』
――プツッ
何事もなかったかのように赤城は携帯をしまった。
「無事でよかったな」
「全くですね、こっちは死に物狂いで戦っていたのに呑気にデートしてるとは思いませんでした」
「……とにかく彼にも危険が迫っているのは間違いない。当分は一緒に行動した方が安全だ」
「そうですね。ところで、被害者たちはどうなるんですか」
ハンスは彼らを一瞥すると、赤城の問いに淡々と答えた。
「彼らは協会が面倒を見てくれる。幸い、早期に治療ができる。命に別条はないだろう」
「よかった」
安堵の息を漏らす赤城に、今度はハンスが問いかけた。
「空間の能力は今のところ君が最も詳しいはずだ。全盛期に比べて劣っているとはいえ、専門家として彼らの状態をどう見る?」
しばらくの沈黙の後。じっと前を見据えたまま、赤城は答えた。
「関連はなさそうです」
「ほう」
「以前のように空間を切断した能力、【体分け】の能力だと仮定した場合、きっとその空間を維持することはできません」
赤城の見解にハンスは一人、その能力を思い返す。
――【体分け】。空間能力を持つ者が使う能力。体と体の間の空間、存在を分ける。つまり当人に自身の身体部位の認識を失くすということ。【元々それは存在していなかった】と。しかし今回の事件は認識を失くすのではなく、確かにそれは身体についており、存在していたという認識もあった。ということは――、
「やはり催眠か」
「そのようですね」
「なるほど」
会話を終えると、ハンスは協会の方に足を向けた。
「これから忙しくなる。二人ともついて来なさい」
「え、彼らは放置しといていいんですか!?」
「もう少ししたら協会員が来る」
そう言い残し、ハンスは振り返ることなく足を進める。仕方なく、赤城と遊幽も彼の背中について行くことにした。
***
「そういえば、周ちゃん。体大丈夫?」
ハンスの後を遅れるようについて行く中、唐突に遊幽が赤城の顔色を窺った。
「うーん、平気かって言われたら平気じゃないかな。久しぶりに戦闘なんてしたから勘が鈍ってたみたいだ。昔みたいにはいかないね」
「大丈夫、私がいるじゃない。足りないところはサポートする」
「……そうだね」
隣から涼しげな笑みを貰う赤城。釣られて彼もいつもの笑顔を取り戻した。自分にはこのような憂鬱そうな表情は似合わないと。
「ありがとう、遊幽ちゃん」
「なっ……!!」
「ん?遊幽ちゃん?」
瞬間、まるで火傷をしたかのように顔を赤らめる少女に、何が起こったのか不思議そうに見つめる青年。そして――、
「君たち、ちゃんと後ろをついてきなさい」
「ほ、ほら!!急がないと!!あの人、速足だからもうあんな先にまで行ってるじゃん!!」
「あ!ちょっ……遊幽ちゃん、引っ張らないで!!」
深夜に聞こえる男の掛け声。走る彼女に腕を取られ、赤城は協会の中へと入っていった。
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