演劇が終わった後

-私を忘れないでください-
宮下ソラ
宮下ソラ

「22」

公開日時: 2023年2月9日(木) 23:43
文字数:3,891

***




「これで用は済んだ。ロベルトは死亡、フーゴも戦闘不能、ケラーは逃亡か。まあ大方予想範囲だな」


男は左手に提げた彼女の頬を一撫ですると、恍惚とした笑みを浮かべた。そして目の前に倒れ伏しているロベルトに向かい、静かに口を開く。


「ロベルト、敵の手に渡る前に私がしっかりとあの世へ送ってやろう」


「マルセンはその必要はないと思う」


男が詠唱を唱える直前、どこからか老婆の様な女性の声が聞こえた。


「マルセンか」


「マルセンが見るにロベルトはまだ生きている。だからマルセンが回収する」


「勝手にしろ」


男がそういうと、やっと物陰に佇んでいた少女が姿を顕わした。


おそらく鈴木颯太が意識を失っていなかったのならば、彼女の姿を見た瞬間、大声で叫ぶだろう――「ノエル」と。


「それはそうと、未だ元の身体に戻れていないようだが、その身体は大丈夫なのか?」


「それはマルセンが判断することだ。ベルコルが関与することではない」


「……相変わらず不気味な話し方だな」


「マルセンの言語回路に異常が生じたのは仕方がない。この身体の副作用だ」


ノエルと同じ顔をした少女はロベルトを抱えると、割れた窓から外に飛び出した。男はその背中を見送った後、再び目の前に倒れる男に視線を戻す。


「ingは私が回収していくしかないか。まあ頭だけでもいいだろう」


口では面倒臭そうに言うが、男の機嫌は最高潮である。鼻歌を口ずさみながら、鈴木の方へと歩き出した。その時だった。




「私を永遠に愛してくれ」




声の様なものが男の耳に響く。




「私を永遠に愛してくれ」




「何だ?」


非常に小さい声だが、音の発生源はすぐにわかった。この場所には鈴木とベルコル――そして【彼女】しかいない。


男はゆっくりと左手に提げたものへと目をやった。




「私を永遠に愛してくれ」




確かに彼女の唇は動いた。


男は自分でも知らない内にそれを床に落としてしまう。鈍い音を立てて、転がる女の頭。


しかし、声が鳴り止む事はなかった。






「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」




徐々に大きくなる声。彼女の唇は同じ言葉を繰り返していた。


「この……言葉は……!?」


彼女が死ぬ直前、男に贈った言葉。男の身体に死が訪れない証であり、呪いの言葉である。


男は恐怖した。首だけの肉塊が言葉を紡ぐ事にではない。


彼女に対して、男は恐怖した。




「私を永遠に愛してくれ」


「やめろ!!」


思わず男は彼女の頭に向けて炎を放つ。


「しまった!!あそこには彼女の魂が……」




「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」


「私を永遠に愛してくれ」




炎に包まれても、彼女の唇はひたすら動き続ける。


瞬間、辺りが眩しい光に包まれた。


「何だ!?」


咄嗟に目を塞ぐ男。その一瞬の閃光が消えると同時に、男は驚愕した。


「有り得ない……」


彼の目の前には、自身の空間に置いてきたはずの胴体が立っていた。そしてそれは、床に落ちた彼女の首を拾い上げて在るべき場所へと戻す。


「数百年部ぶりに再会したのに、あんたは同じ事しか話さない。飽きたよ、まさか本当に最後まで同じ事を話すとは思わなかった」


目の前で嘆息する彼女の言葉を男は聞いていなかった。彼の脳内は疑問が駆け巡っている。




――何故蘇った。彼女も今は人間のはず。心臓を撃ち抜かれ、首を落とされて、生きているはずが


ない。何故だ。




彼女は男の意を汲んで、自ら説明し始めた。


「今の私は人間というよりはゾンビに近いから。痛みはあっても、そう簡単に死にはしない」


「話にならない。それなら、既に人間ではない」


「そう、私は人間ではない。人間でいることは既に諦めているよ」


当惑する男の顔を無視して、女は得意げな顔で続けた。


「十五年前にetcの文書について知ったって言ったわよね?そりゃそうでしょ、そういう風な噂が流れるようにしたのは私自身なんだから」


そこで彼女は一息をつく。再び口を開いた時、彼女の声は変わっていた。雰囲気はもちろん、その声は先ほどよりも幾分高いトーンになっている。


「ああ、アルベル。私はとても悲しいです。まさかここまで思い通りにいくなんて思いませんでした。アルベル、私があなたを忘れた時はありませんでした」


「そ、その声は……」


男にとって懐かしい声。一番聞きたかった声であり、今は一番聞きたくない声だ。


「十五年前、研究所を脱出する前から私はあなたの事を知っていました、アルベル。私をこんな風にしてしまった、あなた。私はずっと、復讐をしたかったのです」


「や、やめてくれ!!その声で話さないでくれ!!」


男の絶叫も空しく、なおも彼女は口を閉ざすことはなかった。


「アルベル、もう遅いです。あなたがそこにいると知って、私はすぐに協会からetcの文書を取り戻してきました。その時、ingについて知りました。それを保有している人間について。そして、私はあなたを待つことにした。あなたは私の捕虜、私の愛の捕虜。必ず私を元の身体に戻してくれると思って、ずっと待っていました」


「キルヘン!!」


「三年前のingショック、あなたは私が捲いた餌に見事引っ掛かり、ingを口実に責めてきました。でも私はあの時、あなたは研究所に留まっていて会えなかった。だから代わりにあなたの周りの人間を排除していきました。あなたから全てを奪いたかったんです。全ての権力を失くしたあなたを後悔させてあげたかったのです。計画通り、急進派は壊滅状態に陥りました。それでもあなたは私を取り戻しに来ると思って待っていました。ああ、アルベル……あなたはなんて哀れで愚かな人」


男は何も口を挟むことなく、彼女を一心に見つめていた。ひたすら彼女の言葉に耳を傾けているのだろう。


「四肢を切り落とされて、魂を封印されて目覚めるまで数百年。目覚めてから活動するまで十五年。長かったけど、ついにこの時が来ました。アルベル、私はやっとあなたに復讐することができます」


「待ってくれ、キルヘン。君はおかしい、人間ということを放棄してまで何故」


「おかしい!?そう、私はおかしい!!お前たちが私の子供たちを火あぶりした後、お前は何をした!?ああ……私はこの時をずっと待ち焦がれていたんだ!!」


いつのまにか彼女の声は、以前の彼女のものに戻っていた。


「キルヘン!!」


「――動くな」


後退しようとしていた男の身体が止まった。いや、動かす事ができないのだ。


「お前が知らない事を教えてあげよう。私がetcの文書を発見して、文字魔法を学問化したのは――、それが最も弱いものだと判断したからだ。魔法は文字より音声で発動するほうがよっぽど効率的だ。けど、私は音声魔法を学問化はしなかった。これは私だけの特権にするためだ」


「キ……キルヘン!!」


「そう、その顔だ。まさにそれだよ。私はそれを見るために数百年待っていたんだ!!」


狂ったように笑いだす彼女を前に、男の顔は恐怖に歪んでいく。


「――開きなさい」


彼女は静かに呟いた。すると男の背後に空間を裂いて、黒い門が現れた。それは男を歓迎するかのように徐々に扉を開けて行く。


「etcの文書……そんなものあんたにあげるわけないだろ。只の餌だ。私の身体を戻したい?笑わせる、私は天城紫乃でもないし金色の魔女でもない。二人の記憶と性格は既に同一のものになっているんだよ」


男は必死に身体を動かそうとするが、彼女の魔法でぴくりとも動くことはない。


「くそっ!!」


黒い扉の中――闇の中から何かが這い出てきた。


「紹介するわ。それはあなたたちが焼き殺した子供たちよ」


黒い物体が、男に身体に覆いかぶさっていく。心では抵抗を訴えるが、依然として身体は固まっている。彼女は爽やかな笑みと共に男へと近づいた。そして耳元で小さく口を動かす。


「ねえ、知ってる?あなた、自分が本気で私に惚れていると思っている?」


「どういうことだ」


「私が首を切り落とされる瞬間、最後の瞬間、あなたの顔が目の前にあった。だから私は死ぬ前にあなたに呪いをかけたの。私に惚れるという呪いを。お前が私に惚れるわけがないだろう!!自身の家族も仲間も民も惨殺した私に惚れる奴がいるものか!!お前は、私に復讐されるために呪われたんだ!!」


信じられないという顔だ。男には到底想像すらできない事実。その顔を見て、ひたすら魔女は笑いつづける。


「さようなら。私の子供たちも大歓迎してくれているわ」


「キルヘン!!!キルヘン!!!」


男の断末魔が遠く木霊する。


黒い門は容赦なく男を取り込んで、扉を閉じた。


「――消えて」


魔女の言葉通りに、その黒い門は姿を消した。彼女も疲れたようにため息をつく。


「これで……全部終わったのか」


瞬間、戦場に似合わぬ軽快なメロディが彼女の懐から聞こえてきた。


「もしもし」


電話の主はリニアだった。彼女は師匠の言う事も聞かずに戦闘に出たようである。やはり飛び出していったのかと、弟子の真摯さに思わず笑みを零した。話の内容によると、リニアはもう一カ所別のテロの処理をしたと自慢をするために電話をかけてきたようである。


「お疲れ様、早くお家に帰って休んでなさい」


そう言って、彼女は電話切る。そして魔女は気絶している鈴木の元へと近づいた。


「御苦労さま。巻き込んで悪かったわね」


彼女は鈴木の頭を優しく撫でた。


「終わったわ。もうこれで、全部終わった」


そう呟く彼女の横顔はどこか寂しげである。

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