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「はあ……」
奏はため息をついて窓を眺めた。先生も、鈴木も、リニアも向かったのに自分だけはここに留まるしかない。そう思うと何故か寂しさがこみ上げてくる。まるで自分は役立たずのように思えてしまうのだ。
「ねえねえ、それで私たちは何をしていればいいの?」
「わからない」
「な……何なんだよ、さっきから。敵が攻めてくるんじゃないの!?」
上の空の奏に、ノエルは地団駄を踏んで話しかけてくる。しかし奏の言う通り、いつ敵が攻めてくるかも分からない状況、且つ敵の力量もわからないままでは対処のしようがないのだ。自分はどうするべきなのかわからない、奏は当惑していた。そんな奏を見て、真田はそっと彼女の頭に手を置く。
「落ち着いて」
「……先生」
「大丈夫、きっと上手くいくわ」
「……本当にそうでしょうか」
「今はただ待ち続けるの、上手くいくと信じて。私はそうやって生きてきたわ」
そっと笑いかける真田を奏はじっと見ていた。そんな真田の服を掴んで離さないノエル。きっと彼女も現在の状況が非常に緊迫したものであるとわかっているのだろう。奏は意を決すると、自身の部屋を目指して走った。そして、勢いよく箪笥を引きだす。そこには白い着物があった。
「私は……私のやるべきことは」
奏は迷うことなく服を脱ぎ捨て、その着物に腕を通す。奏にとって、一切の汚れもない純白の戦闘服だ。そして彼女は御幣を手にした。
「たとえどんな敵が来たとしても、私は最善を尽くして阻止する」
――皆に頼まれたから、大切な自分の家を奪われたくないから。
奏は目を閉じ、覚悟を決めた。
「……誰か来る」
瞬間、妙な気配を察知した奏は外に向かった。ノエルと真田も同じく気配を感じたのか、彼らと途中で合流すると、三人揃って外に出た。
彼らの数メートル先で誰かが立ちつくしている。赤い髪をした男。青年と言うよりは少し年老いた印象だが、その活き活きとした表情で妙に若く感じられる。
「ここがあの女の家か!!思ったより素朴だな」
男はきょろきょろと顔を動かしながら、奏たちに近づく。
「君、この家の人間?」
男の問いに、奏は無言で頷く。
「そっか、それじゃあ勝手にやってきて悪いけど、こちらも用事あってね。魔女が持っているetcの文書、どこにあるのか知っているかい?返してもらいに来たんだけど」
「……そんなもの知らない」
無愛想に答える奏に対し、男は困ったようにため息を零した。
「知らないか……確かに、簡単に教えてくれるわけないよね。それじゃあ、君たちを全員処理して、自分で探すしかないのか」
そう言うと、やっと男は奏の後ろで立ち尽くしている二人に目をやった。
「あれ、良く見たら脱走兵たちじゃないか。こんな所で会えるとは思わなかったよ」
「……ケラー」
男の名を呟くノエル。彼女の顔は色を失っていた。
「いつから私の名前をそんなに堂々と言えるようになったんだ」
ケラーと呼ばれた男は、鋭い目つきでノエルを睨みつけた。思わず彼女は真田の後ろに身を隠す。一方の真田は真っすぐと男を見据えていた。今にも戦闘を始められる態勢だ。事実、彼女はノエルと違い戦闘を目的として造られた存在。普通の改造人間より、いくらか丈夫に作られていた。
「女三人か。仕方ない。礼儀に反しても目的は実現しなければならないからな」
そう言うと、男は親指を鳴らした。すると男の背後から、徐々に黒い物体――影が這い出てきた。
「ノエル、お前の弟たちだよ。感情と思考を制御するより、そのまま人間の形をしたものを量産する方が遙かに費用も安く収まった結果だ。芸術性は無くなってしまったがな」
恐怖と驚きを隠せないノエルと真田に対し、奏は必死に冷静を保つように努めた。
――だめ、私がここを守らないと。
奏は一心不乱に御幣を振り始めた。
「へえ……これが巫女の力か」
男は興味深げに奏の儀式を眺める。
「けど私の報告書だと、君の力は直接的な攻撃は無理なのだろう?」
男の言う通りだった。奏の能力は相手の動きを止める事ができるが、それだけである。
「二人とも!!早く!!」
奏の声に、すかさずノエルは懐から拳銃を取り出し、引き金を引いた。男の身体は奏の効果で身動き一つ取れずに、弾丸を受け入れる。真田も男に向かって走り出す、忍ばせていたナイフを押しこむ。
静寂。
男は拳銃に撃たれても、刃物で刺されても、苦痛一つ顔に出さなかった。
「そんな……どうして」
驚きを隠せない真田に対し、男は笑っていた。
「既に策は打っているに決まっているだろう」
動けないはずの男の身体が動いている。すかさず真田は後退した。
「一種の催眠術だよ。私の友人に空間催眠という能力を持った奴がいてね、残念ながら私にはその才能がなかったが、催眠について興味を持ったんだ。どのタイミングにどのように行動すれば、相手が催眠にかかるのかを。空間催眠程ではないが、私も多少は魔法を使える身だ。自身の研究結果と魔法を合わせた結果、今君たちは私の術中というわけだ」
話しながら、男の姿はまるで影分身のように一人、二人、三人と増えて行く。影と共に、男はゆっくりと奏たちへ近づいていった。恐怖で真田にしがみつくノエル。そんな彼女たちを見て、一層声高くケラーは笑った。
そして、拳銃の先を奏に突きつける。
「悪いな、お嬢ちゃん。これも仕事だ」
──パンッ!!
───パンッ!!
─────パン!!
三発の銃声。
奏はゆっくりと目を開ける。
すると、目の前の男は苦悶の表情で体を押さえていた。そして、奏の背後、攻撃が飛んできた方向を睨みつける。
「ったく、こうなるとは思っていたんだ。リニアに任せたところで、勝手に飛び出していくに決まってるだろ」
「くっ……お前は」
奏も男の視線の先に目をやった。そこには彼女も顔なじみの男、時宮葵が立っていた。
「ごめんね、全員飛び出してった時からここにいたんだ。それでコイツを待っていたってわけ。そうじゃなきゃ、俺も催眠にかかっちゃう可能性があったからさ」
驚いた表情を向ける奏に笑いかけた後、すぐに彼は男へと視線を戻した。
「実際に会うのは始めてだね。【若いケラー】……協会内でも有名だよ、三年前の戦いで生き残ってしまった、最悪な人間の一人として」
「これは、これは。ingショックの英雄じゃないか。なるほど、腹部に水弾三発……中々のダメージだ、水も侮れない」
「痛いはずだ、それは只の水じゃない。かなり圧縮されているからな」
そう言うと、葵は手に持っていた水筒を軽く振った。
「空気で作るよりだいぶ効き目がある」
そして、彼は笑いながら男に声をかけた。
「ケラーの催眠は有名だ。三年前にも同じ被害を受けた人間は多かったからな。だから協会の指針書にも書いてあるんだ。催眠にかからないためには戦闘に入る前、【ケラーの声を避けなければいけない】、【ケラーと顔を合わせてはいけない】、【ケラーの行動を無視しなければいけない】。悪いけど、今回そこの三人には囮になってもらったわけ」
「そうか……私も有名になり過ぎてしまったというわけか」
息を荒げながらも、男の闘志は未だに消えていなかった。彼は葵を睨みつけ、
「etcの文書……お前ならどこにあるか知っているだろう」
「残念だけど、俺にもわからない」
「なんだと?」
当惑する男を無視して葵は再び腕を構える。
「そんなことより……他人の家に許可なく訪れるなんて礼儀がなってないね。それ相応の罰は受けてもらうよ」
「葵……」
ふと、奏が葵の服を引っ張った。彼女も何か力になりたいようだった。
「奏、君は戦闘に長けていない。後ろの二人はそもそも相性が悪い。俺一人で大丈夫だ」
その言葉に奏は残念そうに俯く。
「けど――、奏。その勇気には感心したよ」
葵は彼女の頭を優しく撫でて笑いかけると、ノエルと真田に目を移した。
「あの男は俺が引きうける。あんたらは奴の背後に控えてる影を倒してくれ」
「は……はい」
真田はぎこちなく頷く。一方のノエルは小刻みに首を横に振っていた。
「だ、だめよ。私には……できない、してはいけない」
「……それはお前の意志か。ミス・ノエル」
「え?」
再び葵は腕を構える。彼の指の先はケラー、ただ一人に向けられていた。
「さあ……ケラー、始めよう。俺を倒してから、好きなだけ文書を探せ」
「ははは、いい度胸だ青年。私も楽しくなってきたよ」
そしてまた、新たな戦いの火蓋が切られたのである。
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