「ここにいたの」
真田の声に少女が振り向く。
天城の部屋を後にした真田は、外の空気を吸いに幼稚園の裏門へ向った。たくさんの子供たちが遊びまわる中、一人寂しげにその様子を眺めるノエル。真田は彼女の隣に腰掛けると、前を見据えたまま静かに会話を切り出した。
「ノエル……私が何を言いたいのかわかる?」
「うん」
「そんなにここにいるのは嫌?」
「嫌」
真田は不貞腐れたように頬を膨らます少女の顔を一瞥して、くすりと笑みを零す。不機嫌を装っているノエルだったが、その瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。
「じゃあ私の家はどうかしら」
「迷惑でしょ。ただでさえ狭いワンルームに二人で住むなんて」
「……ならここにいて」
「だから、それは嫌だって言ってるでしょ!?」
思わず立ち上がったノエル。その姿に遊んでいた子供たちは驚き、逃げるようにその場を離れて行く。
「……ノエル」
真田は彼女に何か声を掛けようと思ったが、何も言えない。何も聞きたくないと彼女の顔が語っているかのようだった。
「大体……私は、私は裏切りなんてしていない!!あのイカれた男があんたを……!!私はあんたを死なせたくなかったから……だから私は裏切り者なんかじゃないわ!!」
その小さな拳をきつく握りしめて叫ぶ少女に、真田は一呼吸おいて諭すように口を開いた。
「それでも……それでも研究所はあなたの事情なんかどうでもいいのよ。指示に従わなかったということは裏切ったと同義。そう考える連中なんだから」
「……っ」
言い返そうとするノエルの肩を真田はしっかりと掴む。そして彼女の瞳をまっすぐ見据えた。
「あなたが私を死なせたくなかったように、私もあなたを死なせたくない。だから、あなたが選ぶ道は二つ。ここに残るか、私のところへ来るか。あなたが私に負い目を感じるのであれば、ここにいなさい。そのほうが安全面でも上だわ」
「でも……!!」
「でもじゃない。ノエル、あなたは選ぶの。あなた自身で、あなた自身のことを」
少女の瞳が揺れる。いや、少女の心が揺れたのか。ノエルは気の抜けた顔で視線を落とした。その様子に真田は慌てて、彼女の肩から手を離す。
「――ご、ごめん。ちょっときつく言いすぎたわね」
何も反応を示さないノエルに、真田はやや体を落として彼女に声を掛ける。
「ノ、ノエル?」
「……バカ」
「え?」
「バカ!バカ!!バカー!!!真田ちゃんなんて大ッ嫌い!!!」
駄々をこねる子供のように、ノエルは泣きながら走り出す。その背中を追うことなく、真田は深く息を吐いた。彼女のなりに精一杯がんばったつもりだったのだ。
***
「……人の気も知らないで」
走り疲れたノエルは近くのベンチへと腰かけた。下を向いていると涙が次々と零れ落ちそうになり、その度に彼女は涙を拭う。
「私は裏切ってなんかいない……でも、もうあそこへは帰れないのだとしたら」
服の裾を握りしめるのと同時に、彼女の顔もきつく歪む。
「絶対にここに残る事はできない。私を狙っていた人間と同じ場所で暮らすなんて絶対に……私は一人で生きて行く」
決意を固めたノエルだったが、まるで空気を読まない彼女の身体は一人手に間の抜けた音を鳴らす。
「……お腹空いた」
朝から何も口にしていない。時刻はもうすぐ夕暮れ時。お腹が空いていて当然だった。お金もない、帰る場所もない。彼女は途方にくれてうなだれる。
ふと、視界の隅に黒い影が映った。早くも研究所の連中が来たのかと、ノエルは最大限に警戒をして顔を上げる。
するとそこには――、
「あ」
ノエルの目の前に立つのは少女。それも両手に黄色いビニール袋を抱えた少女だった。呆然とする彼女に対し、少女は何も言わずにその隣に座る。
「何か用」
得体の知れない恐怖とでもいうのか、ノエルは彼女が何をしに来たのかわからず、探る様な視線を少女に送った。
しかし当の本人は何てことないように、
「夕飯、食べないの?」
「……別に私の勝手でしょ」
そう言いつつも、ノエルの視線は少女の袋から見え隠れするたくさんのお菓子に眼を奪われていた。
「大人数になると思ってたくさん買ってきたの」
「ふん、私は食べないわ」
「食べて」
「嫌」
「食べて」
「嫌!!」
「食べて」
「嫌だって言ってるの!!!」
本日何度目かの言い問答に、つい痺れを切らしたノエルが怒鳴った。しかし少女は何も反応を示さず、先ほどと同じ口調で繰り返す。
「作るのは私。だから食べて」
「……っ」
これ以上言い合っても無駄だと思ったのか、ノエルは少女の言葉を無視した。それでも彼女は無言でノエルへと圧力をかける。
「何なのよ、何しに来たの!!」
「お腹空いてる?」
「そんなことどうでもいい」
「チョコとバニラ、どっちがいい?」
気づくと彼女は両手にそれぞれ二つのアイスクリームを手にして小首を傾げていた。眼の前に突き出される食糧に、思わず喉を鳴らすノエル。
「……イチゴがいい」
最後の意地でノエルは彼女に反抗する。つまりイチゴ味以外は口にしないと言いたいのだろう。ついに少女は諦めて去ると予想していたノエルだったが、
「はい」
彼女はノエルの予想を裏切り、少し戸惑いを見せたものの、袋の中からもう一つのアイスクリームを取り出した。それは紛れもなくノエルの希望した通り、イチゴ味だった。
ここで断っては罰が悪い。ノエルは観念して少女からアイスクリームを受けとった。そして少女もバニラ味を手に、二人は揃って封を開ける。
一口、二口と口にして、ノエルは躊躇いながら少女へと声を掛けた。
「な、なあ。名前、何」
すると少女は不思議そうに見つめて、
「……アイスクリーム」
「そうじゃなくて、あんたの名前!!!」
「奏。九条奏」
「そう」
そして再びアイスを口に運ぶ。寒い冬空の下、二人の少女は公園のベンチに腰をかけ、冷たいアイスクリームを食べていた。
「私ね……帰る場所なくなったみたい」
しばらくして、食べ終わったアイスクリームの棒を手元でくるくると弄びながら、ノエルはぽつりと口にした。
「裏切ったわけじゃないのに、他の人から見たら完全に裏切り者らしいわ。でも、だからって無理やり他人の家に住むのも嫌」
自分と同じような年代に見えたのか、ノエルは気付くと奏に愚痴を零していた。
「それより帰ろう。晩御飯作らないと」
「え?」
まるでノエルの話を聞いてなかったのか、奏はベンチから立ち上がると、彼女に向かって当然のように手を差し伸べる。
「私、そこそこ料理はできる。きっと美味しい」
「そんなのどうでもいいわよ。とにかく私はここから動かない。私に帰る場所なんてないの。親もいない、本当の家もない。だから……!!」
「無いなら作ればいい」
その言葉にノエルは言葉を詰まらせた。真田の言葉を思い出す。
――自分で選ぶ。
黙り込んだ彼女を前に奏は帰路につく。早く用意しなければ、夕飯の時間が遅くなるからだ。
ふと、彼女は思い出したように、ノエルへと振り返った。
「あの家の人間はみんな良い人だよ。それと、私は一緒に住んでいいと思ってる」
そして、奏は彼女に背を向ける。その手をノエルは勢いよく掴んだ。
「あの」
奏の視線がゆっくりと彼女に向けられた。一瞬驚くものの、ノエルはしどろもどろに、奏へとこっそり耳打ちする。
「おいしいパスタが食べたいわ」
その言葉に奏も小さく笑いかける。
「私もパスタは好き」
恥かしげに嬉しげに俯くノエル。瞬間、その後ろで何かが蠢いた。
「お……重い」
両手にたくさんの袋を抱えた青年がフラフラとした足取りで歩いてきた。それは二人がよく知る顔、鈴木颯太だ。
「大人数だから買う量はわかるけど、交通手段が何もないってのはどういうことなんだ」
彼は二人に眼をくれることなく、ブツブツと独り言を呟きながら通り過ぎて行った。そして数歩過ぎてから気づいたのか、首だけを後ろへ傾け、
「奏、何してるんだ――っと、その子は研究所の」
「ノエル」
「そうだった。というか、二人とも早く帰るぞ。こんなところにいつまでも居たら風邪ひいちまう」
彼も当然のように奏とノエルに帰宅を促す。まるでもう帰る場所は同じみたいな言い方だ。
ふと、鈴木の視線は地面に落ちたアイスクリームの袋に眼をやった。
「おいおい、ゴミはゴミ箱に……って、ん?これ」
さっと奏へ視線を送る鈴木。奏もさっと視線を反らす。
「奏さん、そこに落ちているアイスの包装、見覚えあるんだけど、あのイチゴ味の」
奏は何も言わずに明後日の方向を見ている。沈黙が真相を語っていた。
「これだけは俺の自腹だったのになあ……」
ただでさえ荷物で沈む肩を更に落とし、鈴木はとぼとぼと帰り道につく。責めるに責められない状況を察したのだろう。次いで奏も彼の後をついて行く。ノエルの手を引いて。
「ちょっ……手なんか握らなくてもいいわよ」
「あのまま歩き出しそうになかったから」
むすっと頬を膨らまし、ノエルは奏の手を振り払った。そして、彼女の数歩先を歩き、後ろを向く。
「奏って言ったわよね」
「うん」
「私は、ノエルよ!!」
「知ってる」
何を今更みたいな視線を向ける奏に、ノエルは顔を真っ赤にして抗議した。
「ちゃ……ちゃんと自己紹介したかっただけよ!!」
「そう」
「そうよ。それと…………よろしくおねがいします」
消え入るような声でぼそぼそと呟くノエル。奏はそれを聞き洩らすことなく、しっかりと耳にしていた。
そして――。
「私も、よろしくお願いします」
魔女の家にまた一人、家族が増えた。
***
読み終わったら、ポイントを付けましょう!