『ハンス・ブリーゲルは後始末を専門とする』
この言葉の意味がどういうことか改めて理解した。彼は少女の片方の腕に短剣を刺した、そして少女に悲鳴を上げさせる暇もないまま別の個所を刺す。俺が口を挟む間もなく、次々と刺し続けるハンス。そして最期に壁に投げ捨てられた少女は、悲鳴をあげる気力もないのか壁にもたれかかっていた。
「背後にいるのは誰だ。ロベルトか、ゴットフリー・ヒットか? ルイーゼは死んだはず、フーゴはまだ生きているのか?」
ハンスの尋問に対し、少女は何も答えぬまま俯いている。
「知っていることは話せ」
彼は少女の首元を掴んで持ち上げた
「や……やめろ! まだ子供だろ、何してんだ、あんた!!」
「これは人間ではありません、人間のように見える人工生命体。詳しい技術は分かりませんが、三年前に研究所が作り上げたものです。そしてこれらは我々の敵です。容姿で判断してはなりません」
「けど……見ていて気持ちがいいものじゃない」
すると、ハンスは鋭く反論をした。
「こいつはあなた方に向かって発砲した。要するに君は死ぬ可能性があった。更に今のこいつは、おそらく上司から制約がかかっている状態。いきなり殺しにかかるものに慈悲をかけろと?」
「それは……」
彼の言っていることは正論だ。ちらりと少女の様子を窺う。すると少女は怒りの籠った瞳で、まっすぐとハンスを睨んでいた。その表情はどこか嫌な予感がする。冷や汗が頬を流れた。
次の瞬間、少女はひとり呟く。
「私の趣味は―、
爆弾設置だよ」
突如、大きな爆発音と共に周辺の木々が倒れ始めた。初めてハンスの顔に動揺が現れた。そして俺たちへと振り返る。俺もリニアも傷を負っており、倒れてくる木を避けることは不可能だった。
「ハンス・ブリーゲルと戦うというのに、何も準備をしてこないわけないだろ」
形勢逆転した少女は笑みを浮かべていた。そして傍に落ちていた拳銃を拾い、リニアへと照準を合わせる。
「さようなら」
「リニアっ!!」
俺が伸ばした手は彼女まで届かなかった。
一発の銃声が響き渡る。
その透き通った音は、ずっと俺の耳の中で木霊していた。
「おい……!!」
口から自然と言葉が零れた。大量の血が道路に流れ落ちている。
この血は……
「―ハンス!!」
彼女の悲鳴にも似た叫びが聞こえる。ハンスはかろうじてリニアを庇ったものの、銃弾が肩を貫通していた。
「この出血の量……やばいぞ!!」
「ハンス! しっかりして、ハンス!!」
急いで駆け寄るが彼の瞳は虚ろとしている。息はまだしているようだが、重症には違いない。
「あら……ハンス・ブリーゲルに当たっちゃった。どうしよう……ええと。とりあえずもう一発撃つね」
少女は笑顔で再び拳銃を構える。
「させるかっ!!」
少女が引き金を引く直前、俺は勢いよく少女に向けてピアノ線を投げた。見事に命中し、拳銃は少女の手元からはじけ飛んだ。
「あーあ。あと……ちょっと、だったのに……な」
力尽きたのか、少女もその場で意識を失った。とりあえず勝負はついたみたいだ。
「ハンス!!」
視線を戻すと、リニアは肩を震わせて彼の手を握りしめていた。
「ハンス……何で私なんか庇って……」
するとハンスは消え入るような声で彼女へと笑いかけた。
「娘を……守ることに、理由なんて……要りませんよ」
「ハンス……」
「大丈夫ですよ、お嬢さん。私は……こんなところで、死にやしません」
言葉とは裏腹に、ハンスの呼吸は先ほどより荒くなっていた。出血も未だに止まらない。
「早く手当てを……」
「お嬢さん……気をつけてください」
彼の忠告にリニアはすぐに正面を見据えた。釣られて俺も前を見る。
暗がりにすらりとした美青年が立っていた。いや、ただの美青年ではない。彼の口元に生えた長い髭は不気味さを出していた。青年は気絶した少女を両手で抱え上げ、ため息を零した。
「やれやれ……ここまで実績に執着するとは。まあ、少なくとも評価できる部分もありますね」
青年の視線は少女からハンスへと向けられた。
「久しぶりだね」
「貴様が……背後だったか」
すると、青年は心外そうに口を尖らせて答えた。
「それはちょっと違うね。私が下した命令は監視だけ。部下が勝手に突っ走っただけだ、でもここは謝罪をしとくよ」
「喧嘩を売っているのか?」
「いや、今日はこれを回収しに来ただけだ」
そして青年は身を翻す。
「では、さようなら。リニア・イベリン、鈴木聡太。今度会う時は楽しく遊ぼうね。期待しているよ」
そう言い残すと、青年は闇に溶け込むように消えていった。
***
その後はかなり大変だった。ハンスを普通の病院に連れていくこともできず、急いで先生の元まで彼を運び、幼稚園で手当てをしてもらった。幸いにも一命はとりとめ、体内にも銃弾の破片は残っていなかった。ただ弾丸事態に刻まれた魔法がかなり強力だったのと、やけどの跡がひどいこともあり、回復にはだいぶ時間がかかった。通常の治りの速度より二、三倍早いこちらの治療技術でも、ハンスの傷が癒えるまでには三日もかかった。
三日後、俺ならあの傷から完全回復には五日はかかりそうだというのに、ハンスは既に回復を終え、本国・魔法協会へと戻るようだ。体調のこともあり、リニアは不安そうに彼を見ていた。
「もう帰るの?」
「これも仕事です。定期報告をしなければなりません」
「そっか」
あからさまに落ち込む彼女をしばらく眺めた後、ハンスは言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「おそらく。私の推測なんですが、上層部の『リニア・イベリンを処理しろ』という命令は何らかの偽装工作だと思います。研究所の動向を見るための作戦かと。それだと私が派遣された理由も納得がいきますし」
「なるほどね」
リニアは勘弁してくれという顔でため息をついた。隣で聞いていた俺も、呆れるしかない。そんな茶番のために俺たちは本気で戦ってたのか。
「おかげで成果は得られました。お嬢さんはこれからも自由にしていて大丈夫でしょう。しばらく我々協会側は、研究所を注視しなければならないので」
彼女は少し不服そうな顔でハンスを見ていた。
「まるで私なんか、どうでもいいみたいな……」
「お嬢さん、そんな顔をしないでください。私も娘が五年間でどれほど強くなったか試してみたかったのです。この先研究所に狙われる回数も増えるでしょう。ある程度の実力がないと生き残れませんから。敵に殺される位なら私が安らかに送ろうと判断した結果です。これも愛しい愛娘への愛情表現ですよ。娘の成長を見守ることは親の義務であり、楽しみでもありますから」
「さらっと恐ろしい冗談を交えてくるあたり、あんたの体調は万全のようだな」
優しい微笑みのような悪魔の頬笑みのような、どちらとも取れる笑いを残してハンスは玄関へと向かった。その背中を見送りながら、リニアは自信たっぷりに声を投げかけた。
「ハンス、次会う時には手加減抜きだからね」
「はい。それでは失礼いたします。キルヘン、あなたにもお世話になりました。ありがとうございます」
「はいはーい」
扉が閉まっても、しばらく俺は動けなかった。
―キルヘン?
「あ、それ私の名前よ」
俺はよっぽど不思議そうな顔を浮かべていのだろう、先生は事もなげに答えた。
「何だよ、名前あったのか」
「当たり前でしょ」
「それもそうか。ところで、先生はどこまで知ってたんだ?」
「まあ、なんとなく。勘かな」
雑誌を読みながら返事をする先生。この件ばかりは適当に答えられるわけにはいかない。
「ちゃんと答えてくれ、俺だけ何も分からない状態で苦労するのはもう御免だ」
すると先生は憐れみにも似た視線を送ってきた。
「もう終わったことなんだから……ハッピーエンドだったからいいじゃない!!」
「これは俺が欲しかったハッピーエンドじゃない!!」
俺は思わず頭を抱えて叫んでしまった。
ハンス・ブリーゲルが帰国後、俺たちには再び日常が戻ってきた。もちろんリニアが追加された日常だ。何の間違いか、俺の足は自然と幼稚園へと向かっていた。そして、気が触れたのか自ら幼稚園の玄関を開ける始末。
「あれ? そうちゃん、どうしたの?」
驚いた顔のリニアを見て、やっと我に帰るが俺の口は勝手に本音を告げていた。
「い……一緒にご飯食べようって約束したろ」
「ああ、あれ本気だったんだ?」
「あたりまえだろ」
「そっか……そっか!!」
リニアは何が嬉しいのか、いつもよりきつく俺の身体を抱きしめてきた。まあ、別に嫌ではない。彼女の笑顔を見てそう思った。
今回の事件。協会と研究所の争いが始まりかけている証拠だ。
これではまるで―、
「Retrace…というか」
Track2 Retrace end.-
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