演劇が終わった後

-私を忘れないでください-
宮下ソラ
宮下ソラ

Track.3 A Bad Dream

「1」

公開日時: 2023年2月9日(木) 23:35
文字数:5,945

 


「寒い」


吐いた息が白く染まる。今は連休中だが、俺は図書館で勉強するためにわざわざ学校に来た。目に見えての成果は出ないが、何もしていないよりはいいと思っている。バイトに勉強……確かに身体は疲れるが俺なりに満足感もあるため、不満はない。


今日はこのまま帰って一眠りでもするか。




「え……」


何故か校門の前にリニアが立っていた。


「おつかれ。ちょっと散歩しない?」


「別にいいけど」


特に会話をすることなく、俺はリニアの後ろをついて行くことにした。寒空の下をただ歩き続ける。行く先すらわからないまま。




―ああ、でも。




認めたくないが、こいつらとの生活は嫌ではない。一緒にご飯を食べたり遊んだり。何より他人と会話する機会があるということが一番嬉しい。サークルに入る機会を逃してしまったおかげで、俺は葵以外とめったに学校で会話することがないからだ。


「ところで、どこに向かっているんだ? だいぶ歩いたけど」


「幼稚園だよ」


「大学からだとかなり距離あるぞ?」


「大したことないって。今日はそうちゃんと一緒に歩きたい気分なの」


そういってリニアは笑顔で振り向いた。


「何だそりゃ。こないだも買い物する時一緒に歩いただろうが」


「そういうのじゃなくて!」


俺が気だるそうに答えると、リニアは拗ねた表情で俺を見返してきた。


「……まあ、たまにはこんな風に落ち着いて歩くのも悪くないかな」


すると彼女は一気に笑顔へと戻った。ころころと変わる彼女の表情はとても活き活きしているように思える。


「嬉しそうだな。何かいいことでもあるのか?」


「ううん、ただ一日一日が楽しくて」


「へえ。よかったな」


「そうちゃんは違うの? 楽しくないの?」


リニアはぐっと顔を近づけてきて、まっすぐと俺を見据えた。彼女の澄んだ瞳を見ていると、俺もつい本音を滑らせてしまいそうになる。


「いや、俺も……楽しくなくはないけど」


「じゃあ楽しいんじゃない」


「待て、『楽しくない』の反対は必ずしも楽しいというわけでは」


「じゃあ楽しくないの?」


「いや、今は楽しいけど」


反射的に答えてしまった。リニアはだんだんと口角を上げ、目を輝かせる。


「そっか!! それなら良かった。明るくいこう、楽しいとか嬉しいと感じたら笑おう。そんなに難しくないから」


「おい、その言い方はまるで俺が全く笑わないみたいじゃないか」


「そんなことないって」


楽しそうに笑っていたリニアは、気づくと俺の隣を歩いていた。




他愛無い会話が続く。突然、一際寒い風が頬を撫でた。コートの上からでも感じるこの寒さ。


「そろそろ年末だな」


「そうだね」


「この一年どうだった?」


「前半は逃走、後半は寄生」


「おい」


マフラーに顔をうずめるリニアを俺はじっと見つめた。今更ながら、やっぱりリニアは美人だ。でもこの性格じゃ、まず男はできないだろう。いや、たとえ出来たとしてもそいつは一生苦労するだろうな。


「大変そうだな」


「何が?」


「お前と結婚する男は、一生苦労しそうだな」


数秒間の沈黙。




まずい、もしかして琴線に触れてしまったか……。




恐る恐る彼女の様子を窺うと。リニアは顔を赤らめていた。


「何だよそれ……ていうか、こっち見るな」


勢いのあるストレートが俺の腹部に命中した。リニアはしばらく顔を伏せると、今度は笑顔で軽めのストレートを突き立てた。


「淑女の前でそんなこと言ったらダメでしょ。鈴木聡太さん?」


「……はい」


「よろしい」


俺は二度とこの話題に触れてはいけないと学んだ。




「そういえば、最近は何してるんだ?」


「ただただ生きている」


つまりニートか。


「協会から連絡は来たのか?」


「一応はね。私が処理対象になってたのは、研究所の動きを見るための策だったんだって。まあ元々、追われていた身だからこんな役回りも仕方ないけど。とりあえず、私はまだ協会に所属という形で、所謂待機状態みたいな感じ」


「ほう」


「ちなみに月給はきちんと貰えます」


「うわ……なんだそれ」


「まあまあ。待機状態ってことは、研究所の動きを監視してろってことなんだから仕事はしてるのよ。ということで、ここでしばらく遊んで暮らします」


結局、遊んでるんじゃねえか。


「いいな」


「え?」


「いや、なんか羨ましくて。自分でも何が羨ましいのか分からないけど」


気づくと、俺は脚を止めて立ち尽くしていた。




―俺はいったい何のために勉強しているんだ?




「よっ」


突然、リニアが俺の鞄を取り上げた。


「何これ、かなり重たいわね」


そうは言うが、彼女は軽々と鞄を持ち上げていた。


「大事なものが入っているんだから落とすなよ」


「大丈夫、大丈夫……うわ、なんか色々入ってるね。ノートに辞書に単語帳……とまた辞書!?」


歩きながら人の鞄を漁る彼女を、俺は呆然と眺めていた。


「ねえ、どうしてこんなに勉強するの?」


「どうしてって……他の人もしてるから俺もしてるだけだ」


「それ、本当に勉強っていうの?」


怪訝そうな顔をするリニアに対し、俺は当たり障りのない返答をした。


「俺が望むのは平凡な生活。何かになりたいわけじゃない。だから皆と同じように勉強してるだけだ。それにサークルも入ってないからバイト以外の時間は暇だしな」


「へえ……真面目だね」


「別に。疲れてそのまま寝たりもするし。大体、みんなこんなもんだろ」


「なんか……そんなに他人を意識する必要ある?」


「あるだろ。世の中一人じゃ、やっていけないんだし」


「……そうだけど」


「それより、いい加減鞄を返してくれ」


リニアに向かって手を伸ばすが、彼女は俺の手をひらりと避けた。


「重いでしょ、今日は私が持ってあげる」


「え……ああ、ありがとう」


俺は行き場を失った手で訳もなく鼻をかいた。




だいぶ歩いてきた気がするが、まだまだ幼稚園は遠い。


「本当にバス乗らないのか?鞄も重いだろ」


「いいの! 今日はこのまま歩いて行きたいって言ったでしょ。心配しなくても、多少はそうちゃんよりも体力あるつもりよ」


「多少どころではないだろ」


「うん? 何か言った?」


「なんでもない」


リニアに押し切られ、結局このまま歩き続けることになった。夕焼け空の下を2人で歩いていると、懐かしい想い出が蘇ってくる。何年も前の記憶。顔をきちんと思い浮かべることはできないが、彼女は良い奴だった。


「そうちゃん、何か考え事してるでしょ」


「え」


顔を上げると、リニアがまじまじと俺を見つめていた。


「昔の女のことでも考えてた?」


「ち……違う」


ニヤニヤと笑うリニアに対し、俺は冷静な声で問いかけた。




「三年前……あの時。どうして何も言わずに帰ったんだ」


するとリニアは一瞬驚いた表情をした後、俺から視線を外した。


「ごめん、やっぱ何でもない」


俺は立ち止まっているリニアを追い越し、前を歩くことにした。


「あの時」


彼女の声に足が自然と止まり、つい後ろを振り返る。


「あの時、私には誰にも言わずに消えることが一番正しい選択だと思った」


「……後悔してないか?」


「してない! 私が決めたことだから。もし後悔なんてしたら、自分を否定することと同じでしょ。それじゃあ、その時の私が可哀そう。でも……少し反省はしてる」


「そうか」


真剣な顔で見据えてくるリニアを見ていると、なんだか落ち着かない。


「笑って」


「え」


「リニアらしくないから。明るく笑っている方がいい」


「こ……こう?」


徐々に表情を変えるリニア。


「さて、早く幼稚園に行こう」


「……うん! 今日は何して遊ぶ?」


「遊ばない、飯食ったら帰る」


「ええー、せっかく行くのに?」




ふと、もう一度空を見上げた。昔も今も同じ夕焼け空。


「きれいだな」


「え?」


「ほら、置いてくぞ」


「待って、待って」




小走りで駆け寄ってくるリニアを見て、つい笑ってしまった。すると彼女も嬉しそうに笑い返す。そう、これが今の俺の日常だ。






***




「それで?」


彼女。この幼稚園の園長を務めている天城紫乃は、目の前に座っている男に声をかけた。だいぶ話しこんでいたのか、カップに入ったお茶はとっくに冷めきっている。しかし彼女は相手の様子を気にすることなく、自分は冷蔵庫からお気に入りの炭酸飲料を取り出した。


「『それで?』と言われましても、俺もよくわからないんだ」


「何よ、仕事なんだからちゃんと処理してよ」




男の返事が気に入らないのか、天城は退屈そうな表情を浮かべている。ここ最近の事件。彼女自身はこのような事件を嫌ってはいないが、保護者として子供、九条奏の教育上あまり良くないと考えているようだ。


「そういえば葵くん、この間の事件知ってる?」


「ハンス・ブリーゲルの件か?」


「重要なのはそこじゃないわ。わざとでしょ」


葵と呼ばれた青年は、冷めたお茶を口に含むと真剣な表情に戻り、天城を見据えた。


「ついに研究所が姿を現した」


「そう、ハンス・ブリーゲルの動きに乗じて研究所の連中がここに集まりかけている」


「けど組織は半分以上壊滅したんだろ、今動くにはまだ早いんじゃないか?」


疑問を浮かべる葵に対し、天城は難しそうな顔で答える。


「どうだかね。ただ確実なことは以前程の勢力はないだろう」


「確かに。あそこまでの大規模な戦いにはならないはずだ、多分」


葵の言葉に天城は眉を動かす。


「多分……? それはどういう意味?」


すると葵はぼんやりと窓を見つめながら静かに答えた。


「大規模なことはしなくても勝利を収めることはできるだろ?」


「……暗殺か」


「そーいうこと」


葵は苦笑しながら言葉をつづけた。


「この世の中、しかも法治国家の中で暗殺を心配しなきゃいけなくなるなんてね。やっぱり魔法士ってのは、ろくでもない仕事だな」


「あら、楽しくてやっているんじゃないの?」


「それはそれ、これはこれ」


葵はため息を零すと再び考え込んだ。




―事実、三年前の事件で研究所は組織の半分以上の人間が消え、壊滅寸前という状態だった。しかし彼らには首脳部、頭がない。要するに、全滅しない限り彼らはいつまでも動き続けるということだ。




「暗殺までとは言わないが、奴らは確実に来る」


「つまり警戒しておいて損はないか」


「ところで制服の調査の件はどうなった?」


葵が訊ねると、天城は近くの引き出しから例の物を取り出した。以前、葵が彼女に渡した制服の断片。


「出所は奏ちゃんの通う学校だったわ」


「学校?」


「あ、余計な詮索はいいわ。ただあの子の担任が改造人間だっただけ」


『改造人間』なんて単語を聞いたら普通の人間は首を傾げるだろうが、葵は驚くことはなかった。むしろ予想をしていたようだ。


「それで、その制服の断片は研究所と関係していたのか?」


葵の問いに天城は頬杖をついて顔をしかめた。


「さあ。確かに何らかの形で関係はしているんだろうが、その担任自体あまり研究所とは関係ないようにも思えるんだよね。雰囲気というか、研究所に従属しているようではなかった」


「けど明らかに研究所は関わっているだろ」


「おそらくね」




天城が言葉を返すと、葵は視線を落として黙り込んだ。


「どうした?」


「一体何のためにそんな事件を起こしたんだ?」


「子供たちのためでしょ?」


「違う。そいつの後ろにいる人間だ。研究所から解放された改造人間と何が惜しくて協力している?」


「……ing」


彼女の言葉に、葵の顔にも緊張が走った。


「担任の女は当たり前のようにingと言っていたわ。真実を知っているのか、研究所から与えられた知識なのか分からないけれど、確実なことはingを起こそうとしていた」


「……またそれか」


「それ以外の目的はないでしょ。研究所の連中はing『運命の開拓能力』を手に入れることしか頭にないんだから」


「全く……奴らも飽きないな。あいつもあいつでいい加減察してくれ」




葵はソファの背にもたれかかり、宙を見上げてうなだれた。


「平凡に日々を過ごしたいな」


「なに? この仕事が嫌になったらやめればいいのに」


物珍しそうな視線をよこす天城を一瞥することなく、葵はただただ宙に向かって言葉を続ける。


「いや、やめない。俺はもう二度と三年前の悲劇を繰り返したくないからな。そう……きっとあの悲劇はこれからもずっと俺の背中にぴったりくっついているんだ」


「辛いなら忘れてしまえばいいのに」


「忘れるってことは否定するってことだ。そんなことしない、俺にはできない。たとえ、その過去に一生振り回されるとしても。俺は全部背負って前に進むしかない。そうしないと、過去の俺が可哀そうだろ。まあ、これ以上は俺も重たいものを背負いたくないけどな」


思わず天城は口元を緩めた。


「考えは全然違うけど、結論は同じなのか」


「何が?」


なんでもないと苦笑する彼女を怪訝そうな顔で葵は眺めていた。


「何でこんな会話になったんだ……あんた老けただろ。年寄りの前位でしかこんな会話しないぞ」


「失礼な。戸籍上、身体上はまだ三十代前半よ」


こつんと葵の頭を叩くと、天城は再び本題へと話を戻した。




「今後あなたはどうするつもり?」


「とりあえず俺は協会の動きを見ながら、当分は普通に学生生活を過ごすつもり。鈴木はリニアがついているから大丈夫だろうけど、問題は……」


「奏ちゃんか」


沈黙が部屋に漂う。窓から聞こえる風の音しか聞こえない。


「研究所のもう一つの狙い。巫女信仰。幼児連続誘拐事件の唯一の生存者の九条奏」


「ああ……それと」


葵は一呼吸置いて続ける。


「この間耳にしたんだが、あいつがまだ生きていた」


「え?」


「こっちの件も覚悟はしといたほうがいい。また奏ちゃんがいる時、これは話し合おう」


「……」


天城は動揺して何も言葉を紡げなかった。すると葵は口の端を上げて煽り立てる。


「どうした、あんたらしくないぜ。心配しなくても、あんたが傍にいるんだから無敵だろ?」


「無敵……か。本当にそうだといいんだがな」


「自分の力を否定するのか」


「そうじゃないけど、私だって心配はするさ」


「普段通りに過ごしてればいいだろ。奏ちゃんが外出する時は俺が傍についているし、何よりあいつがまた来るっていうのも確実じゃないし」


言い終わるや否や、葵は入口の方を振り返る。誰かが帰ってきたようだ。足音が二つ。




「え? お前来たのか?」


扉が開いて第一声がこれだ。どうやら青年は葵とこの場所で鉢合わせるとは思っていなかったようだ。


「うん。きっと俺、鈴木よりここに来てる回数多いよ」


「そう……なのか?」


驚いて入口で固まる鈴木。その陰からひょっこりと銀髪の女性が顔を出した。


「あれ、葵ちゃんじゃない? 久しぶりね」


「リニア、元気そうだね」


嬉しそうな顔で手を握ってくるリニアに葵も笑っている。彼女の大げさな行動に葵は慣れているようだ。


「ところで、二人とも何の話してたの?」


鈴木は向かい合って座っている葵と天城を見て、不思議そうに首を傾げた。


「いや、大したことは話してないよ」


「……魔女と共に密談。怪しいな」


納得のいかない顔を浮かべる鈴木に対し、葵は楽しげな笑みを返した。

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