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九条奏は小学五年生だ。来年には六年生、小学校生活も残り一年だと奏は思っていた。中学生になれば、今よりもっと成長出来るだろうかと彼女はいつも思っている。
同級生よりは少し大人びた考え。これも周囲の環境のせいだろう。彼女は赤の他人ともいえる天城の元で面倒を見てもらっている。少しでも役に立ちたい。これが奏のちっぽけな願いだった。しかし当人は気付いていない。彼女が家事をしているだけでも、充分に天城は助かっているということを。
やっと授業が終わった。本日残すは国語の授業一つだけだ。学校内でも変わらず口数が少ない彼女。クラスメイトの笑い物にされたり、友人も少ないと思われるだろうが、実際そんなことはなかった。妙なカリスマ性。一言で言えば、隠れた実力者。これが学校内での奏の姿だ。しかし、学校内での姿を天城や鈴木に知られることは少し恥ずかしいようである。これも彼女の乙女心なのだろう。
休み時間、特にすることもなく奏が机に突っ伏していると、彼女の周囲に数人の女の子が集まってきた。
「奏ちゃん、何してるの?」
「何も」
顔を上げることなく答える奏に、今度は別の女の子が話しかけた。
「最近、奏ちゃん疲れてるね」
「別に疲れてないよ」
ぶっきらぼうに答える奏の態度を気にすることなく、少女はある雑誌を取り出した。
「ねえねえ、これ見て。かわいいよね」
思わず顔を上げた奏の視界に、たくさんのファンシーグッズが飛び込んできた。奏の密かな趣味。それは、このようなファンシーグッズを集めることだ。
「これ、私持ってる。お母さんに買ってもらったやつだ」
「かわいい。これ欲しいな」
わいわいといつの間にか小さな人だかりが、奏の周りにはできていた。
すると、何を話しているのか気になったのか数人の男の子がこちらへと顔を向けてくる。
「うわ、お前らそんなもん見てるのかよ」
「……」
ニヤニヤと笑っている男の子たちに対し、奏は黙って彼らを見返す。
「……」
「あ……あっち行こうぜ」
無言で見つめられ、居心地が悪くなったのか、男の子たちはすぐに奏の席から離れていった。ため息をついて、再び雑誌に視線を戻す奏。すると、周りにいた女の子たちが一斉に歓声をあげた。
「かっこいい!」
「さすが奏ちゃんだね」
このように小さな争いを治めることができるからなのか、何故か彼女はクラス内で人気があるようだ。
「でも、やっぱり奏ちゃん疲れてるでしょ。そう思わない?」
一人の女の子が隣の子に話しかけた。彼女の声に他の女の子も奏の顔色を窺うように顔を近づけた。
「本当だ、ちょっと元気なさそう」
「うん、私もそう思う」
騒ぎ始める彼女たちを見ることもなく、奏は一言だけ告げる。
「大丈夫、疲れてないから」
「だめ、病院いかなきゃ」
「そうだよ」
「何か嫌なことあったなら言って」
真っすぐな瞳に囲まれて驚いていると、ちょうどいいタイミングで始業のチャイムがなった。名残惜しそうに、それぞれの席に戻っていく女の子たち。あそこまで心配されると本当に疲れているのかもしれないと奏は思った。そして考え込んだ末に一つ思い至った原因があった。
「家族が増えて賑やかになったから」
誰に聞かせるでもなく、小さな頬笑みと共に奏は静かに呟いた。
***
呆然と教卓に座り生徒たちの様子を見守っていた真田は、ふと奏の姿に目を止めた。口数は少ないが真面目な生徒。委員長より委員長のような影の人気者。それが彼女の奏に対する評価だ。
―では私は何なのだろうか。
他人のことを考えていると、妙に真田は自身の存在意義に疑問を持ち始めた。彼女は人間ではない。ましてや外見は二十代後半に見えるが、彼女が製造されたのはつい数年前のことだ。彼女の知識は研究所で二十代女性の平均的な考え方を埋め込まれたので備わっているだけである。
研究所の制約を解かれたのち、彼女は自由の身になった。そして彼女は初めて悩みをもった。自分はどのように生きるべきか。悩んだ末の結果がこの教師という道だ。国籍を取るのも、試験を突破することも簡単だった。
しかし彼女は時々思う。
―私がここで教師をしていることは、私の意志ではなく研究所の意志ではないのだろうか
「……いけない、いけない」
彼女は慌てて首を振って否定する。人間ではないとしても、彼女は只の平凡な新人教師。更に彼女は他人と比べ圧倒的に人間としての経験が少ない。他のクラスの先生に注意をされることも多く、疲れが溜まっているのだろう。真田は椅子にもたれて、そっと目を閉じ、子供たちの会話に聞き入っていた。
『家族が増えて賑やかになったから』
―家族。
子供たちの会話の中でそんな言葉が聞こえた。
―家族? 私にとっての家族とは何だろうか。
真田は記憶を辿るが、やはり彼女にとって家族と呼ぶに値する人間はいないようだ。そもそも遺伝子単位から造られた彼女にとって血縁などというものはない。
あえて言うなら同じ研究所で造られた存在を家族と呼ぶべきなのか。ふと真田は友人の顔を思い浮かべた。同じ研究所で造られた存在。彼女とは違い、小学生・中学生くらいの年齢に合わせて造られた少女。 同居をしているわけではないが、よく会って会話をする間柄。真田にとってその少女は大切な存在だ。彼女は真田と違い、未だに研究所に所属している身であり先日も任務で深手を負ってしまったらしい。
真田は彼女の身を案じることしかできない。ただ話を聞いて何も言わずに傍にいることしかできないのだ。一週間に一度か二度、学校もしくは真田の家や近所の公園。いつどこかも分からず、突然彼女は真田の前に現れる。
「ノエル」
真田は彼女の名前を呟き、少しの間昔を思い出していた。
***
初めて会った日。
それは私たちが目覚めた日。
ノエルは生まれてからずっと私の傍にいた。同じ目的を持って生まれた存在、すぐに私たちは仲良くなった。今になって思うと、もしかしたらあれは研究所によって埋め込まれたシステムだったのかもしれない。
私が初めて感情を自覚できたのは研究所を出た後だ。出たといっても、追い出されたのか抜け出したのか、はたまた捨てられたのか自分でもよくわからない。気がついたら、私は外にいた。ただ一人で。
ノエルは依然として研究所に残っていた。彼女は研究所に残っていることに対して何の不満もないようだった。いや、あらかじめ研究所によって思考が制限されているせいだろうか。私のように二十代以上に設定されていたなら、彼女にも次第に自我のようなものが生まれてくるのだろうか。そのような事が起きないよう、あえてノエルは十代前半に設定されたのかもしれない。もし彼女が私と同じ様に設定されていたのなら、三年前の事件の結末も何か変わっていたのだろうか。
***
真田は過去に思いを馳せたまま窓の外を見ていた。
「先生」
「……」
誰かが真田を呼んでいる。
「先生」
「……」
「真田先生」
「え? どうしたの? 九条さん」
「始業開始の鐘鳴りました」
真田は考え事をしていたせいで奏の声も鐘の音も聞こえなかったようだ。
「十分も過ぎています」
「どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
すると奏は淡々と真実を告げる。
「それを望む生徒がここにはいないからです」
「……それもそうね」
***
研究所に所属しているノエルは尖兵の一人だ。敵を探知するために作られた改造人間。今までもそしてこれからも彼女は研究所に従っていくのだろう。先日のハンス・ブリーゲルとの戦いで重傷を負った彼女だが、改造人間である彼女の身体は人間のものと違い、傷が癒える速度も速い。おかげでノエルはすぐに任務に復帰できる状態に戻った。しかしハンス・ブリーゲルの一件以来、彼女の上司は彼女に新たな任務を課さなかった。
待機状態。
それが現在、彼女が置かれている状況だ。
―どうせ私たちはただの捨て駒。
ノエルは殺風景な自身の部屋を見回した。この部屋で何よりも目立っている自身の服。派手な服だが、もちろんこれは彼女の趣向ではない。上からの支給物。ここにも彼女の意志は存在しないのだ。最低限の生活必需品が置かれた少し広めのワンルーム。彼女の部屋ではあるが、全て研究所からのものだ。事実、扉の外。このビルは科学者たちが集まる、研究所の臨時本部が置かれている。
「そろそろ行くか」
ノエルは自身の部屋を出て会議室となっている五階を目指す。今日は新しく雇った人間を迎えるらしく、挨拶も兼ねて彼女は上司に呼び出された。廊下を歩きながら、彼女は今日の予定を振り返り口元を緩める。
―よし、今日は真田ちゃんに会いにいこう。
***
通常、改造人間には思考・感情共に制限がかかっており、彼らは研究所の指示通りに動く。しかしノエルには思考の制限はあるものの、感情には制限がかけられていなかった。彼女自身も疑問に思い、過去に上司に訊ねたことがある。
「どうして私の感情には制約がないのですか?」
すると上司は、考える間もなく淡々と答えた。
「その方が能率的だからだ」
それ以上彼女は問うことはなかった。
***
「感情があったとしても所詮は改造人間」
吐き捨てるように言葉を零したまま、彼女は廊下を進む。
―協会、そして魔女との抗争が本格化すれば、私もいずれ死ぬだろうな
自身の運命は既に受け入れているノエルだが、一つだけ心配事があった。友人だ。研究所の一員だったというだけで危険な状況に巻き込まれる可能性が高い。金色の魔女も注意だが、何より研究所に目をつけられると厄介になるとノエルは予想している。人手不足に陥っている研究所が真田を見つけたとしたら、彼女は再び研究所に連れてこられる可能性が高いのだ。もちろんノエル自身としては歓迎する。しかし、真田はここに戻ることを望まないとノエルは知っている。
『思考』では戻らない彼女が不思議でならないが、『感情』では戻らない彼女を受け入れている。
これがノエルの抱える悩みである。
魔法と科学により厳重なセキュリティをされているビル。ノエルはマスターキーを使って容易に会議室の前に辿りついた。中に入ると、そこは過度に広い空間。まだ誰も来ていないようだったが、
「!?」
突然、部屋の中から人の気配を感じた。
「誰だ」
敵意をむき出しにして、ノエルは部屋の奥を見つめる。
「この距離で分かるとは。素晴らしいです、彼が使っているだけありますね」
部屋の奥、外からの明かりが入らない奥まった所から短髪の男が姿を現した。殺気が籠った瞳に、ノエルは警戒を解かずに相手を注視する。
「答えろ、お前は誰だ」
すると、男はまるで芝居でもするかのように大仰に手のひらを広げた。
「あまり緊張しなくていい、私は君の味方だ。ケラーの頼みでここまで来ただけだよ」
「味方……?」
確かにここは最前線であり、敵が単身で乗り込んでくる可能性は低い。しかしノエルはどうしても気を許すことはできなかった。
「どうやら味方の顔を忘れてしまったようだな。まあ仕方ない、私も長い間ここを離れていたからな。私を知っているやつも滅多にいないか」
一人で納得していた男は、唐突に顔を上げてノエルを見据えた。
「ところで君は何年目なの?」
「え」
はじめノエルは彼が何の事を話しているのか分からなかったが、すぐに彼女はその意図を理解した。
彼は、
『造られて何年間経っているのか』
と聞いているのだ。
「……五年」
ノエルが答えると、男は大きな声で笑い始めた。
「五年!? 五年も前に造られたのか。すごいじゃないか。ここまで技術が発達しているとは思わなかった。私が内部で研究している間に彼らは腕を上げたな」
物珍しそうにノエルの身体を観察した後、男は彼女の身体をまるで機械を確認するかの様に触り始めた。
―こいつら、やはり狂っている!!
「触るな!!」
ノエルは男の手を思い切り跳ね退けた。
「ほう、改造人間であるが感情に制限がないのか。あの男、私に狂っていると言っておきながら自身も充分狂っているではないか。何故このように感情を残したのか、全く興味深い」
一人でぶつぶつと呟いていた男は、急に何かを閃いたかのように顔を上げた。
「そうか! 我々が望む学問の行きつく先、そのためには積極的な姿勢と思考の柔軟性は重要だな。なるほど、そういうことか」
「おい、お前何なんだ!!」
ノエルの怒号に男はあっけらかんと正体を名乗った。
「私か? 私は只の研究員だ」
「研究員? つまり人間か」
「いや、私は改造人間だ」
ノエルは男が何を言っているのか、今度こそ理解できなかった。
「ああ。いいね。その表情、こんな風に誰かと話すのは久しぶりだ。面白い、とても面白い。しばらく君のような子供たちを見るのが楽しみだ」
「子供? どういうことだ」
すると男は先ほどまでの表情と一変し、まるで狂気に満ちた顔でノエルに笑いかけた。
「私はingなど知ったことではない。金色の魔女も協会も私には一切関係がないんだ。私は私の目的のためだけにここいる」
「ちょっと待て! 私たちはingを再び覚醒させることが……」
「うるさい!! 黙れ!!」
男の声にノエルは一瞬息をのんだ。
「改造人間がベラベラと頭の中の言葉を口にだすな。研究所の最終目的はingなどではない。だが議会の決定は絶対でね、私も自身の研究のためでなかったらこんな所までわざわざ出向かないさ」
「……」
ノエルは何も言えず、ただただ目の前の男の言葉を聞き入れていた。そして自身の胸に宿っている感情について、冷静に分析をしていく。
―この感情は何か。不快感。いやそんなものではない。もっと身体の奥まで囚われているこの感情は。
「これが恐怖か」
男を睨んだまま、ノエルは小さく言葉を口にした。
「そういえば、君の主人は今この状況を知らないんだって? 楽しみだなあ、私はあの男が嫌いでね、後でこの事を知って苦い顔をするのかと思うと楽しくて仕方がない。大体、何故ingをあそこまで欲するのかも分からない。あんなに大勢の人間を投入して……そこまで大事なものなのか?」
笑っていたかと思えば、急に退屈そうな顔に戻り急に怒り出す。情緒不安定な男を前にノエルの不安は一層増していく。
「私は私のやりたい様に行動する。私の目的は人体実験を通じて、巫女の信仰とetcの関係を明らかにすること。ただそれだけだ」
そして男は獲物を探すかのように窓の外に目をやる。
「まずはあの小学校だな」
そして男はどこからか巨大な荷物を取り出した。机の上に奇妙な薬品類を並べ、機械を設置し、文字が書かれたたくさんの紙を宙へとばらまいた。どうやら男の視界には既にノエルの存在は映っていないらしい。
「たしかこの近くに幼い巫女がいると聞いたことがあるな。その子供を探し出して、実験してみるか」
「おい」
椅子に座り、研究に没頭し始めた男の手をノエルは勢いよく掴んだ。その子供を彼女は知っている。そしてその子供の先生は彼女の大切な友人だ。
自身の腕が掴まれたことに気付いた男は、ゆっくりとその手の先へと視線を動かした。
「そういえば、研究所から逃げた女がこの地域で教師をしていると聞いたことがあるな」
ノエルの身体に悪寒が走る。
「……それがどうした」
「君、尖兵だからって油断していないか? 君の行動は全てこちらに把握されているんだよ。君は大人しく見物だけしていてくれ。観客の一人や二人いないと楽しさも減ってしまうからね」
男の言葉にノエルは何も言い返すことができなかった。彼女の頬から冷や汗が落ちた。
次の瞬間、ノエルは無意識に声を出していた。
「だめ」
「はあ?」
男はまるで生ごみを見るかのようにノエルへと振り返った。
「私たちの目的はingの覚醒であり、そのような実験が目的ではない」
―全ては真田ちゃんのため。友人の日常を壊したくはない。
その一心でノエルは男を睨み返した。静寂の後、突然男は笑い始めた。初めは鼻で笑っていたが、それは徐々に大きくなっていく。部屋中に響き渡る笑い声。しかし、男の目は一切笑ってなどいなかった。
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