演劇が終わった後

-私を忘れないでください-
宮下ソラ
宮下ソラ

「10」

公開日時: 2023年2月9日(木) 23:43
文字数:3,323

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時宮葵は協会の日本支部を訊ねていた。彼の目の前にいる男は日本支部の課長である。表向きにはきちんとした建築会社であるため、男は正式な大企業の課長クラスということだ。そして魔法使いとしての腕前もかなりのものである。見た目四十代前後の男と葵とではかなりの年齢差を感じるが、彼らの会話はまるで親戚同士のような雰囲気を醸し出している。事実、葵は三年前の事件で大きな功績を上げており、男もその実力を認めているからだろう。


協会内でも時宮葵という人間はかなりの好待遇である。ingショックを終結させたこともあるが、多くの研究所の人間を処理したという功績もあるからだ。協会側もむやみに手放したくない存在となってしまったわけである。そのような中途半端な状況で葵が選んだ道は、協会内の仕事をアルバイトとしてすることだった。学生の身である葵にとってもそれが最善の選択だった。故に、彼は現在協会に就職はしていない、アルバイトとして協会に所属している。葵としてもその立ち位置は好都合だった。色々と理由はあるが、一番は協会の情報を盗み見るのにちょうど良い立場だということだ。協会の動き、研究所の動きをいち早く知る事が出来る。それは彼にとって唯一の目的のため、三年前の悲劇を再び起こさないためだ。その目的がなかったら、あるいは利害の一致がなければ、おそらく彼はそこに属する事はなかっただろう。


協会も研究所も、ひいてはそこで作られたという改造人間ですら彼は嫌悪する。もちろん、現在、魔女の家に出入りしている彼女らも葵は好ましく思っていない。


「だから、根本的な事をいうと、そんなもの存在なんてしないと思うんですよ」


「ふむ」


呆れるように答える葵に、目の前の男は深く息を吐いた。そして上着の中から煙草を取り出す。


「すまないが、ちょっと一服していいかな」


「ええ、ここが禁煙室でないなら」


「私の部屋なんだから、禁煙のわけがないだろう」


「ここはみんなの休憩室ですよ」


「細かい事は気にするな」


苦笑いと共に、男は躊躇うことなく煙草に火をつけた。そして静かに煙を吐く。


「そもそも禁煙なんてするのがいけないんだ」


「最初から吸わなければいいのに」


「わかっていないね、まあ君ももう少し大人になったらわかるさ」


「俺の周りにも吸っているやつはいますけどね」


「それはただファッションの一部みたいなものだ」


「自分を棚に上げすぎですよ」


「ははっ」


爽やかに笑う男。この男は協会内でも数少ない、邪な感情を持たずに葵に接する。葵はこの男を尊敬していたりもする。結婚もしており、子供もいる。そして彼らのために日々働く。清々しいほどに立派な人間だからだ。


気づくと灰皿の上に吸い殻が転がっていた。それを境に、やっと彼らは本題に戻る。


「……どこまで話したっけ」


「……etcの文書が存在するかどうかってところ」


「ああ、そうだったな。うん、噂に過ぎない」


「何故そう言い切れるんです?」


「直接見たことないから」


見た事がない、見えないのならそれは真実である可能性はない。これがこの男の持論だった。葵も彼の影響か、その意見に少しは同意していた。


「考えてみなよ、私もこの業界にいて二十年は経つ。理不尽な事をいくつも経験してきたけど、etcの文書化?それはいくらなんでも非常識すぎる。協会が持っているとは思えない」


「二十年間見なかったものが本当は実在していた、という可能性は?」


「……可能性か」


「何か気になった事とかないですか?おかしな出来事とか」


男は眉を潜めて思案にふける。ふと、彼の手が再び煙草へと伸びた。


「もう、吸わないでください」


「うるさい。うるさい」


葵の制止も聞かず、男はライターの火を灯す。そして煙を吐き出した口元がゆっくりと動いた。


「十五年前のことだ」


「え?」


「私がまだ新人だった頃、本社の内部にある噂が流れていた。『金色の魔女が返ってきた』、『数百年前の亡霊が目を覚ました』ってね」


「十五年前なら、そうだね。あの人もそう言っていたよ」


「その頃にな、もう一つ奇妙な話を耳にしたんだ。『協会本部に何者かが侵入した』ってな。おかげで各支部の管理と統制が強化されたわけだが、その事件である貴重な物が盗まれたそうだ」


「貴重なもの?」


「私たちも詳しくは知らない。おまけに犯人も捕まっていない。でも、君ならわかるだろ」


試す様な視線を向ける男に対し、葵はごくりと固唾をのんだ。


「……金色の魔女の仕業だと?」


「あくまでも推測の域を過ぎない。とにかく、その事件の際に色々と無くなったものがあったからな、もしかしたらその中に文書が含まれている可能性もある」


「だとしたら……何で魔女は俺にも秘密にしているんだ」


男は灰皿の中を吸い殻で弄びながら、視線だけを葵へと向けた。


「そもそも何でetcの文書の話題になったんだっけか?」


「……先日起きた欧州事件、結果的にここ日本に研究所の連中が攻めてくる可能性が高いって赤城周から連絡があったって話したじゃないか」


「ああ。それなら大丈夫だ、三年前の事件で壊滅寸前になった連中がこんなすぐに立て直すとは思えない。全面戦争みたいなものはしばらく起きないだろうよ。だが――、


――暗殺、あるいはテロなら少人数でも起こせるな」


「民間人を巻き込むってことか」


男の意見に葵は思わず前のめりになる。頭の隅にあった予感、他人の口から出ると一層現実味を帯びてしまう。


「彼女も彼女で、厄介な連中を引き寄せてくるようだ」


「それより気になるのは、協会はどうして今まで秘匿されてきたetcの文書を今更探しているんだ。研究所も研究所だ。何でみんな今になって……」


普段から狐目に近い瞳を更に細めてひとり考え込む葵。彼が思案に耽る中、男はまるで名探偵とでも言うように人差し指を突き上げ、


「私はこのような解答に至った――ずばりingだ」


彼の言葉を聞くと、葵はまたかと呟き頭を抱え込んだ。そんな葵に目をくれる事もなく、男は最後の一本と煙草に手を伸ばす。


「やっぱ文書にingと関連した事が書かれているとしか思えないよな。むしろ、俺の【物取り】の能力や【空間創造】とかの内容も載っている可能性も高いし、それ以上の事が書かれている可能性も……」


徐々に頭を落としていく葵。そんな様子を見た男は、一瞬にやりと笑った後、その大きな手のひらを葵の頭へと置いた。


「私たちの考えも只の推測に過ぎない。仮に研究所の連中がこの地に攻め込んできたとしても、私たちがいるだろう」


「……言葉とは裏腹に気に入らないって顔してるけど」


「私も仕事をして稼がなければいけない身でな。娘を塾に行かせてやりたいし、妻も妻でジムに通うとか言いだしてな……」


男は、まるで本当に建築会社に勤めるサラリーマンのような呟きを零した。そんな姿に思わず葵も笑みを零す。


「幸せそうだな」


「そうか?私は毎日大変さ」


最後の一本と言った煙草が吸い終わる。それを合図に二人は休憩室を後にした。葵は出口に、男はまだ仕事が残っているのか、互いに向かう方向が違うようだ。


「子供があまり無茶をするなよ。無駄に老けるぞ」


「忠告どうも」


「ったく……もっと敬語を使ってくれてもいいのにな」


そう言い残すと、男はひらりと片手を上げて別れを告げる。


「あ、おじさん。ちょっと待って」


「何だ」


「仮に……仮に奴らがテロを起こした場合」


「協会の人間を呼びださなければいけないな。普通の警察じゃ役に立たん」


「何時間で集まる」


「そうだな……二時間くらいか。できるだけ騒ぎは抑える、任せておけ」


瞬間、葵の携帯から軽快なメロディが流れてきた。画面に移る友人の名前に、思わず葵は小さな驚きを示す。


「やあ、どうかしたか」


彼は数回相槌を返すと、すぐに通話を終えた。


「随分と短い会話だな」


茶化す様な男の口ぶりに対し、葵の表情は真剣そのものだ。


「リニアが撃たれたらしい」


その言葉に男の顔色も変る。


「随分と早いご到着だな」


「それじゃあ、頼んだよ。おじさん」


にこりと笑い出口へ向かう葵を見て、男は深いため息を零して苦笑する。そして何かを思い出したかのように葵の背中へと声を掛けた。


彼がこちらに振り向く前に男の口は動き出す。




「そういえば――、奏は元気か?」




***



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