「……きっと俺は死ぬだろう」
「そう、君は死ぬ。自身の巣を荒らして、老いた獅子に食われるようにね」
「何が言いたい」
「今回のMr.modificationの件で穏健派の動きも少しは弱まるだろう」
「そうか」
落ち着きを取り戻したケラーに男は付け加えるように、
「原論主義者の三人をこちらに引き入れた」
「本当か?」
「マルセン、ハイティントン、ルイーゼ」
「あの三人か」
マルセン、ハイティントン、ルイーゼ。彼らは生物学に近い研究をしていた。ケラー自身は殆ど接点がなかったものの、名前だけは知っている程度だ。
本来、研究を進めるためには多くの資金が必要となる。しかし、どこにも所属することのない原論主義者にはどこにも当てにする所がない。そこで穏健派や急進派の研究を手伝い、資金を得ようとしていたのが彼らだった。
「マルセンは最近どうしているんだ?」
「彼は相変わらず一人で研究を続けている。元々前に出てくるような人間でもないが、彼も彼で色々と大変な状況にいるからな」
「ハイティントンは?」
その名前を聞くと、男は一際嬉しそうに頬を緩ませた。
「奴は面白い男だったよ。研究所でも数少ない外向的な人間だ。まあその性格のおかげで彼は中立という立場にいるけどね」
「中立?なら俺たちの仲間になったのではないのか?」
「彼も研究者。自身の研究のためなら躊躇しないというわけだ。それに彼にはあくまで中立という立場を利用してもらう。穏健派を抑制するのに協力してくれるようだ」
ケラーは成程と頷くと、少しだけ間を置いて慎重にもう一人の名を上げた。
「ルイーゼ……か」
「ああ、三年前に研究所で改造人間を作っていたあの女だ」
「【氷山】とも呼ばれる女をよくこちら側へ引き入れることができたな」
ケラーの言葉に、なぜか男は小さく笑う。そして、
「君は知らないのか。彼女は三年前のingショックの時既に死んでいるよ」
「なに!?」
どういうことだ、という言葉が続くのだろう。ケラーは開いた口を塞げずにいた。そんな彼を見て、ベルコルは彼を落ち着かせるように手を振った。
「悪かった、この言葉では語弊を生むな。正しくは瀕死状態だった、とでもいうべきか。事実、この三年間ルイーゼを見かけなかっただろう」
「あ…ああ」
彼が指摘されるまで気づかないのは当たり前だ。この研究所の人間自体、他人に興味を持つことはめったに無いからだ。
「三年前の事だ。Ingショックの現場で、私は瀕死の状態にあった彼女を見つけた。そこである考えが浮かんでね、彼女を研究所に持ち帰り、あれに浸したんだ。改造人間を製造する、あの培養液に」
「なるほど、生かすためにMr.modificationと共にあの女を改造人間にした。そういうことか」
納得した顔でうなずくケラーに対し、ベルコルの顔は晴れない。
「完全な改造人間にできたわけでもないがな。まあ、その件があるから彼女はこちら側につくしかなかったというわけだ」
「それでルイーゼに課した任務は何だ?」
「フランスだ」
ケラーの質問にまっすぐと答えることなく、男は天井を見上げた。
「探し物を見つけるために、君もよく知っている男に接触させていた。彼は文献に関する知識を持つ人物としては最も優れていると私は思っているからね」
「いいから、早く答えろ」
男の回りくどい問答にケラーは先を促す。そして、男は告げた。
「etcの文書」
「なっ……!?」
先ほどの一件よりも強い衝撃だったのだろう。ケラーの目は大きく見開いたまま、男を凝視していた。
「私たちが文書を探している最中、偶然協会も同じ探し物をしているという情報が入った。そう、それはつまり彼ら協会も文書を持っていないということだ。etcの現象について述べられた唯一無二の文書。何百年もの間、協会が保管していたというものをわざわざ彼らが捜している」
「盗まれでもしたというわけか」
「元々、存在すらしていなかったという可能性もあるがな。ずっと保管していたとはいえ、それを見たものがいるかも怪しい。私も何百年もの長い間ずっと探しているが、協会が持っているという情報はいささか信憑性に欠けていたからな」
「何百年?」
「いや、何でもない。気にするな」
奇妙な発言に首を傾げるケラー。そんな彼の様子を気にすることなく、男は続ける。
「とにかく、君ならあの本の価値がよくわかるだろう。それにあの本が無かったが故に、etcの概念を完全に把握することができなかったがために、我々は三年前の敗北を味わったのかもしれない」
「では、その本を探しだし、研究をした後再び我々は動き出すというわけか」
「穏健派の承認が得られればな。以前の半分にも満たないこの人数で」
「でも、着実に味方は増えてきているじゃないか」
身を乗り出すケラーに対し、ベルコルは声を落として、
「昨日、失敗の報せが来た」
「失敗?どういうことだ」
「氷山とはよく言ったものだ、氷が解けたら水になったとでもいうのか。ルイーゼが裏切った。改造した時に感情の幅を広げ過ぎてしまったようだ。ああ、心配することはない。後始末は既に済ました」
淡々と述べるベルコルに対し、ケラーは再び首をうなだれた。大理石の床に中年の男の顔が映る。これでも彼は急進派の中では若い方だ。目の前の男も外見は二十代に見えるが、実際はケラーよりも上なのだろう。それほどに男からは貫禄のようなものが溢れ出ていた。
「……etcの文書はあったのか?」
「いや、欧州にはないという結果に至った」
「では、どこに?」
ケラーの問いに、ベルコルは口の端を上げて答える。
「それは今回の邪魔者が教えてくれている」
「邪魔者?」
「ああ、ルイーゼの裏切りには二人の邪魔者が原因でね。お前も良く知っている空間創造者と魔女の弟子だ」
「魔女の……?ではあの女が本格的に動き出すのか」
「その可能性は低くない。あの女が介入してきたという事は私と再び戦闘するという意志なのかもしれない。だが、そもそも何故あの女が介入してきたかが論点だ。おそらくあの女も我々と同じ目的だったのかもしれない」
「つまり、私もあの女のいる地へ――日本へ向かえと?」
先を告げるケラーに、ベルコルは困った様な顔で笑う。
「そういうことだよ。既にフーゴとロベルトは日本に向かっている。ゴトーはここに残っているが」
「しかし、議会の承認も受けずに。いいのか?」
不安げな顔をするケラーに対し、ベルコルの笑みは崩れない。
「むしろ奴らにとっては好都合じゃないかな。私は彼らの目の上のタンコブだし。自滅してくれるなら大歓迎だろう。まあ、自滅するつもりは毛頭ないがね」
真意の見えない笑顔にケラーは黙って頷いた。そして、その笑顔から逃れるように彼は会議室を後にする。大きな音と共に、重厚な扉が閉まる音が響き渡った。
「ここまで響き渡るなんて……やはりこの部屋は凄い、この建物は素晴らしいな。いや、これを作り上げた人間という生き物こそ、素晴らしい」
一人残されたベルコルは天井を見上げ、小さく呟く。
「金色の魔女がついに動き出す……」
ふと、ルイーゼの顔が浮かんだ。彼女の死はベルコルにとっては痛手だった。味方は一人でも必要だからだ。
――味方……仲間……同僚。
ベルコルの脳内に再び映像が流れる。遠い昔の記憶だろうか、鎧をまとい、馬に跨り、刀を振るっている。
――はたして、いつの記憶だろうか。
ベルコルという名も、男にとっては本当の名ではない。そんなものはだいぶ前に忘れてしまったのだ。この名も彼自身が好きな作家の名を借りているだけである。
――研究所創設当時からだいぶ時が経ったな
ベルコルは感慨深げに周囲を見回した後立ち上がった。
「この姿で会うのは二回目……いや、三回目になるのか」
ゆっくりと扉へと向かうベルコルは、女の顔を思い出す。誰よりも冷酷で、誰よりも美しい女の顔。
「ふふふ……ふはははは」
気づくと、男の笑い声が部屋中に響き渡っていた。
「やっと再会できる……やっと元の姿で会えるのか、キルヘン!!」
――この行動は何度繰り返されただろう。
――この行動はいつから始めたのだろう。
――もうその記憶さえない。
「いいよ、行ってあげるよキルヘン。愛する女のためなら。何度失敗しても、何度命をかけようとも。君が望むのなら」
部長、ベルコル、いくつもの名で呼ばれてきた男は歓喜に震えながら、部屋を後にした。
急進派が本格的に動き出す。三年ぶりのことだった。
***
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