演劇が終わった後

-私を忘れないでください-
宮下ソラ
宮下ソラ

「19」

公開日時: 2023年2月9日(木) 23:43
文字数:4,434

***




「ケラー、そろそろ自分の方が不利だってわかったか?」


「くそ」


元々、ケラーは戦闘要員ではなかった。彼は催眠が専門であり、必殺と呼べる攻撃もないサポーターのような存在だ。更に連れてきた影たちは、改造人間に抑えられ実質etcの能力者、しかも攻撃型の人間を相手にしているようなものである。


男は周囲を見回し、残っている影を確認した。しかし、彼らはノエルと真田の相手で手いっぱいだ。


「諦めて退くなら見逃してやる」


「ふざけるな!!此処まで来たんだ!!私の友人も命がけで戦った!!研究所に私たちの居場所はない、居場所を作るために私はここまで来た!!」


葵の言葉に男は息を荒げて拒絶した。それでも彼は冷静に説得を続ける。


「状況をよく見てみろ。本当にここを狙うんだったら、あんたは戦闘要員としての仲間を連れてくるべきだった。あんな量産品、安く作れる分性能は低いだろ。能力持ちを相手にするには明らかに戦力が足りない」


「ガキが……そこをどけ」


「どけないね、ガキでもここを守らなくちゃいけない。俺もここが無くなるのは色々と困るから」


男の鋭い視線に葵は構うことなく続けた。


「あんたは研究所の人間の中でも賢明な方だと思っていたけど……ケラー、負けを認めて撤退しろ。これが最後の機会だ」


男は怒りで顔をこわばらせる。


現状、彼に勝利の可能性は少しもなかった。影は同じ改造人間であるノエルと真田が相手だ。弱点をわかりきっている敵と戦っている様なもの。自身の最大の武器である催眠は看破されてしまっている。


「大人しく帰って研究を続けていれば、とりあえず長生きはできるよ」


しかし、彼が男の言葉を聞き入れないのには別の理由があった。時宮葵……協会以上に研究所の人間を嫌っている男だという。そんな人間がここまで説得して自身を生かしたまま帰すとは実に奇妙な話だった。


「言っておくけれど、これは俺の独断。魔女はこの事を知らない」


「どういうことだ」


「別に気まぐれとかでもない、あんたを生かしておくのもいいと思ったんだ」


男は葵の目を真っすぐと見据える。何か考えがあるのは確かだろう、だがそれが何かはわからない。


「早く決めろ。撤退するか、それともここで死ぬか」


男の頭に合わせて、葵は指をあげる。今すぐにでも力を入れれば、そこから圧縮された空気が飛び出すのだろう。


男は葵に背を向けた。ここで死ぬわけにはいかないようだ。


「時宮葵……この屈辱、私は絶対に忘れない」


相当屈辱的なのか、彼が噛みしめた唇からは血が出ている。




そして男は影を連れて、静かに幼稚園を後にした。葵は満足げな表情でその背中を見送る。


「若いケラー……急進派の中でも重要人物のはず、何で見逃したの?」


じっと立ち尽くす葵にノエルが訊ねた。


「さあな。自分で考えた結果だ」


葵は軽く流す。そんな彼らの足元には無残にも倒された影が横たわっている。


「……ごめん、君たちが私たち以降に作られたのだとしたら本当に姉弟なのに」


ノエルは少しだけ身をかがめて、影の頭を撫でた。真田も悲しげな表情を浮かべている。そんな彼らを横目で見ながら、葵は口を開いた。


「三年前の事件以降に製造された改造人間はみんなそんな奴らだ。安物の量産品、でも君たちは違うんだろ。思考と感情の制約を解かれた改造人間、それはもうただ身体が丈夫なだけで人間と大して変わらない。それなら現実を見ろ、思考をしろ」


葵の目には、彼らが嘆き悲しんでいるように見えたのだろう。彼はやや強気な口調で叱責する。しかし、すぐにそれは困った様な笑顔へと変わった。


「まあ口ではそう言っても、実際はそんな風に生きられないものだけどね。一回、言ってみたかっただけだ」


そんな彼を見て、ノエルは驚きを隠せずにいた。


「笑うところ……初めて見た」


「そう?」


葵は照れくさそうに頭を掻いた。そんな彼を黙って見つめているもう一人の少女。


「どういうつもり?」


奏は問い詰める様な視線を葵に向ける。


「何であの男を生かして帰したの?先生が知ったら怒るよ」


「誰も言わなければ大丈夫だ」


「そういう問題じゃない」


奏の問い詰めに観念した葵は、やれやれと肩をすくめる。そして真意の見えない、どこか普段とは違う笑顔で――、


「俺が金色の魔女の指示に従う必要はない」


「え?」


「それにさっきの奴は【若いケラー】っていう異名があるんだ。自尊心と傲慢の塊、そんな奴が敵に情けをかけられて撤退なんて屈辱的だろ?」


意地悪そうな顔で笑う葵。いつのまにか彼は普段の表情に戻っていた。


そして葵は、外は寒いからと三人を室内へと促す。




幼稚園に戻る前に葵はもう一度だけ振り返る。


そして黒煙を上げる2つの建物を見て、独り言のように呟いた。


「……etcの文書は、予想通り金色の魔女が持っていた、か。これからは研究所より協会の方が五月蠅くなりそうだな」




******




次の一発だ。次の一発で俺は決着を終えたかった。これ以上この建物に長居していたら、それこそいつ崩壊してしまうかもわからない。


「私は何度も悩んだ、何故こんなことをするのか、面倒ではなかったのか。何度も何度も考え、そして悩んだ。答えはただひとつ――私も人間だった」


男は戦意があるのかもわからない。まるでネジが抜けたロボットのように、覚束ない足取りで俺に近づいてくる。その姿に何故か俺は恐怖を抱いた。


「く、くるな!!」


自分の言葉もわからないほど、俺は無我夢中でボーガンを放った。男は避ける事もなく、真正面から矢を受ける。その姿に一層俺は恐怖した。叫び声を上げながら、俺は次々とボーガンの矢を引き放つ。それでも男は止まらない。


気づくと俺は、ナイフを片手に男に向かって走り出していた。




――肉を裂くあの独特の感触。筋肉の僅かな抵抗。溢れ出る血液。




男は俺の攻撃を全て受けた後も、表情ひとつ崩さずにいた。まるで本当にロボットを相手にしているみたいだ。


ゴゴゴという重低音と共に建物が揺れる。俺は少し後退して、相手の様子を窺った。


「人間も案外、丈夫にできている。それに乱射するなら確実に目標物を打ちぬかないと意味がないぞ」


「うああっ!!」


男の放った銃弾は綺麗に俺の足を貫通した。俺は激痛に声を上げるが、目の前の男の方が遙かに傷は深いはずである。至るところに矢が刺さり、腹部からは出血している。それなのに、男は無言で俺を見下ろしていた。


「面倒臭いけど。君一人だけでもやっておけば……仲間に報いることはできるだろう」


そう言って、男は傍に落ちていたナイフを拾い上げた。そして俺に向けてゆっくりと振り下ろす――寸前で俺は体を転がせた。本能的に死ぬと感じてしまったからだろうか。


攻撃を外した男は特に悔しがる様子も見せずに突っ立っていた。俺はすかさず懐から麻酔銃を取り出して、男に目がけて放つ。プシュッという小さな音をたてて、見事男の身体に命中した。


「なるほど、君の武器はボーガン、麻酔銃、ワイヤー……それだけか?」


「悪いかよ」


「いや、あえて拳銃を選ばない姿勢。素敵だと思うよ」


よくわからない誉め方をした後、男は再び俺に向けて照準を合わせる――それは今度こそ、俺の頭を狙っていた。


「これで終わりにしよう」


引き金が引かれる、そう思った瞬間、俺は自分でも驚くほど物凄いスピードで懐から紙を取り出し、地面に張り付けていた。通常と同じバフ効果、しかし書かれている文字は違った。


『動け』


男の拳銃が火を噴く。銃弾がまっすぐと俺に向かってきた。


「動け!!!」


瞬間、俺の身体は勢いよく右に飛ぶ。そしてその数倍にも早くなった体で、すかさずボーガンの照準を男の心臓へ向けて、矢を放った。僅かに見開かれる目。それは見事に男――ロベルトの身体に刺さった。


男の身体は膝から崩れ落ち、仰向けに転がる。俺も撃たれた足に上手く力が入らず、その場に倒れこんだ。そして体を引きずって男の近くにいき、その顔を見ると、男はぼんやりと天井を見ていた。おそらく、もう焦点を合わせることすら困難なのだろう。


「すばらしかったよ……青年」


「そりゃ……どうも」


「青年、私は死ぬのか?」


「……このままの状態だと、そうでしょうね」


「……そうか」




運が良かったのか悪かったのか、俺の腕前が悪かったのか、それとも――、最後まで俺は人を殺したくなかったのか、俺が放った矢は心臓を僅かに逸れていた。


彼はおもむろに口を開く。


「爆弾を設置した場所は、市庁舎の地下下水道……そしてその近くの高校、ここからも見える高層マンションの屋上……そして、その前にある工場と……この都市の中央にある博物館だ」


俺はすぐに携帯電話を取り出して、それぞれの場所だけを葵へと伝える。彼もそれだけで全てを理解したのだろう、すぐに通話は切られた。


「随分とあっさり吐いてくれるんだな」


「私も一応プロだからな……約束は守る」


男は疲れたように小さく笑った。


「鈴木聡太……」


「どうして俺の名前を」


俺の返答に答えることなく、男は続ける。


「君は三年前の出来事を正確には知らないようだな……全く周りの連中も性質が悪そうだ」


「正確に知らない?どういうことだ」


「知りたいか?その真実を」


俺はすぐに頷く事ができなかった。先生に、葵に、周りに、知らない方が良いと言われて、俺は今まであの出来事についてしっかりと聞いたことはなかった。それを今、目の前は教えてやろうかと言っているのだ。


「ははは、予想通りの反応だ。まあ、これはこれでいい。私の最期の独り言だ……聞くも聞かぬも好きにしろ」


そういって男は静かに語り出した。


「君はetcの能力を持っている。確かに多くの人間はその能力を内側に秘めているが、それを開花させるかは本人次第……【ing】、君の能力を私たちはそう呼んでいる」


「ing……」


「それは三年前、私たちが最も欲した能力だ。そのために戦争を仕掛けたといっても過言ではない」


「俺の能力が……?」


「全く笑わせる。本人には使い方すら分からない能力を大勢の人間が狙っているなんて……私は君の能力のために戦った、そして多くの戦友を失くした。だから私は君が嫌いだ」


そう言って、男は俺の顔を見た。


彼の目は怒りというよりは、俺が困惑しているのを見て楽しんでいるように見える。


「ちょ……ちょっと待て!!俺はそんなこと知らない!!そんなこと俺の記憶にはない!!」


「ははは、そうだ。これは私の意地悪だ。敵の言葉を信じるかは君次第。私だって何もせずに死ぬのは嫌だからな」


「死ぬ?おい、待て!!ingってのは何なんだよ!!どんな能力なんだ!!何で俺は知らない!!教えろ!!」


俺は無我夢中で男の身体を揺らす。


「ああ……死ぬ事は、こんなにも……面倒臭いのか」


「おい!!教えてくれ!!頼む!!」








――男の呼吸が少しずつ小さくなっていく。




何かを呟いていたが、あまりにも小さな声で聞き取れない。




――男の瞳から色が無くなっていく。




俺は必死に声をかけ、男の意識を保とうとする。




――やがて男の瞳はゆっくりと閉じられた。




そして俺は絶叫する。



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