「本当に帰るつもり?」
「だから、帰るって言ってるでしょ!!」
机を挟み、向かい合う女と少女。何度も同じような会話が繰り返されているのだろう。少女の返答には幾分不愉快そうな色が窺える。
「そう、でもあなた今帰ったら殺されるわよ」
「そんなの帰ってみなければわからないでしょ!!それに……あそこしか私の帰る場所は無いんだから」
勢いで反論する少女だったが、彼女の声は徐々に小さくなる。まるで不安に押しつぶされていくかのようだ。女――天城紫乃は呆れたようにため息を零した。
「帰ってみなければって……裏切り者が快く歓迎されるわけないでしょ。そんな頓珍漢な組織があるなら見てみたいくらいだ」
裏切り者という言葉に対してか、少女――ノエルは何も言い返せずにいた。
「帰るところが無いならここに居てもいいわよ、部屋は充分にあるし」
「違う……私の帰る場所はここじゃない!!!私の帰る場所は……」
「そんなもの言葉になんてできないだろ」
それは彼女自身も納得できる正論だった。それでもノエルは首を縦に振ることはない。
「あなたが言いたいこともわかるけど、研究所に帰ったら待っているのは死よ。それじゃあ、あなたを助けたあの子が凹むのよ。そんな姿見てたら私も萎える。だから私もあなたが出て行くのには反対。このまま大人しく、ここにいなさい」
まるで先生のような口調で天城は続けた。
「まあ、どうしてもここが嫌だっていうならあの人の家に行きなさい。あの……女の、何だっけ」
「真田」
「そう、それ」
「迷惑かけたくない」
「じゃあここにいなさい」
「嫌!!!絶対に嫌よ!!」
結局、双方とも譲る気はないらしい。子供のように首を左右に振って拒絶を示すノエル。そして、ついに彼女は、飛び出すように部屋を走り去った。
「あー……実に子供らしい」
一人残された天城は頬を掻くと、疲れたように椅子へと沈みこんだ。少女の気持ちも分からなくもない。帰る場所もなく、知らない人間の家、むしろ自分を殺そうとした人間がいる家だ。こんな所に住めと言われて納得できるはずもないのだ。しかし、むやみに突き放すわけにもいかない。それが天城紫乃だった。
「ああ……本当にもう面倒臭い」
机に突っ伏して、盛大なため息をつく。答えは出ているのに、過程が思い浮かばない。そんな気分である。
ふと、彼女は昔の自分ならどうするだろうと想像してみた。簡単だ。
「無視するか野放し、もしくは殺害ってところか」
ふっ、と乾いた笑みを漏らす天城。このような時、彼女は彼女の中にいる【天城紫乃】という人間に感謝する。この身体の持ち主は善良な人間で、良くも悪くものんびりしている。以前の彼女とは正反対の人格と言っても過言ではないだろう。
――あの時、あの目覚めた瞬間から、私は誰なのか。
「……っと。また同じこと考えてたわ」
意味なんてないのに。そう呟いて彼女は椅子から立ち上がり、冷蔵庫へと向かう。そして慣れた手つきで彼女はそれを取り出した。お気に入りの炭酸飲料。軽快な音と共に、彼女は缶を傾ける。
「ふぅー……やっぱこれね」
窓についた露を拭い、彼女は冬の空を眺めた。
「そういえば、あの二人仲良く旅行しているかしら」
遠い異国の地に派遣した彼らをどこか羨ましく思い、天城は再び缶を傾ける。瞬間、部屋をノックする音が聞こえた。
彼女が促すと、中に入ってきたのは若い女。真田だ。
「あの……」
「ああ、はい。何となく用件はわかってます。ここに座って」
「あ、はい」
言われるままに彼女は、天城の正面に腰を下ろした。
「何か飲む?これがおすすめだけど」
「あ……いえ」
手元の缶をずいっと差し出す天城に、真田はやや驚いた顔でそれを断る。彼女の顔は張り詰めた糸のように強張っていた。
「そんな畏まらないでよ。そうね、保護者と先生みたいな感じで話しましょ」
「家庭訪問……ということですか」
「その方が話しやすいでしょ」
天城の言葉に彼女もつい、頬を緩める。
「はい」
「まあ、うちの子はさておき、あの子はどうするの?」
「狭いワンルームですが私の家にでも」
「そうよね、あなたの家も隠れ蓑みたいなものだものね」
天城は返答しつつも、再び席を立って冷蔵庫へ向かう。二本目だ。
「でも子供を育てるのにワンルームはあれこれと不便でしょ。どうせなら広い所の方がいいと思うけど」
「それはそうですけど」
真田としてもノエルの意志を尊重したかった。彼女が嫌だと言うのなら、自身が引き取るつもりでいる。それを全てあの天城という女は見越しているのだろう。
「……やはり私からあの子に言い聞かせた方がいいでしょうか」
「いや、あの様子じゃ自分から心変わりしないと無理だと思うわ。それに敵の家で暮らすなんて屈辱的だもの」
下を向いていた真田がぴくりと反応した。それを見過ごさなかった天城も弁明するように口を尖らせる。
「何よ、別に間違っては無いでしょ」
「……そうですね」
その後何も解決策を得られないまま、室内は沈黙に満たされた。やがて、話は終わりだとでも言うように天城は大きく伸びをして椅子にもたれかかる。
「とにかくもう一度あの子に声をかけてみたら?成功すればラッキー、変化なしならまた再考するとして」
「はい、そうします」
そして彼女は静かに頭を下げると部屋を後にした。再び一人になった天城は、恨めしそうに扉を見つめたまま机に顔を落とす。
「あー……、なんとかならないかな」
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