***
「悪い、遅くなった」
俺が勢いよく扉を開けて入ると、職員室には目に見えるかのような程、重苦しい空気が漂っていた。いつもなら真っ先に飛びついてくるリニアも黙って下を向いている。誰も言葉を発することなく、俺とも視線を合わせない。
「何やってんだ、みんなして。新手の遊びか?」
「鈴木」
「悪いが俺はやらないぞ。奏と買い物に行こうと思ってるんだ」
「そうちゃん」
「だから俺は参加しないって……それより奏はどこにいるんだ?」
職員室にはいないようだ。みんなここに集まってるからいると思ったのに。
「奏ちゃんが誘拐されたわ」
奏の部屋に行こうとした瞬間、先生が俺の背中に声をかけた。
誘拐……?
俺は何も言わずに先生の方へ振り返った。先生は指を組んで、真剣な表情で俺を見据えている。俺の反応を待っているようだった。
「お……おい、何の冗談だよ。よくわかんないけど俺を巻き込まないでくれ。もしかして奏を見つけ出せって遊びか?」
自分でもわかる程、ぎこちない笑顔で俺は先生に訊ねるが、彼女は何も言ってくれない。リニアも、葵も、依然として俺と目を合わせようとしなかった。
「何か……何か言えよ」
どうせまた三人で示し合わせて俺の反応で楽しんでいるんだろ。俺をからかうのが好きな先生にリニアと葵が調子に乗って参加して……いつも通りだ。そうだ、こいつらみんな俺で遊んでいるに違いない。
「本当だ」
やっと葵が声を発した。俺の目をまっすぐ見て。いや、それより。
「本当って? 何が本当なんだ?」
葵は再び黙り込んでしまった。
「おい、何が本当なんだ、リニア」
リニアは下を向いたまま何も言わない。仕方なく俺は先生の元まで戻った。
すると、彼女はゆっくりと顔を上げて俺に告げた。
「あいつだ。また実験をするために此処に戻ってきたそうだ」
「あいつ……? まさか」
脳内にある男の顔が浮かんだ。
「そう、あの狂人だ。二十四時間以内に来いと宣戦布告してきた」
彼女の口ぶりは冗談でも何でもない、真実を告げていた。
「……本当に誘拐されたのか」
「ええ」
「ちょっと、そうちゃん!! どこいくの!?」
俺の足は自然と扉の方を目指していた。居ても経ってもいられなかったのだ。
「落ち着きなさい。何も手がかりがないまま、今出て行っても仕方ないわ」
―落ち着けだと? 何かわかるまで待ってろだと?
「……今の俺に通じるわけないだろ!!」
「鈴木!!」
俺は壁を思いっきり殴ると、葵の制止する声も無視して幼稚園を後にした。じっとしている事なんてできなかった。
そして俺はふと思う。いくら自分で過去を振り切ったとしても、過去は他人によって再び張り付くんだ。
本当にもう―、
「うんざりだ……!!」
***
人通りの少ない道をノエルは一人歩く。身体には大量の血の跡。本来、人間ならば気絶していてもおかしくない量だが、さすが改造人間とも言うべきか。彼女は意識を保ったまま、壁に身を預けながらこの道を歩いていた。
「う……かはっ!!」
口元を押さえる間もなく、血が飛び出た。せっかくの華やかな服は既に血だらけであり、所々穴も空いている状態だ。
「誰か……」
ノエルは行く当てもないまま、ただ歩き続ける。静まり返った道にぽつぽつと雨が降ってきた。血で汚れた彼女の顔を雨が洗い流していく。次第に雨足は強くなり、ついには本降りへとなった。雨で視界が霞み、体力も奪われていく。
「ここは……」
見覚えのある公園だった。あのベンチは以前、ノエルが彼に会った場所である。知らず知らずの内に彼女はこの場所に辿りついていた。そして何故かノエルはベンチの前で立ち止まった。
―ここなら……何か……彼なら……
その時だった。誰かが走ってくる音をノエルは聞いた。
「待って……」
思わず彼女も音のする方へ走り出そうとしたが、足元がふらついて倒れこんでしまった。
「くっ……」
傷が開いたのか、再び強烈な痛みがノエルを襲った。
足音が近づく。傘も持たず、男は雨の中を走っていた。目を凝らすと、それは彼女も見覚えのある顔。
―ああ、あの男は。
「まって……!!」
雨音に消されてしまうほど、か細い声だった。しかし男は立ち止まった。そして、ノエルとは反対の方向へと走り出す。
―ねえ、まって……こっちに……おねがい……!!
「たすけて……!!」
もう顔を上げる気力もないのか、彼女は倒れこんだまま必死に願った。
雨が一層激しくなる。体温が下がっていくのをノエルは感じた。
―さむい。さむいよ。だれか。
「おい!! 大丈夫か!?」
―あれ、あたたかい。
ノエルが目を開けると、そこには先ほどの男の顔があった。彼はノエルの身体を抱きかかえ、困惑した表情をしたまま彼女の顔を覗き込んでいた。
―そうか、この男はわたしにきづいてくれたのか。
「……て」
「え?」
「たす…けて……!!」
そして血と涙と雨に濡れた少女の意識はついに途絶えた。
***
鈴木が勢いよく外に飛び出した後、部屋に残された三人は揃ってため息をついた。鈴木は三年前の記憶を思い出したに違いない。そう思った彼らは、互いに顔色をうかがう。
「どうするんだ」
「探しに行く」
葵の顔を見ずに天城は答える。
「先生、まずは探索をしてみて。もしかしたら結界に引っかかるかもしれない」
「そうね」
リニアの提案を天城はすぐに実践した。事実、現在この三人の中でリニアが一番冷静と言ってもいいだろう。彼女は状況を整理し、今後の計画だけに頭を働かせた。ここで落ち込むことも怒ることも無駄だということを彼女が一番よくわかっているのだ。それは三年前の誘拐事件で奏を助けたのは他でもない彼女だからだ。あの時の経験が役に立つ、彼女はそう信じているからこそ落ち着いていられるのだ。
しかし、彼女の身体は素直だった。気付かないうちにリニアは手をきつく握り、怒りで震えていたのだ。
「先生の探索が可能なら、その後動くことにしよう。二十四時間って言っていたから二十四時間以内は何も起きないだろう」
「いや」
葵の言葉を天城はすかさず否定した。
「奴の性格を忘れたのか?二十四時間以内にある程度終わらせて、ちょうど時間になったらトドメを刺すに違いない」
再び沈黙が落ちる。葵もリニアも返す言葉が見つからなかった。それはきっと、彼らが天城の言葉を否定も肯定も出来なかったからだ。
***
俺は雨の中を夢中で走っていた。車も人も通らない道を、行く当てもなく、手がかりすらもなく。
「くそっ……!!」
ハンス・ブリーゲルが来た時に、いや研究所の名前が出た時にもっと用心すべきだった。こんな事が起きるかもしれないって予想はついていたはずだ。
「俺がもっと……しっかりしていれば…」
「……て!!」
―なんだ? 非常に小さかったが、微かに人の声が聞こえた気がする。
俺は思わず立ち止まって辺りを見渡した。どうやら公園の方まで来ていたらしい。
「気のせいか?」
公園には誰もいない。道にも誰もいない。俺が再び奏を探しに行こうとした瞬間。
「たすけて……!!」
よく目を凝らして見ると、公園のベンチの下、血だらけの子供が倒れていた。
「おい、大丈夫か!?」
急いで駆け寄り子供を抱き起こそうとしたが、俺はその顔に見覚えがあった。先日の少女。俺たちに拳銃を向けてきた少女だった。
「……て」
「え?」
「たす…けて……!!」
そう言い残すと少女は気絶した。
……助けてと言われても、こいつはリニアを殺そうとしたやつだ。今助けたとしても、再び彼女を狙う可能性もある。大体、敵に助けを乞うってどういう神経しているんだ……。
「くそっ、俺の馬鹿野郎っ!!」
気づくと俺は少女を背負い、来た道を引き返していた。
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