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鈴木と少女が出た後、最後の一人となった天城紫乃は誰もいなくなった職員室を眺めた。しばらくこの場所を眺めたまま物思いに耽っていた彼女は、ついに外出着に手を掛ける。普段着のジーンズではなく、非常にかっちりとしたスーツ。上から下まで真っ黒な服装に着替えた彼女は、やっと外へと向かった。
「私も行くとするか」
そして彼女は扉に手を掛ける。彼女にとって三年ぶりの『外出』だ。
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『Mr.modification』と呼ばれる男は改造人間だが、その前に彼はひとりの研究員である。研究対象は巫俗の信仰に代表されるetc系列の魔法だ。彼にとってingなどどうでもいいことである。彼は自身の研究のために様々な実験をしてきた。
改造人間を動員し、多くの人間を動員し、幾年の歳月を得て至ったのが、自身の研究に最も見合う存在は『子供』という事実だった。いや、事実と言うには些か確証はない。これは彼の迷信のようなものだった。
このようにして研究を続けていた彼は、三年前ついに目的が達成すると思われた矢先、金色の魔女率いる集団に研究を阻止されたのだ。その悲劇から三年が経った。再び彼はこの地にやってきたのだ。それまで彼は研究所内部で行き過ぎた危険思考を持っているとして実質幽閉状態だったが、自身を改造人間にしてくれた同僚、ケラーから研究所がingのため再侵攻するという情報を得た。彼の助け舟のおかげで、男は再び外に出ることができたのだ。
外の景色を眺めていた男は、ふとガラスに映った自身の姿を凝視した。ヘラヘラと気味の悪い顔が映っている。しかしそんな自分の姿が男は嫌ではなかった。
ふと、視界の端に目をやる。そこには自身の顔のほかに、この部屋の様子が映っていた。血まみれの扉に、部屋中に散らばった紙切れ、謎の機械が妙な音を立てて動いていた。そして机の上には奇妙な薬剤と、先ほどまで男が使用していた電話がおかれている。その机の横にはたくさんの子供と体中から出血している一人の女性が倒れていた。
彼女、真田は生徒たちを守ろうと必死に男へ立ち向かっていた。しかしいくら改造人間で体が丈夫といえども、彼女も生物。体に溜まっていく疲労感が彼女の動きを徐々に鈍くしていた。
「実に素敵な教師像だな」
「うっ……」
男は再び立ち上がろうとする真田の膝を蹴った。彼女の体は殆ど力が入っていなかったのか、あっと言う間にバランスを崩して、前に倒れこんでしまった。
「正直驚いたよ、研究所の制約を解かれた改造人間にここまでの自我が形成されているとは。我々は本当に人間を作った、そうだ、我々が作っていたのは兵器なんかではない。人間だったよ」
そういうと男は彼女を押しのけて、奥の子供の元へ行こうとした。
「逃げなさい!!」
真田は、一人意識を残して怯えている少女、奏に向かって叫ぶ。そして彼女は最後まで男の足にしがみ付いて少女を守ろうとしたが、遂に男の拳銃により足を撃たれて気を失ってしまった。目の前で真田が倒れても、奏はこの場から動くことはできなかった。
彼女はずっと思っていた。
―なぜ今自分がこのようなところにいるのか。二度と目にすることのないと思っていた男が自身の目の前に立っている。あの男は、お母様もお父様もみんな殺した男だ。何で? 何でここにいるの? 先生もリニアも爽太もみんなもうこんな事は起きないって言ったのに。
「―どうして!? 何で!!」
奏は声を上げずにはいられなかった。誰も答えをくれない。ただその声に反応するように男の口角が更に上がった。
「さあ、前みたいに楽しく遊ぼう。あの時はまだまだ遊び足りなかっただろう? これを腕と足につけて横になっているだけでいいんだ。痛みは気にしなくていい、殺しはしないよ。君は死んではいけないんだ、私の研究のために。そう、君は最後まで私と一緒にいなければいけない。私と一緒に研究し続けなければいけない」
そしてまた一歩、男は奏に近づく。
「い……いやだ……お母様」
「大丈夫だよ、怖くないから。楽しく遊ぼう」
奏は後ろに下がることもできず、ただ首を横に振り続けた。少女の瞳には涙が溜まっていく。
「さあ」
「お母様……こわいよ、お母様……」
「それはもう聞いたから飽きたよ。もっと他にないか?三年ぶりに帰ってきたのに……そんなでは駄目だ。もっと大きな反応をしてくれ、そうじゃないとより大きなetcの能力が発揮されないだろう」
勝手に文句を垂れた男は奏の体を掴みあげると、慣れた手つきで彼女の手と足に装置を取り付けた。
「本当に私は今も昔も運がいいな。ちょうど巫女の子供が必要な時に手に入るなんて」
もはや奏は抵抗すら出来なかった。ご機嫌な様子で男は準備を続ける。
「残りの子供はどうしようか……前みたいに生贄にでもするか」
そして男は、 まるで無邪気な子供のように部屋中に紙束を散らしていく。
「さあ!! 楽しい楽しい劇の始まりだっ!!」
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以前、自身の父親であり師でもあるハンス・ブリーゲルに言われたことがある。
『ムードメーカーは何が起こっても冷静でいなければいけない』
これは、雰囲気を作る人間ならば、最も状況に適した態度を取っていなければいけないということだろう。天性のムードメーカーと自負している自分にとって根幹にもあたる言葉だ。三年前の誘拐事件でも同じ信念をもって動いた。そして結果的に奏を救出することができた。
―今度こそ倒してやる……!!
私はきつく拳を握りしめて、幼稚園を後にした。
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体が重い。完全武装して歩いている中、ずっとこの言葉が頭の中をぐるぐるしている。よくも以前の俺はこんな重たい装備に体がついていったもんだ。俺たちはリニアを先頭に黙々とアジトへの道を行く。雑談もない。本当に昔に戻ってきた気分だ。
「そういえば」
ふと俺の後ろを歩いていた葵が口を開いた。
「君の背後にいるのは誰だ」
少女の顔を見ることなく葵は淡々と尋ねる。
「それは言えない」
「おい、俺たちは協力しているんだ」
「アジトは教えた。私も友人が捕まってなければ、あなたたちに協力してない」
「つまり、友人が捕まっていなければお前らは一生アジトがわからなかったんだぞってことか。可愛くない子供だ」
ただでさえ張り詰めた空気だというのに、葵と少女に挟まれている俺は余計に気が滅入る。リニアは何も言わない。先生は行かなきゃ行けない所があるらしく、俺たちとは別行動だ。仕方なく俺が仲裁に入ろうと思った瞬間、
「……今回のことはありがとう」
少女がぽつりと零した。
「ありがたく思っているけど……本当に話すことはできない。この協力関係が終わったら、私は再び研究所に戻るつもりだ」
神妙な顔の少女にかまわず、葵は平然と言葉を返した。
「こんな裏切り行為みたいなことして研究所に帰ったら、どんな仕打ちが待っているだろうな」
「……けど、私にはそこしか帰る場所がない」
消え入るように答えた少女に葵はもう何も言わなかった。
「あのさ」
重たい空気に耐えられず、ついに俺は口をはさんでしまった。
「なに」
特に質問もなく声をかけてしまった手前、何を言えばいいんだ…
「あ、えっと……名前はなんていうんだ?」
すると彼女は驚いた表情をしたまま、しばらく顔を伏せていた。
うん……まあ、これも禁止事項だろうな。
「ノエル」
「え?」
「私の名前は、ノエル」
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様々な機械を動かしながら男は鼻歌を歌っていた。目の前で少女が苦しんでいようと関係ない。むしろ楽しげな様子で彼は記録を取り続けている。大切な研究のためだ。
男が奥の機械を動かそうと思った瞬間、机の上の電話が鳴った。
「はいはい、もしもし」
上機嫌な声で男は受話器を手にした。
『Mr. Modificationか?私だよ、久しぶりだね』
声の主はノエルの上司、部長と呼ばれている男だった。
「これはこれは、誰かと思いきや私の尊敬致します旦那様ではございませんか!! いかがなさいましたか?」
芝居がかった受け答えをすると、電話の男は豪快に噴きだした。
『いや、色々と気になってね。君は夢中になると周りが見えなくなるから、何か事を起こす前に連絡してくれってケラーから一言預かってきたんだ』
「ああ、なるほど。確かに私はingなど気にせず自身の研究に没頭していますよ。あんなもの議会の人間が欲しがっているだけだ。あなたもそこまで欲しいとは思っていないのでしょう?あなたの目的は金色の魔女のはず」
『さあ、どうでしょう』
電話の男は適当にはぐらかすが、彼にとってはどうでもいいことのようだ。男はすぐに自身のことを話し始めた。
「この場所に来た瞬間、すぐに思い出した。ここは以前の場所だとね。すぐに私は行動を開始しましたよ、一クラス分の子供を連れてきたら、なんと運のいいこと目標物がそこに混じっていたのです」
『目標物?』
「ええ、目標物です!! 以前私が研究していた巫女の信仰とetcの作用。その時の子供が!! なんと!! そこに混じっていたのです!! ああ、これは運命なのだと思いました。神は私に実験をしろと言っているようにしか思えなかった」
男は一人で熱く語った後、ふと思い出したかのように続けた。
「そうだ、そういえばあなたの部下、尖兵の。必死に私の邪魔ばかりするので勝手に処理しときました。まああなたには取るに足りないことでしょうけど」
『ノエルが拒否をしたのか』
「ええ、あ、そういえばあなた勝手に感情制限を解いたようでしたけど、あれは不法では?それと改造人間をもう一人手に入れたんで、研究所の方に後で送りますね。人手不足なんでしょう?」
一方的に話す男はやっと口を閉じた。電話の男は少し考えるような間を開けると彼にゆっくりと訊ねた。
「一つ聞きたいんだが、その混じっていた子供というのは以前私が狙っていた巫女の子供か?」
「そう、その子供です。まさかまた会えるとは思わなかった!!」
再び興奮した様子で話しだす男を電話の男は一蹴した。
『馬鹿野郎』
「え?」
電話口から聞こえてくる冷たい声に、彼もぴくりと眉を上げた
『お前は失敗した。もう二度と会うことはないな』
「どういうことだ」
『健闘は祈っている』
そして電話は切れた。
突然の出来事に男の思考は追いつかなかった。やがて唇をきつく噛み絞めると、男は物凄い勢いで受話器を投げ捨てた。
「ふざけるな!! 何が失敗だ、あの野郎!!」
少女の方へと向き直る。彼女はもう悲鳴を上げる力もなく、ぼんやりとした目で虚空を見つめていた。涙の跡も乾いている。彼女の身体は、気絶する寸前で機械が調節をされているため、意識を失うことすら許されないままだ。
そんな少女の様子に満足したのか、男の顔はすぐに狂気の笑顔へと変わった。
「まだ終わらない、私の劇はまだ終わらない!!」
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