演劇が終わった後

-私を忘れないでください-
宮下ソラ
宮下ソラ

「3」

公開日時: 2023年2月9日(木) 23:35
文字数:4,930

***




最期の授業が終わり、残すは帰りの挨拶だけ。子供たちが帰り支度をする中、奏は夕飯の献立を考えていた。以前に比べて食い扶持が増えた分、食材もすぐになくなってしまい、買い物に行く頻度も多くなっている。今日は鈴木も早く終わると知っているため、奏はもしかしたら彼と一緒に買い物に行けるのではないかと少しだけ期待をしていた。みんなで夕食を食べて、TVを見てゴロゴロする。これが奏が立てた今晩の予定であり、楽しみであった。


そろそろホームルームのための鐘が鳴るはずである。帰り支度を終えた生徒たちが、自身の席へと戻り始める。




―あれ?




奏は妙な違和感を覚えた。




―何かがおかしい。静かすぎる。学校ってこんなに静かだったっけ。




奏はよくわからない不安感を胸に抱え、辺りを見回す。


周りの生徒はいつも通りだった。ほっと安心して奏も帰り支度を続ける。




キーンコーンカーンコーン




帰りの鐘が鳴った。日直が前に出ようとした次の瞬間。誰かが教室の中へ入ってきた。帽子を深く被っていて顔が見えないが、おそらくこの学校の者でないことは確かだ。担任である真田も上手く状況が掴めていないらしい。


「だ、誰ですか?」


彼女の言葉を無視したまま、正体不明の人物は笑った。とても気味が悪い笑いだった。




―しまった。




奏が戦闘態勢を取る間もなく、彼女の意識はここで途絶えた。




***




再び奏が目を開けると、そこは学校ではなかった。周囲にはクラスメイトと真田。奏は瞬時に自分たちは拉致されたのだと把握した。


ひとまず何故拉致されたのかは考えず、脱出方法がないか探すことにした奏は自身の前に大きな窓を見つけた。地上からの距離を見る限り、ここから飛び降りることは不可能な高さである。冷静に脱出手段を考える奏。残る手段は外部との連絡だった。気絶したままの真田の身体を探り、携帯電話を取り出すが建物自体に何らかの細工がされているのか、通話もメールもできない。


外部から遮断された空間。扉の前に残る血痕。机の上に転がる薬瓶。


自身の息が荒くなり、鼓動が速くなっているのを奏は感じた。


その時だった。


「う……」


奏の後ろでうめき声と共に真田が目を覚ました。


「先生」


「……ここは?」


真田もここが学校でないと分かると、自分たちが何者かに連れ去られたのだと理解した。


瞬間、ぱっと扉が開き、先ほどの人物と思われる男が入ってきた。真田はすぐに奏を自身の後ろに追いやると、落ち着いた声で男に問いかけた。


「……私たちをどうするつもりですか?」


真田の質問に答えることなく、男は静かに笑った。


「研究所所属、HG39291真田か?」


その言葉に真田も奏も目を見開いた。




―研究所? 先生が?




奏は驚きを隠せず真田と男を交互に見つめる。


「一度でも研究所に所属した身。やはり最後はここに帰ってくるものだな」


男は嬉しそうに笑いながら、帽子を脱いだ。




―え?




奏は先ほど以上に心臓が波打つのを強く感じた。


「やあ、久しぶりだね」


彼の瞳に映っていたのは奏だった。




―頭の中で記憶が巻き戻されるような感覚。


―あの顔、あの声。




―そう、私は知っている。




「三年ぶりだね。私のこと覚えているかな、お嬢ちゃん。またよろしく頼むよ」


奏の中で何かの糸が切れる音がした。




次の瞬間。


「いやああああああああああああ!!」


狂気の笑みを向ける男に対し、少女の顔は恐怖に満ちていた。




***




「んー?」


執務室に響くうなだれた声。天城紫乃は朝から妙な不安感に襲われ、落ち着かずにはいられなかった。気のせいだと思い、仕事に戻ろうと思ってもそわそわして集中できない。そんな状態がずっと続いているのだ。


『災いというものは自身が思っていると起きる』


その様なスタンスを取っている天城としては、できるだけ悪い方向には考えないようにしているつもりであった。


しかし、何故か今日だけは違う。どうしても拭うことのできない不安感に天城は何か重大なことを忘れているのかと何度も予定表を見直すが、何も書いてない。ましてや今日は休日のはずである。ここ数日間は幼稚園の短期休暇が入っており、園児はもちろんのこと先生達も休みになっている。




ふと、天城は気晴らしに数日前のことを思い返した。彼女の弟子、リニア・イベリンが食客としてここに暮らすことになった際、他の先生達は突然現れた見ず知らずの外国人に対し、どのように接すればいいのか分からなかった。


しかし彼女は持ち前の明るさですぐに他の先生達と打ち解け、子供たちとも一緒になって遊んでいたのだ。あの頑固で有名な佐藤先生でさえも、リニアの満面の笑みの前には歯が立たなかったようだ。


さらに彼女は保護者からも好評価であり、リニアの西欧的な外見からすぐに臨時のネイティブ・スピーカーの英語教師として受け入れられた。この様にしてこの幼稚園は数週間の内に国際色豊かな、私立幼稚園にも劣らない施設に変わったのである。


「やっぱりリニアにも教員免許取らせて、ちゃんとした英語教師として売るべきか……」




いかにも本人が嫌がりそうなことを天城は割と真剣に計画していた。全てはこの妙な悪寒から目をそむけるため。しかし彼女は同時に知っている。自身の悪い予感はよく当たるという事実を。


「そろそろ奏ちゃんが帰ってくる時間か」


壁にかけられた時計に目をやる。普段ならばもう帰っていてもおかしくない時間だが、最近は買い物をして遅くなることが多い。何より彼女に関しては、連絡も無しに遊びに行くような子供ではない。このように考えて気を紛らわせるが、やはり先日の葵の言葉が天城の耳から離れなかった。


天城はじっとしていられずパソコンをつけると、お気に入りに入っているショッピングサイトをクリックした。彼女の数少ない趣味の一つ。天城は気になったものをいくつかカゴに入れて、一気に購入した。また余計な出費だと怒る奏の顔が目に浮かび、天城は苦笑いを浮かべる。




―奏ちゃん。




何故か今日に限って彼女の顔が頭から離れないようだ。


次の瞬間。




ガチャリと扉が開いた。




「あれ、先生何してんの?」


扉を開けて入ってきたのはリニアだった。


「また余計なもの買って……奏ちゃんに怒られるよ?」


「平気、平気」


天城のパソコンをのぞきこみ、呆れたように指摘するリニアの言葉を天城は平然と受け流した。


「それより奏ちゃん、まだ帰ってこないの?」


「さあ。その内帰ってくるでしょ」


「その内って……保護者でしょ、先生」


「保護者だからって子供の行動を全て把握しているわけではないでしょ」


「まあ、そうだけど」




じっとパソコンから目を逸らさない天城。そんな様子を見て、リニアは再び声をかけた。


「先生、何か気になることでもあるの?」


「いや別にないけど」


「そう」


「……何故?」


「なんか不安そうだなーって」


曖昧な返答をするリニアに対し、天城は素っ気ない態度で言葉を返した。


「私が何を心配するっていうの」


「それもそうだよね、先生に限ってないか」




弟子との他愛無い会話をして不安感を拭いたかったが、天城はまたしても無意識の内に時計に目をやってしまっていた。




***




「こんにちは……って、二人とも何してるんだ?」


青年、時宮葵が幼稚園の扉を開けると、二人の女性がパソコンから顔を上げた。


「いや何も?」


「ただのお買い物よ」


「買い物……ねえ」


天城の言葉に葵も呆れた表情をする。普段の彼女を知っているが故の反応だろう。


「そういや鈴木と奏ちゃんは?」


上着を脱いで一息ついた葵は、世間話でもするかのように二人に問いかけた。


「まだ帰って来てないよ」


「帰って来てない?」


特に気にする様子もなく答えるリニアだったが、葵は妙な胸騒ぎを感じた。昨日の自身の言葉が頭の中でよぎったのだ。ちらりと天城の方を見ると、彼女の顔はどこか思いつめたような表情をしていた。


「先生」


彼の呼び掛けに天城は視線だけを寄こした。そして葵は一呼吸置くと、ゆっくりと疑念を口にする。


「鈴木はともかく、いくらなんでも遅くないか?」


天城は何も言わずにただ彼を見つめている。そんな彼女に気圧されながらも葵は続ける。


「……奏ちゃんならすぐに帰ってくるだろ。いつもなら買い物を済ませて夕飯を作っている頃だ」




鈴木ほど仲が良いわけではないが、彼も奏のことをそれなりに大事に思っているのだ。葵の言葉に、ついリニアも顔をそむける。彼女も内心、落ち着いてはいなかった。


窓の外の景色は薄暗くなって来ている。冬は陽が落ちるのが早い。


「本当に何も……」


「起きてない」


葵の言葉をかき消すかのように天城が答えた。あまりに早い返答に、リニアも困惑の表情を浮かべる。


「先生……?」


明らかに天城は動揺をしていた。しかし、葵も事件が起きているという確信があるわけではなかった。


「一応、もう少ししたら警察に電話した方がいいと思うけど」


「わかってる」




張り詰めた空気が緩みかけた、その時だった。


机の上の電話がなった。部屋中に無機質な音が響き渡る。通常、この時間帯に幼稚園にかける者は滅多にいない。更に今日は休園日であり仮に電話をしたとしても出られないことは父兄の方々にも伝えてある。また緊急の場合は天城の携帯に連絡するようにとも伝えている―つまり、この電話にかけてくる者はいないはずである。


天城の顔に冷や汗が流れる。息を飲んで、彼女は受話器を手にした。


「……もしもし」


『───を打出さ職……ジジ…分…支持機…』


ノイズがひどくて、聞き取ることができないようだ。


「……何なんだ?」




彼女はしばらく受話器を耳にあてていたが、相変わらずノイズばかりで何も聞こえない。


だんだんと悪戯電話に思えてきた彼女は、受話器を戻そうとしたが。


『よう、久しぶりだな。元気だったか? キルヘン』


楽しげな男の声が受話器から聞こえた。いや、今気にするべきはそこではない。声の主は、彼女、天城紫乃の本名を呼んだのだ。


「誰だ」


天城は鋭い声で電話の主に問いかける。すると、受話器から一層弾んだ声が響き渡った。


『あれー? わからないかな?私だよ、キルヘン。覚えてないのかい? 残念だなあ。悲しいなあ』


「誰だと聞いている。答えろ」


ふざけた態度に天城も一層厳しい顔になる。


『……先生っ……!!』


奥で聞こえた微かな声。彼女の目が大きく見開いた。


そして―、


『……先……生……先生! 助け……!!』


受話器の奥から聞こえる声はどんどん大きくなっていった。やがてそれは、女の悲鳴や子供たちの悲鳴。更には、奇妙な機械音にガラスが割れる音までも重なり、再び男の声に戻った。


『おっと、ここまでだ。感動的な再開は後でするように。今はパーティータイムだからな!! 祭りだ、祭りだ!! イェーイ!!』


「何が目的だ」


あくまで冷静な態度を貫こうとする天城だが、明らかに動揺を隠せずにいた。そんな彼女に対し、男の機嫌はひとりでに良くなっていく。


『目的? 私は私の実験のためにここに来ただけだ。まあケラーに頼まれたってのもあるけどな!! とにかく俺は俺のやりたいことだけをやる!!』


まるで薬でも入っているかのようなテンションで男は語る。


『くくく……そしたら偶々見慣れた子供がいたんでな!! しかも金色の魔女と一緒に暮らしてるらしいじゃないか!! 面白い、これはまた大きな結果が出るに違いない!!』


「どこにいる」


『ああ、待ってるよ。逃げたら会えないからね。それはそれで寂しいんだ!! せっかく君の本拠地に来たんだ、もっと驚いてくれ!! 協会と君が一緒になって戦う姿が私は見たい』


「どこにいるか答えろ」


『……もっと驚いて欲しいな。もっと私を楽しませてくれ』


天城の素っ気ない返事を噛みしめるかのように男はひとり酔いしれる。


『これから二十四時間だ。私がどこにいるのか探し出してみろ。大丈夫、簡単だ。捨て置いた改造人間を見つければ、すぐにわかる。それじゃあ、私は久しぶり素敵な劇をやりたいから失礼するよ。ちなみに監督はもちろん私。最高傑作を約束するよ!!』




―ブチッ




彼女の返答を聞くまでもなく、男は電話を切った。


静まり返った室内。葵もリニアも彼女の顔色と電話口から聞こえる男の異常な声で状況を理解したようだ。天城は受話器を置いたまま、微動だにしなかった。彼女の胸中には様々な想いが巡っている。何より奏を危険な目に合わせてしまったのだ。







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