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「へえ……まさか私たちの旅行中にそんな大変なことが起きてたなんて」
幼稚園の職員室。天城遊幽は新聞を読みながら、姉である天城紫乃の話に相槌を打つ。彼女は数日前までフランスにいたため、この町で起きた出来事を聞くのは初耳だった。
「読んだ新聞はそこにまとめておきなさい。他の人も読むんだから」
「はーい」
彼女は新聞を読み終えると、やっと天城に顔を向けた。
「それで?どうなりました?」
「とりあえず、私の機嫌はいいわね」
「そんな言い方ではわかりません」
むっと顔をしかめる遊幽に対し、天城はそんな妹の姿を見て涼しげに笑った。彼女にとって妹をからかうことは楽しみでもある。
「まあでも皆さん無事なようですね」
「ええ、遊幽の方はどうだった?旅行、楽しめたかしら」
すると、彼女は突然顔を手で覆う。先ほどまでの和やかな雰囲気が一気に暗雲立ち込めるものに変わったのだ。
「ああ……姉さん。聞いてしまいましたね。あのバカは一日中、恋に敗れたアンダーソンと飲み歩いてましたよ。おかげで私は……一人でパリの街を……」
「あらあら」
目の前で泣きべそをかく妹を前に、彼女はつい苦笑いを浮かべる。ふと、天城は静かに嘆息した。
「平和ね」
「何がです?」
「いや、何でもない」
先ほどから何度もひらりと躱されている感じが嫌なのだろう。ついに遊幽は姉に向かってずいっと身を乗り出した。
「さっきから何なんですか!!いつまでも適当に流せると思ったら大間違いですよ!!さあ、姉さんが思っていることをそのまま仰ってください!!」
「うーん、そんなことを言われてもな。私もどこからどう話せばいいのかわからないんだ」
「もう!!姉さん!!」
一段と頬を膨らませる遊幽。そんな彼女を見て、天城はまた楽しそうに笑った。
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「やあ……これは、これは」
非常にかすれた声で、ロベルトは自身を背負って走る少女に声をかけた。
「マルセンだ」
「知っているよ……君は、今回……積極的に参加しないと、聞いたけど」
「マルセンが行動することはマルセンが決める」
「そうか……そして、私を助けると?」
「マルセンがそうする方が正しいと判断した」
「それにしても……少女におんぶされるというのは、少し恥ずかしいな」
「マルセンは少女ではない。四十歳は超えている。この体はただの借りものだ」
「そうだね……君の目的は男性に戻ることだったね」
「マルセンが思うに、君は重傷だ。しばらく休んだ方がいい」
「そうするよ」
そして、ロベルトは再び少女の背中で目を閉じた。
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「うわ、久しぶりすぎて誰だかわからない」
というのは冗談である。だが、それほど俺は目の前に立つ男――赤城集と再開するのは久しぶりなのである。
「やあ、聡太。たしか半年ぶりかな。元気だった?」
「元気かと言われても俺もよくわからない。俺は元気そうか?」
そういうと、赤城は気持ちの良い笑顔で俺の雑な質問に返答してくれた。
「そんな風に冗談が言えるなら、君は十分元気だよ」
「それもそうだな」
しかし、俺が聞き返したのも満更ではなかった。先日の事件のことがまだ頭に残っている。あの男がどうなったのかもわからない。俺は気づくと病院にいたのだ。幸い、足に銃弾が貫通したこと以外は大した傷もなかった。足の方もそこまで重症ではなかったらしく、この通り俺はすぐに退院できたのだ。
「まあ、でも当分は松葉杖怪人だがな」
「【松葉怪人】か、なかなかのネーミングセンスだね」
相変わらず赤城は楽しそうに相槌を打ってくれていた。そして彼は、思い出したように自身の鞄からたくさんのプレゼントと思しきものを取り出す。
「今回のパリ旅行のお土産だよ、はい」
「ありがとな。いいな、海外旅行」
「うん。楽しかったよ」
ニコニコと笑顔を崩さない赤城。思わず俺は、悪戯心でその笑顔を崩したくなってみたのだ。
「楽しかったなら、良かったな。恋人とも楽しくできました?」
てっきり慌てた顔、もしくは照れた顔でも見れると思ったが、
「友よ……女性は怖い生き物だよ」
何故か赤城は怯えた顔をしていた。
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「パースーター!!」
ノエルはベッドの上で横になりながら足をバタつかせる。ここは真田のマンションだ。キッチンでは真田がしどろもどろになりながら、パスタを作っていた。
「これ、意外とうまくいかないね」
「ええ?頑張ってよー」
「ごめんね、やっぱりまだまだ色々と勉強しなきゃいけないみたい」
「せっかくパスタ食べられると思ったのに」
「ごめん、ごめん」
そういって真田はノエルへと笑いかける。
「じゃあ私、お家帰るよ」
ノエルが言うお家とは、先日できた家だ。普段は幼稚園を経営している。真田は玄関で靴を履くノエルに向かい、車に気を付けること、知らない人間には付いていかないこと、とまるで母親のように忠告をしていた。すると、ノエルはむっとした表情で、
「私のことお子様だと思ってる!?」
「うん」
真田の回答が気に入らなかったのか、ノエルはべーっと舌を伸ばして、一目散に玄関を飛び出した。そんな彼女の背中を見て真田は小さく笑みを漏らす。
「だってノエル、そんな嬉しそうな顔してるんだもん」
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「事後処理はどうでした?」
協会の休憩室。葵はからかうように笑い、目の前の男性に声をかけた。男は疲れたように休憩室の椅子にもたれかかる。
「どうもこうもあるか……お前らのせいで過労死するところだったわ、改造人間の死体はそこら中に落ちてやがるし、マスコミはマスコミで一気に群がってくるし、警察にも消防にも上手いこと話を言いくるめて」
「完全に権力による暴力だ」
「拳を振るう側にもそれなりのダメージがあるんだよ、馬鹿」
「もう一回こういうのが起きたらどうします?」
「勘弁してくれ……だが、当分はないだろう。核とも言える連中が消えたからな。まあ、全滅したわけではないが」
男の言葉に、葵は困ったように笑みを浮かべ肩をすくめた。
「一人、生かしてあげた人もいるしね」
「何?」
「一人くらいは見逃してあげてもいいと思って」
全く悪びれた様子も見せない彼に対し、男は非難するでもない、奇妙なものを見る様な視線を向けた。
「変わった男だ」
「そう?」
「まあいい。本人が自覚していない以上、いくら言っても無駄だ
そう言って男は懐から煙草を取り出した。
「おじさん、禁煙」
「うるさい。お前らのせいでコイツの数が増えちまったんだ」
男は躊躇うことなく煙を吹かす。葵も彼の煙草癖には慣れたのだろう、それ以上何も言う事はなかった。ふと、男は何かを思い出したかのように口を開いた。
「金色さんにも今回の報告頼むぞ。あまり暴れるなって。あと、奏にもよろしく伝えといてくれ。私の娘も奏と同い年でね、今度会わせたいと思っているんだ」
嬉しそうに自分の娘を語る男。その姿は間違いなく一人の父親だった。
「呑気だな」
「呑気で何が悪い」
男はぷかぷかと気持ち良さそうに煙草を吹かしていた。一方の葵は、緩んでいた顔を引き締め、彼に改まって声を掛けた。
「今回の事件、結局どう解釈すればいい」
男は葵を見ることなく、口元から煙草を取った。
「私たちが全てを知ってから動いた事件が今まであったか?私たちはただ、目の前に迫ったものだけを解決してきた。全てを知ろうと思って前に出てもな、抜き出た釘は撃たれるってのがオチだ。まあ――、」
そういって、彼は灰皿に灰を落とす。葵は黙って男の言葉の続きを待った。
「etcの文書が今後どんな影響を及ばすかは分からない。研究所という脅威が無くなった今、私たちにとって邪魔が入る恐れはないからな」
「私たち……ねえ?」
「いいか、研究所と協会ではレベルが違う。悪戯に敵に回すな、私はお前と戦いたくはない」
男は真剣な表情で葵を見据えた後、目の前の男がニコニコと笑っているのに気付いた。どうやら、今の彼にとってその笑顔は罰が悪いようである。男は葵に早々に出て行くよう促した。
「わかった、わかった。もう行くよ。それじゃ、おじさんも元気でね」
「ああ、お前もな」
ひらひらと追い払うように手を振る男を背に葵は部屋を後にした。そして、一人残った男は、静かに煙草を口にくわえ直す。
――研究所の次は協会。あいつも大変だな。まあ、研究所も完全に終わったわけでもないか。
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