「やっぱりこの店が一番だな!」
そう言いながら、アンダーソンは慣れた仕草でカウンターの席へと腰かけた。かなり上品な雰囲気が漂う店内。客の数はまばらであるが、それすらも店のオブジェクトであるかのように静かな空間が出来上がっていた。カウンター越しの店員もあえて客に声を掛けることもない。黙々と自身の作業を行い、あくまでも受け身の姿勢でいるようだ。店内の雰囲気に気後れしつつ、赤城たちもアンダーソンの隣へと腰かけた。
――かなり古い店だな。
店内を見回していた赤城は、ふと、匂いでそれを感じ取った。新しい店内に漂う匂いと、老舗の店内に漂う匂いは明らかに違うと彼は感じている。これは彼の特技であり、癖のようなものだった。
「二人は何を飲むんだ?」
座るや否や、真っ先にビールを注文していたアンダーソンは、彼らに声を掛けた。
「ああ……じゃあ俺も同じやつを」
ちらりと赤城は、何気なく隣に座る彼女の様子を窺った。明らかに不満げな表情を浮かべている遊幽。しばらく赤城を見据えていた彼女は、諦めたかのようにため息をついてメニュー表に視線をずらした。
「マンハッタンを一つ」
薄暗い照明、店内の雰囲気のせいもあり、彼女は普段より大人びて見えた。しかし、初めての海外旅行。明らかに不安な様子も見て取れる。そんな遊幽の姿に、赤城は思わず笑みを零してしまった。
「……何?」
「ん?」
「何でじろじろ見てるのよ」
「いや、ただ、綺麗だなって思って」
「……意味分かんない」
そして彼女はそっぽを向いてしまった。
初対面の人間からは素っ気ない態度に思われるが、赤城にはわかっていた。これは彼女の照れ隠しのようなものである。彼のガールフレンドある天城遊幽は『好意』を表現する方法が非常に下手なのだ。彼女は幼少期から親の愛情を受けてはいたが、愛情表現を受け取ることは滅多になかった。『愛している』、『大好きだ』等の言葉を聞いて成長してこなかった彼女にとって、それは【言わなくても良い事】のように捉えているのだろう。
現に彼女は初めて会った瞬間から、赤城に迫っていった。一目惚れだったのか、すぐに遊幽は彼に『付き合ってほしい』と告げた。初対面の女性にいきなり交際を求められる機会なんて殆どなかった赤城にとって、そんな彼女はとても魅力的に映ったのである。
――明らかに他とは違う。におい。雰囲気。
そして四年もの月日が彼らを過ぎて行く。魔女に出会った時も、友人が消えた時も、天城遊幽は彼の隣にいた。
「おい」
アンダーソンの呼び掛けに、やっと赤城は意識を取り戻した。
「周、もう酔ったのか?」
「いや、ちょっと考え事していただけだよ」
「そうか」
訳知り顔でアンダーソンは笑う。赤城もいつも通りの微笑を浮かべた顔を返した。
「さてと……普段なら気持ちよく幹杯するところだが、まずは先に逝っちまった友人にこの酒を捧げよう」
「ああ」
「そうね」
アンダーソンの提案に彼らも頷いた。
そして三人は互いの杯をぶつけず、虚空で杯を交わしてから、それを口に含んだ。
***
店内に流れる古いポップミュージックのせいか、どこか懐しい心地のまま、しばらく沈黙が続いていた。
「ここはBARなのか?それともPUBか?」
唐突に口を開いた俺の質問に、アンダーソンは豪快に笑いながら答える。
「俺はPUBだと思うな!何故なら俺がビールを飲んでいるからだ!!」
「なにそれ」
いつもより上機嫌なアンダーソンに対し、冷静な反応をする遊幽ちゃん。そんな二人の会話に、俺は思わず笑ってしまう。
ふと、呆れた顔をしていた遊幽ちゃんがマンハッタンを一口飲んだ。一口、また一口。彼女がお酒を口にする姿から、何故か俺は目を離せずにいる。
瞬間、俺は顔が熱くなっているのを感じた。すぐにいつもの表情に戻すが、さすが、この気の利く友人にはバレていたようだ。
「奥さんが酒を飲む姿がそんなにいやらしかったのか?」
――直球か。
「いや、そうじゃなくて。綺麗というか、美しく思っただけだよ」
俺が正直にそう答えると、アンダーソンは含みの無い、純粋な笑顔で笑い始めた。
「さっきからどうしたんだ?まるで映画の撮影でもしている気分だ!!本当にお前は面白いな」
目の前でからかう友人に、俺も少し恥ずかしくなってきた。
「……俺は思った事をそのまま言っただけだ」
「周はロマンチストだな」
「別にロマンチストなんかじゃ……!!」
「ロマンチストよ!!美しいとか綺麗だとか普通に言うんだもの」
俺が否定しようとしたところに、思わぬところから援護射撃が来た。そして遊幽ちゃんは楽しそうに笑いながら、再びマンハッタンを口にする。
「おいしい……良い店ですね、行きつけなんですか?」
すっかり店の雰囲気にも馴染んできたのか、遊幽ちゃんは親しげにアンダーソンへと問いかけた。対する、アンダーソンも誇らしげに胸を張って、それに答える。
「ああ!!毎日さ!!ここは酒も安いしな!!」
すると、カウンター越しに立っていたバーテンダーは威圧的な視線を彼に送った。それに気づいたアンダーソンも、思わず頭を小さく下げて愛想笑いを浮かべる。
「ま、まあ今のはちょっとした冗談で……俺が初めてフランスに来た時な、あれこれと苦労が多かったんだが。そんな心さびしい中、偶然この店を見つけたんだ。それ以来、俺はこの店の虜になっちまったってわけだ」
そして彼は、グラスの空いた俺の分も含めてビールを二つ注文した。
「ありがとな」
「いいって、いいって。せっかく友人で再会したんだ!!こんな素敵な日に飲まないで、いつ飲むって言うんだ!?」
「あら、おじさん。あなたも意外とロマンチストなのね」
「おじさん!?お……俺、君とそんなに歳変わらないはずなんだけど!?」
アンダーソンと遊幽ちゃんは中々、気が合いそうである。俺はそんな二人の掛け合いに、つい声を出して笑ってしまっていた。
――ああ、平和だ。
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