演劇が終わった後

-私を忘れないでください-
宮下ソラ
宮下ソラ

「11」

公開日時: 2023年3月12日(日) 03:13
文字数:4,891

***


「君はこの世界についてどう思う」

唐突な質問だった。

「……俺はそんなスケールのでかい事考えたことないんでよくわからないですね」

俺はハイティントンと正面から向き合い、きっぱりと告げた。

「へえ。過去に世界を救った人間の言葉にしては意外だな。まあ、でもそれが最も君らしい答えなのかもしれないね」

「それは皮肉ですか?」

「とんでもない、そんなはずないじゃないか」

男は苦笑したまま続ける。

「それじゃあ君は、いつもこの現実の世界をどんなふうに見ているんだい?」

本当につまらない質問ばかり聞いてくる。

「そんな無駄な事、考えた事もないです」

「じゃあ今考えてみてよ」

仕方なく俺は考えをまとめることにした。

「……人間関係っていうのは複雑だ。どっちかに傾くと悪い面だけが見えるし、それでももう一方に傾いてもおかしい気がする」

「私はこの世界について聞いたんだが?」

「同じ事ですよ。つまり俺はどちらに傾くことはない。俺は真ん中にいたい」

男は俺の言葉の続きを静かに待っていた。

「この世界をどう思うか?そんなの色々な見方があると思う。肯定的な人、否定的な人、様々だろう。俺は普通に生きたい。ありのままを受け入れる。ありのままを一生懸命に生きていくしかないと思っている。これが俺が世界について思う事だ」

「それは理想主義者を否定するということか」

「違う。理想主義者には理想主義者なりの現実があるんだろう。俺が見えていないだけで、彼らはその現実をより現実的にしようと生きているだけだ。俺はそれを否定しない。ただ俺は、一日一日をしっかり認識して生きている。目の前にあるものを一つずつ片づけていくだけだ」

「なるほど」

そう言って、男は両手を組んで俺を見つめた。

「目の前の現実をありのままに受け入れる。それが君の見ている世界か……ふむ、それなりに満足のいく答えだよ。ありがとう」

ハイティントンは勝手に礼を述べると、先ほどより深く椅子に座りなおした。そして俺の後ろにある扉を、気まずそうな顔で見つめる。

「……これでも私、普通に教授として通っているんだけど。あの壊れた扉……どうしようか」

いくらなんでもやりすぎだ、リニア。

「……なんか、すいません」

「ああ、大丈夫、大丈夫。何かしら理由を考えるよ」

俺が軽く頭を下げると、男は何てことない笑顔で笑いかけてくれた。

「私はこれでもう退くつもりなんだ。私は私なりの余生を楽しもうと思っていてね。ベルコルも敗北し、急進派も全滅。残っているのは、一部の原論主義者と穏健派。議会はほぼ穏健派の思い通りになっていくだろう。そして私も離れる……研究所もただの組織になるに違いない」

ハイティントンは俺の相槌を待つことなく、続きを述べる。

「私の用事は二つだったんだ。一つは君に真実を伝える事。もう一つはing、鈴木聡太という人間がどんな性格をしているのか、いやその資質を見に来たんだ」

「……それで俺の、その資質とやらはどうだったんですか」

すると彼は大きく肩を上下して笑ったかと思うと、

「私が想像していたものとは正反対だった。いや、だから納得できたのかもしれないな。現実そのものを認める事が大変でも、そうだな、そんな風に自分の人生が充実していたなら……」

ぶつぶつと独り言を呟く男。ふと、彼は顔を上げた。

「ingが発動する条件は簡単だよ」

「え?」

「いや、etcが発動する条件は自身の現実を認め、先に進むことだ。そうすれば自然と心に突っかかっているものも消えてしまう。その時、etcは発動する」

「……口で言うには簡単そうですね」

「表情が硬くなったよ」

見抜かれていたか。

「ing発動条件。それは誰でも克服しなければいけない、一種の自己訓練だ。『現実を認め、前に進む』。そうだな、たとえば君の身近にいる少女……九条奏も使えるということは彼女も自身の現実を認めたということだ」

それはつまり│、

「……俺はまだ現実を認めてないということか」

「いや、君は現実を認めている。そして前に進もうともしている。だが」

「だが?」

俺は男の言葉を繰り返す。すると彼は一瞬躊躇うような間を空け、

「続きは言わないでおこう。君自身で明らかにすべきだ。まあどうせ君はingになんて関心ないだろうけど」

「その通りですね」

俺がそう返すと、男は満足げに口元を緩めた。

「最初から君と戦う気はなかったよ。少し助言をしに来ただけだったのにな……彼女が来るとは予想していなかった」

「リニアですか?」

「ゴトー君は彼女に関心があったようでね。悪いけど、私の個人的な用に彼女を巻き込んでしまった」

そこでやっと俺は察した。それと同時に安堵の……いや疲労からのため息が零れる。

「……結局、俺たちはあなたの掌の上で踊らされていたってわけか」

「まさか。教授が生徒を弄ぶわけないだろう」

「……本当ですか?」

「はははっ!!」


***


「はあああ!!」

ゴトーは雄叫びをあげてリニアへと突進した。全力で行くと言った彼女の攻撃は、言葉通り、先ほどよりも更に鋭さと正確さが増していた。

リニアは接近戦に持ち込めたと思っていたが、再び彼女から距離を取らざるを得なくなる。

「いっ……!!」

リニアの身体に痛みが走る。先ほどの落下の衝撃だろう。重傷は免れたもののまともな受け身を取れずに落ちたため、打ち所が悪かったのかもしれない。

依然としてゴトーは冷たい表情でリニアへと近づく。瞬間、リニアは懐から取り出した紙を彼女へ向けて放った。そこに書かれていたのは『稲妻』という文字。そしてそれはゴトーの頭上付近になると、激しい音と閃光を発した。

「くっ……!!」

リニアの攻撃にゴトーも思わず足を止める。しかし、彼女は予めこの攻撃が来ると予想していた。リニアが紙を投げたと同時に、彼女は肘で両目を覆っていた。そして閃光が光る前に、彼女はその効果範囲外にまで身を引いていたのだ。

自身の攻撃、しかも割と切り札にも近い魔法を用いた技が見破られてしまった。リニアの胸中に広がる焦燥。

すると唐突に彼の顔が頭の中に浮かんだ。リニアにとってとても大切な人│聡太がいる校舎の方を彼女は見た。戦闘が行われている気配はない。

「エドモン・ハイティントンに戦闘能力はなさそうね」

「私にはある」

そう言ってゴトーは前に出ると、勢いよく腕を振り上げた。

ひびが入ったせいだろうか、鞭が描く軌道は先ほどと異なっている。しかも変則的な動きをするそれは、戦いづらさをより増していた。

「さっき粉々に壊しとけばよかった……」

リニアはひとり後悔する。対するゴトーは淡々とした表情で鞭を振るい続けていた。暗殺でも隠密でもない、正々堂々の貴族的な決闘に固執する彼女は今時の研究所の人間にしては珍しいタイプだ。

「あの鞭がある以上、肉弾戦はほぼ不可能。かといって無防備に飛び込むこともできない」

再び魔法を用いて接近するか、リニアは逡巡した後すぐにその策は無視した。あれは一度の奇襲でしか意味がない。ゴトーのような人間には既に対策が取られている事だろう。

「……目的は何なの?」

リニアの問いかけにゴトーの腕が止まった。対話に応じるという証だ。

「見たところ、あなたは聡太に関心なさそうだし……それとも私?」

「何かおかしな考えをしているようだな」

そう言ってゴトーは額についた汗を拭った。

「私はエドモン・ハイティントンに雇われたボディーガードだ。彼の身辺を保護し、彼に害する者を排除する。それが私の使命だ」

「へえ、随分と素敵な関係ね。護られる男と護る女か……興味深いわ」

感心しながらリニアは一歩前に進んだ。距離を詰めるための窮余の一策だ。今、彼女が考えられるのはこの方法しかなかった。

「鈴木聡太。研究所や協会内では非常によく知られている人物だ。もちろんそれも三年前からの話だが。エドモン・ハイティントンは戦いに来たわけではない。鈴木聡太という人間に会うためにこの都市に来たのだ」

「相手の事情も聞かずに近づくなんて失礼じゃない?大体、聡太に『ingはお前だ』なんて伝えに来ただけっていうのも怪しいし」

リニアの口調はやや怒気を帯びている。今まで隠してきたことを、こうもあっさり他人に暴かれてしまったせいだろうか、いやそれだけならまだしも、彼らは彼女の一番大切な人に何の躊躇もなく手をつけてしまったのだ。

「あなたにはわからない。ingとは既に確認されているetcの中でも特異なものだ。そして│」

ゴトーはなんて表現すればわからないのか、一瞬口を濁すが、

「ing……自らの運命を開拓する能力。だが社会、あるいは世界は一人で成るものではない。そこには数多くの人間が存在している。それはつまり一人の運命が変わるだけではなく、それに伴い多くの人間の運命も変わることになる。使用者に残るのは深い絶望だけだ」

「研究所なら有効活用できるってこと?」

「断言はできない。それ以前に研究所は別の手段に用いる可能性があるからだ」

ゴトーはそっと目を閉じた。そして再び口を開く。

「あなたたちは……いや協会はetcの脅威を正しく認識していない。etcという物理法則からかけ離れた多くの現象。いわば正体不明の刃物を持ち歩いている子供に過ぎない。それを危険かどうかも知らずに振りかざす、危険な存在」

すると突然、彼女の顔に影が差した。リニアは今まで無表情だったその顔に初めて表情を見る。

ゴトーの視線の先にあるのはハイティントンと鈴木がいる校舎だ。

「研究所でetcを研究しているのは急進派だった。もちろん穏健派にもいるが、おそらくその危険性を正しく認識している人物は殆どいないだろう。ベルコルですら怪しい。だが、ハイティントンは、もしかしたらその危険性を充分に理解しているのかもしれない」

「それで?何をどうするつもり?」

リニアは自身の攻撃が成功するだろうという距離まで近づいていた。後は一気に距離をつめるだけだ。

彼女は一気に加速して、ゴトーの身体に紙を張り付ける。書いた文字は『火』。リニアが退くと同時に、彼女の身体から真っ赤な炎が燃え上がった。

だが、すぐにリニアは落胆する。ゴトーは火がついた途端に、すかさず羽織っていたコートを脱ぎ捨てたのだ。

「これもだめか……」

「やはり同じパターンだな」

気づくとリニアの背後に誰か│ゴトーが立っていた。

「ハンス・ブリーゲルの弟子。スタイルは完全に異なるが行動は酷似している」

急いで身を退くリニアだったが、その頬を彼女の鞭がかすめた。軽く触れただけでもそれなりの量の血液が流れる。リニアは頬の傷を拭いながら、ゴトーへと目を向けた。

「当たり前だ……」

「イベリン家由来の技とかはないのか」

「うるさい!!家の話はするな!!」

リニアは家の話題になった途端、声を荒げた。

「私がハンスについていったのは十歳からだ。その前までは父親の家にいた……イベリン家の全てを受け継がせるためだけに……あんなクソみたいな家……」

 ゴトーの反応も見ずに、リニアは独白を続ける。

「メイドは皆、私が母親に似ているという……母親と似ているから何だって言うんだ……私は死んだ人間の代わりなの?全てを要求してきたから、私はそれをこなしてきた。それなのにあの人は……!!だから私は家を出た」

「血を流し過ぎたか……興奮状態に陥ったな」

「勘違いするな。私は忌々しい名を聞いて、嫌な事を思い出しただけだ」

「そう、なら戦闘を再開するぞ」

ゴトーは急速にリニアに接近した。それにも関わらず、リニアは顔を上げることはない。

「ああ、そうか。私が魔法を習った理由はあの男に対するトラウマを消すためだったのかもしれない……ロミ……ロミ……私はロミじゃない!!」

絶叫と共に彼女の脇腹に激痛が走った。鞭の硬い部分が直撃したのだ。

「……ビンゴ」

突如、リニアは口元に笑みを浮かべた。とても不気味な笑顔だ。

「……これでゼロ距離ね」

「なっ!?」

ゴトーはすかさず後方に抜けようとした。しかし、リニアは彼女の腕を強く掴む。

「やっと釣れた」

「くっ……こんなバカみたいな手に……!!」

次の瞬間、強い痛みがゴトーの身体を襲った。

そして彼女の意識はそこで途切れる。

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