***
どれくらいの時間が経ったのか、赤城がふと、腕時計を見ると監視を開始してから五時間近くも経っていた。何も起こらず、ただじっと入口を見張り続けるのも辛くなってくる頃合いだ。隣に座る彼女は先ほどからウトウトと首を上下に動かしている。
「寝ている時はこんなに可愛いのに……」
隙だらけなその姿に小さく笑みを零す赤城。そして再び双眼鏡を手に取る。
パリで事件が起こるのは明らかだった。本部があったからというのも大きな要因だが、それ以上に彼らの犯行経路が東から西に動いていたからだ。ロシアを皮切りに、オーストリア、チェコ、ドイツ……ならば次はフランスだろう。
「研究所はあくまで個人主義の組織……何か変な感じがするんだけどな」
ぼんやりと考え事をしていた赤城は突然被りを振った。
「だめだ。集中しないと」
今はそんな事を考えるよりは目の前の監視が最優先だ。そう思うと、赤城は先ほど以上に目を光らせて入口を見張り続けた。
「おっ」
やっと人の出入りがあった。おそらく夜勤を終えた人達だろう。アンダーソンから渡されたリストと彼らの顔を照合するが、どうやら彼らはリストには入っていなかった。
「このまま何も起こらないのが一番だな」
ふと、赤城は視界の隅で何かが動くのを捉えた。
――あそこは裏通りか?
パリ内部でも裏通りの人通りは結構ある。先ほどからも、ちらちらと動く影を見ていた。しかし、今のは何か奇妙な動きだった。
赤城がもう少し様子を窺おうとした瞬間、一気に仕事を終えた人達が入口から溢れ出てきた。最悪のタイミングである。赤城は急いで、入口の方に目を移した。もちろん全員が同じ方向に帰るわけではなく、それぞれ別の方向に分かれて行く。赤城はリストに載っている古文書関係の学者を探し、彼らの様子を変わり変わりに確認していった。
――が、その時だった。
「うわあああああ!!!」
赤城が注視していた所とは別の所から声が上がった。一人の男が苦しそうな様子で地面に倒れ伏している。そして一人、また一人、同じように悲鳴を上げて倒れて行く。
「銃声は聞こえなかった。怪我もしていない」
双眼鏡をのぞき、冷静に被害者の状態を確認していく赤城。
「遊幽ちゃん、起きて!!」
「うえっ!?な、何かあったの!?」
言うや否や、赤城は彼女の身体を抱え、すぐさま下に向かう。勢いよく階段を駆け下りて外に出ると、三人の男が道路に倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
赤城は遊幽を降ろし、急いで被害者に駆け寄ると、彼らは決まって同じようなことを呟く。
「あ、足が……!!」
「助けてくれ!!お、俺の腕が!!」
見たところ外傷は一つもなく、至って異常は見られないが、彼らは激痛を訴え続けている。書類に書かれていた通りの事件が赤城の目の前で起こっていたのだ。
「くそっ……どうすればいいいんだ」
ポンッ
「何だ!?」
赤城は思わず音のした方を振り返る。すると、先ほどまで自分たちがいた場所に黄色い炎が二つ、闇の中で揺らめいていた。
「二人いるのか……!?」
咄嗟に赤城は懐に忍ばせた拳銃に手を掛ける。仮に戦闘になった場合、彼が応戦する手段はこれしかないのだ。頭上の人影をじっと見つめて警戒を続ける。
「周ちゃん!!」
「来ちゃだめだ、そこにいろ!!」
遊幽が赤城の近くに行こうとした瞬間、頭上の影が動いた。その陰は彼と重なり――、
「うっ……ぐ」
赤城の左腕にとてつもない激痛が訪れた。まるで骨折でもしたかのようだ。
――しまった、俺もやられたのか!?
しかし、彼の腕には傷一つついていない。おまけに動かすこともできるようだ。赤城は激痛を堪え、右手の拳銃を構えた。
銃声が深夜の街に響く。そろりと巨大な影は身を引いた。
「遊幽ちゃん!大丈夫!?」
赤城の怒鳴り声に驚いた彼女は、階段のところから一歩も動かずにじっとしていた。
「私は、大丈夫だけど」
「じゃあ、ここを起点に半径二十メートル以内、協会の人達を除いた他の人間の動きをチェックするんだ」
「わかった」
遊幽は彼に頷き返すと、服の中から取り出した紙を地面に張り付け手を翳した。すると、綺麗な青い光が紙から漏れだし――、
「左に一人、十メートル前方にもう一人!!」
「合計二人か……了解、警察が駆けつける前に終わらせないと」
赤城の武器は拳銃のみ。さすがに勝てる見込みはなかった。瞬間、敵の一人が被害者たちに向かって動き出す。赤城は咄嗟に引き金を引くが、相手はすぐに身を反らして軽々と銃弾を躱した。
「くそっ、ならもっと距離を詰めて……!!」
赤城も拳銃を構えたまま、敵に向かって突っ込むが、
「――なっ!?」
突然、赤城の後ろから何かが近づいてきた。そして彼が充分に驚く間もなく、それは【赤城周】という存在を含んだまま空間を創造した。
***
「ど……どういうことだ」
次に彼が目を開けた時、そこには真っ白な空間が広がっていた。赤城以外に被害者の三人、そして黒い影が立っている。そう、それは人間の形をした黒い物体だった。
「お前は何だ」
徐々に近づく影に赤城は拳銃を構える。残弾は残り二発。ゆっくり近づいてくるそれに、赤城は慎重に照準を合わせて引き金を引いた。
真っ白な空間に響く二発の銃声。弾丸は確実に黒い影を貫いていた。
しかし、影は一向に止まることなく赤城に迫っていく。
「改造人間か」
このような改造人間は初めて見たのか、赤城は動揺を隠せずにいた。
「くそっ」
じりじりと迫りくる影に、後ずさる赤城。だが銃弾を使いきってしまった以上、対抗する手段はもうなかった。左腕の激痛も続いている。
「ごめん、遊幽ちゃん。これはもう無理そうかな」
苦笑いを浮かべる赤城。彼はこの場にいない恋人に謝ると、そっと目を閉じて影の到来を待つことにした。
一歩、一歩、静かに近づく死。
赤城周にも恐怖という感情はある。冷たい汗が頬を流れ下に落ちる、まさにその時だった。
「減点だらけだ」
風が通り抜けるかのように、赤城の横をしわがれた男の声が過ぎて行った。思わず、目を開けると、彼の目の前には中年の男が立っていた。ソフト帽に黒いコート、そして右手には拳銃。
「拳銃を撃つ時は消音機を忘れずに」
そう言うと、彼は赤城に向かって拳銃を投げた。そして影に向かって突進する。
「全くこのような改造人間……非常識にも程がある」
敵の手前で男は懐から小さな紙を取り出し、床に張り付けた。瞬間、青い光が一帯を包み、黒い影は動きを止める。
「自身の能力を使いこなしていないな、赤城周くん」
「あなたは――、ブリーゲルさん!!」
驚いた表情を返す赤城に対し、男は落ち着いた声で赤城を評価した。
「やはり潜伏能力だけでは駄目だな、その後の対処も考えねば再びこのような状況に」
「それより遊幽ちゃんが!!外にもう一人いるんです!!」
「まずは目の前の敵だ!!君は彼女を信じられないのか!!」
話を遮られたせいか、普段より大きな声を上げるハンス・ブリーゲルに、赤城もつい押し黙る。そして、赤城も黒い影へと目を戻した。
「あの紙の効果もそろそろ終わる。その前に君が何とかしなさい」
「何とかって言われても……」
「私が来た以上、もう解いても平気だろう」
「解く……?そうか!!」
創造された空間。創造する能力。赤城と同じような能力なのだとしたら、彼にも敵と同じ事ができるかもしれない。
「ははっ。動揺しちゃうと、自身の能力の半分も発揮できないものなんですね」
「今回はひどい、赤点だ」
「はい」
そして、空笑いを漏らすと、赤城は能力を使用した。
――敵が空間を創造したというのなら、俺にも解けるはずだ!!
***
読み終わったら、ポイントを付けましょう!