「ぬぐぐぅう~~~っ、負けたぁあ…」
翌日の食堂…例のテーブルでは香苗が敗北の無念に肩を震わせ突っ伏していた…、今日は単にヘコんでるだけなので昨日同様の成瀬の他にも高槻一派がその周囲を取り巻いている。
「どーせ科学者相手なんだから、体力勝負にもってきゃどーにかなるかと思って腕相撲挑んだんだが…ぐやぁしぃぃい…っ!!!」
「…貴様は科学者という人種を何だと思っているのだ?」
高槻の呆れ顔も無理なからぬ事、大体あのプロレスラーみたいな体格の所長代理を見てどうして腕相撲で勝てると考えたのか、その思考を疑うところなのであるが、早朝の勝負の結果香苗は鋸引に惨敗を食らう事となる。
「それで罰ゲームで付けさせられたのがソレなのネ?」
香苗の後ろに回り込んだ千代原がそのお尻を覗き込む…いや、若干誤解のある言い方だ…、覗き込んだのはそこに取り付けられた犬の尻尾だ。
「どうやらこれもこの猫耳と同じOIWECという訳か…」
本来は上方向にくるりと巻いているはずであろう柴犬風の巻き尾は、現在の装着者の感情に反映して内側に回って椅子の座面に潜り込んでしまっている…いわゆる「負け犬の尻尾」という状態だ。
「猫耳だけじゃ無かったんですね、OIWECって」
豪原も興味深げにその尻尾を眺める。
「まったく用意の良い事だな、あの所長代理も…しかし、こいつはどういう事だ? 機械が接しているのは脊髄だが頭部にセンサー類は接続されていないとは…? 貴様、その尻尾はただケツに付けているだけなのか?」
「ケツ言うな! …まぁ正確には腰にベルトで固定しているんだけどね。それだけよ?」
「コードとか何か線引っ張って頭とかに付けていないの?」
阿藤も香苗の尻尾をしげしげと観察する、体のあちこちを触って確認できるのは女性同士であるが故の特権なのだが、その間何故か双方の猫耳が妙な動きをしていたのは内緒である。
「ごらんの通りだよ? 頭は猫耳だけ」
本人がそう述べる通り、香苗の頭部は絶賛稼働中の猫耳が占有しており、その他に別の機材が取り付けられている様子は無い。
「呆れたものですね…脳神経以外でも機能するBMIだなんて。筋電位じゃあ感情を検出する事なんて出来ない…ですよね?」
自分が間違った事を言っていないかちらちらと周囲を伺いつつ喋る豪原、それに対して千代原は間違っていようといまいとお構い無しに思った事を口にする。
「きっと非接触型の不可思議センサーが組み込まれているのネ」
「そんなオーバーテクノロジーは納得いかんっ! おい貴様、ちょっと接続部見せてみろ!!」
「うわ、何すんだこのどスケベっ!!」
無造作にスカートをめくり上げようとした高槻の顔面に香苗の蹴りがめり込む、彼の名誉のために記しておくが彼は決して下心からそんなセクハラ紛い…いや、セクハラそのものの行動を取ったのではなく、単純に科学的好奇心に囚われ状況判断が出来なかった末の結果に過ぎない。…もちろん、それで言い訳にはならないが。
「そのセンサーも不思議だけど、浦鳥さんって複数のOIWEC取り付けても普通に作動するのね?」
「…えっ?」
今まで黙って様子を窺っていた成瀬の全く予期せぬ視点からの発言に、一同が怪訝そうな表情を向けた。
「いえ、実は今朝方ちょっとした思い付きで猫耳を二つ付けたらどうなるか試してみたのよ。そしたら全然作動しなくなっちゃって…、一つだけならちゃんと動くんだけどね?」
「同じ部位に複数は付けられないのではないか? 試しにこ奴の尻尾つけて試したらどうだ?」
「そうですね、浦鳥さん、尻尾借りるね?」
「うん、良いよ~」
香苗は無造作に自分のスカートに手を突っ込んで尻尾を固定するベルトを外すと、するりとそれを取り外す…、人前で平然とそれを行う彼女のガサツさは如何なものかと思うのだが、その一連の挙動が下品にならないギリギリの動きで為されたのは彼女にもそれなりの恥じらいがあるものと認識出来よう。
一方、成瀬は取り外された香苗の尻尾を貸してもらうとそれを取り付けようとして…こちらは男性陣の視線に気づいて「失礼」と一言残して慌てて食堂を出ていった。
…双方の性格の差が露骨に顕れた一幕である…。
数分後。
「ダメですね、どうしてもどちらか片っ方しか動きません」
「私も隣で確認してました。どちらが動かなくなるかはランダムでしたが、両方とも動くことはありませんでした」
検証は更衣室で行われたらしい、確認役として成瀬の後を追って行った阿藤が指でバッテンを結んで首を振る。
「つまりこの機械は基本的には一人一個しか動かせんという事か?」
「それじゃあ浦鳥さんのソレはどう説明するんですか?」
「それは…この小娘が異常なだけでは無いのか?」
些か早計な判断に対しての豪原の指摘を受けて高槻は答えに窮して頭を抱えてしまう、どだいその設計理論も分からないのにイレギュラーの説明なんて出来る訳が無いのだ。高槻はさらに難しい表情でテーブル上の猫耳と犬尻尾を凝視した…。
「…一体何なのだ、この機械は…?」
OIWECの実地検証も3日目ともなれば各所員がそれぞれ趣向を凝らしたリサーチを始めており、元が玩具だという事もあるのだが、その方法は主に「遊び」という形で試行される。多くはその機能をフルに活かしたちょっとした手慰みや集団ゲームだったりするのだが、こういう場合大抵おかしな用い方をする輩も現れるもので…。
「町田君、ちょっと良いかな?」
中央棟の渡り廊下、一人の女性所員に呼び止められて町田の尻尾がぴくりとそちらに反応する。
「はい、何でしょうか?」
呼ばれるまま近寄っていく町田、するとその背後から静かに忍び寄って来た別の女性所員二人が突如町田の腕を両脇から押さえつけた。
「えっ? えぇっ!?」
「ま~ち~だぁ~ク~ン、捕ま~えたぁ♪」
「ちょ…っ、一体何を!??」
何とも艶めかし気に町田の顔や胸をさする女性所員、逃れようにも両脇からがっちりと押さえつけられているのでそれも叶わない。
「んふふ…、ねぇ…町田君…感じてる?」
「やっ、やめて下さいっ、放して下さぁい!!!」
「おやぁ? 口ではそう言ってるけど体は正直よ?」
何だか卑猥な会話になってしまっている…。ともかく拒絶の意志を口にする町田、だが彼が付けたビーグル犬型の立尾はその言葉に反してぴこぴこと左右に激しく振れていた、そりゃ嬉しそうに…だ。
その反応を確認した女性所員たちは「リサーチにご協力感謝しまぁ~す」などとさざめき笑いながら去って行く、どうやらハニートラップ紛いのドッキリでOIWECのリアクションを試していたらしい…、後に残された町田はその場でへたりと崩れ落ちた。
「…な、何だったんですかぁ…???」
「…あれはイジメではないのか…?」
その様子を遠巻きに見ていた高槻が心底呆れ顔でたまたま通りかかった片倉に問い質した。
「あれは厄介ですね…。やっている事は完全にイジメか逆セクハラですけど、被害側の尻尾見る限りアレ、本人喜んでる様に映っちゃいますから判断に困りますよ…ああ、明日は我が身だからこりゃ今から胃が痛いです…」
片倉の頭上ではほとほと困り果てた様にウサギの耳がぐったりと萎えているのであるが、残念ながら片倉が餌食になる事はその後も無かった…、彼の性格を反映してか、そのOIWECも普段から元気無くだらりとしているので、ドッキリを仕掛けてもちっともリアクションが面白くないからだ。
知らぬは当人ばかりのその事実をとっくに知っている高槻はそんな片倉の杞憂に同情する事も無く聞き流すと、渡り廊下の窓から階下を見下ろした。
エントランスを行き交う所員はその身に様々な動物の部品を取り付けて、さながら人獣キャラ専門のコスプレパーティー、あるいは変わり種アクセサリーの見本市が如き様相を呈している。
猫耳に次いで人気の高い猫の手…通称『猫パンチ』は自由に爪を出し入れできる。
鼻に装着する象ノーズは手の代わりも果たしてくれるが頭だけで自重を支えるのは少々重たそうに見える。
ぎょろぎょろと動き回るカメレオンの目は周囲隈なく視覚を拡大してくれるが、かえってそれで歩くのが大変そうである。
鳥類の翼は羽ばたくことは出来てもさすがに空を飛ぶことは出来ない。
背中にヤマアラシの針を背負った所員の側には危険なので誰も近寄ろうとしない。
…等々…。
「…まぁ、色々検討の余地もありそうなのも混じっとるようだがな」
昨日の犬尻尾に続いて鋸引所長代理は様々なタイプのOIWECを所員たちに配布していたのだ。
「それにしても皆さんあれこれと色んな遊び方を考えるものですよね…、さっき小耳に挟んだところでは古淵さんは猫耳姿が恥ずかしいと、先日から所内のどこかに隠れているそうなのですが、そこでOIWECの機能を活用して捜索ゲームを繰り広げているグループがあるらしいですよ」
「最近姿を見かけないと思えばそういう事か…ふん、肝の小さい女だ」
「そう言えば、向こうでは千代原さんが戸塚さんに踏まれてますけど、何だか猫耳が喜びに打ち震えてますねぇ…」
「…何を特殊な趣味に走っとるのだか…あの大間抜けめが…。まったく、どいつもこいつも…」
毒づく高槻が更に周囲に目をやると、他の所員の中にも香苗と同様複数のOIWECを装着している者がちらほらと見受けられる、どうやら彼女の他にも複数適合者が存在している様だ。だがそうした複数適合者のいずれも二つが限界らしく、それ以上の数のOIWECを装着している者はさすがに見当たらない。
…ところが、である。
「どいたどいたぁ~っ! イヤッホォーッ!!!」
遥か前方から高らかな蹄の音が接近して来る、廊下を歩く職員たちを蹴散らすように迫ってくる影…その声からも既に正体は明らかなのであるが、その姿は既に人間のシルエットを保ってはいなかった。
「貴様、何だその珍妙な姿は!?」
「おっ、そこ行くは貧相な猫耳族♪」
「誰が猫耳族だっ!?」
やけに上機嫌な香苗の下半身は馬の胴体…それは既に玩具の域を超えているサイズなのだが…と化していた、まるでケンタウロスである。だがそれは単なる人馬ではない、ケンタウロス香苗の背中からは大きな蝙蝠の翅が広がり、両腕の獣脚は長い爪が伸びているところから推察して、どうやらナマケモノかオオアリクイのそれだと思われる、そして耳は相変わらずの猫耳だがそのすぐ下には巨大な水牛の角が伸びていた…もはやその様は立派なファンタジー系モンスターである。
「…一体何種類のOIWECを装着しとるのだっ!?」
「へへぇ…凄いだろぉ? 脳科学セクションの根岸さんの話によると私、もっとたくさんのオイ…何たらを装着出来るそうだよ。そんで午後からはその限界値を調べるんだってさ」
彼女の話によると既に所内に何名も確認されているOIWECの複数適合者だが、その中でも香苗の適合力はダントツに高いのだそうだ…それもちょっと考えられない程の異常な数値で。
「解せんぞ…! 何故貴様だけがそんな特別なのだ?」
「そんなの私が聞きたいわよ、何だったら一緒に根岸ラボ覗いてく?」
「上等だ、こんな訳のわからん機械を正体不明なままにしておいてたまるか!」
「ぃ良し、ならばサルっ、わしについて参れ!」
「俺は貴様の草鞋取りなどではないわっ!」
そう吐き捨てながらも高槻は、まるで戦国武将気取りで走り去るケンタウロス擬を追って駆け出していた…。
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