踊れ、アスラ~4d⇒~

科学の砦でから騒ぎ。
沖房 甍
沖房 甍

「尻尾のエモーション」3

公開日時: 2021年6月28日(月) 22:13
更新日時: 2021年10月8日(金) 22:24
文字数:3,957

「何なのよっ、あのオッサン!!!」


 どだん、と叩きつけた拳でテーブル上のコップが跳ねて辛うじて着地を果たす。対面の成瀬は咄嗟に自分の昼食を乗せたトレイを避難させると涼しい顔で食事を再開させた。


 …食堂の窓際、いつもの席で香苗がくだを巻く。


 その怒りの原因は言うまでも無く新しく着任した所長代理、鋸引だ。


「私は認めないぞ!! あんな似非エセ体育会系オヤジに私の研究所を好き勝手にされてたまるもんですか!!」


 それを聞く周囲の所員たちは「どの口がそれを言っているんだ!?」とは内心思うもののさすがにそれを口にすることは無い、それほど現在の香苗の機嫌は悪いので自分に矛先が向くのを恐れているのである。

 その怒りに駆られた香苗はというと、思わぬ反撃を食らってしまった事が屈辱だったのか、それともそれを切り返して形勢逆転を図れなかった自分自身に腹を立てているのか…いや、間違いなくそれは前者なのだろうが…、沸き上がる怒りを幾百もの罵詈雑言として噴出させているのだ。貶し言葉もこれだけ乱発出来ればそれはそれで大したもの、言語学者も腰を抜かす程の語彙力なのだが、どうしてその知識量が普段は活かせないのだろうか? と首を捻りたくなる。

 そしてそうした彼女の一言一句、感情を昂らせる度にその頭に乗った左右の猫耳が水平斜めにぴーん、と張り詰めて怒りの度合いを表現してくれるので、付近を通り過ぎる他の所員が巻き添えを食う事無くやり過ごせているのは不幸中の幸いであろう。


 …とはいえその烈火の如き荒れ様は周囲をして接近を容易に許してはくれず、普段ならそれを取り囲んでいる高槻一派も今日は遠巻きにその様子を窺う事しか出来ないでいる。

 唯一成瀬だけが同じテーブルで彼女の正面に座り、カツカレー(大盛)をパクつきつつも愚痴の聞き相手を務めてくれている…否、正確に言えば成瀬は単に香苗の愚痴を聞き流しているに過ぎない。それは彼女の頭の猫耳を見れば明らかで、その本体は香苗に面と向かっているのだが、耳はくるくるとあちらこちら気ままに動いて心ここに在らずの心理を物語っている。そうしてただ相槌を打っている成瀬であるが、これが不思議な程親身に接している様に聞こえるのだから実に器用と言うか、要領の良い人間である。

 まぁ、そのおかげで周囲に被害を及ぼす事無く香苗の怒りは自己完結の範疇で収まっているのだが…。


「ふぅ~っ、ィよォ──し! 吐き出すだけ吐き出したところで、そんじゃあ何かあのオッサンをやり負かす方法でも考えるとしますかねっ!」


 一通り怒りを爆発させた香苗は気が済んだかその思考を切り替え、所長代理への逆襲を期して自身のメイン持ち場である地下所蔵庫へと向かうべく食堂を後にする…。嵐の過ぎ去った食堂、それを見送る成瀬一人を残した窓際のテーブルに高槻一派がそろそろと移動して来た。


「成瀬氏、見上げた剛の者なのネ」


「…そうですか? いつも通り接しているだけですよ?」


 既にこの場にいない人物になおも戦々恐々としながらも千代原は成瀬の健闘を称えた…当の本人は全くそういう自覚はありません的な邪気の無い顔でそれを聞き流しているのが実に小憎らしい…良い意味で。


「激怒してましたね、浦鳥さん…で、皆さん何食べます?」


 食堂に平和が戻ってきたことでようやく落ち着いて昼食にありつける事となった高槻一派、阿藤が代表して注文を取る。


「…俺はシーザーサラダとトマトジュース」


「ボクはC定食なのネ。あと宇治茶を一杯」


「じゃあ自分もC定食を! あと水はこっちで全員分取って来るから任せといて」


 高槻、千代原、豪原の順に注文を申告…阿藤はそれに自分の分の刺身定食を書き足してリストアップしているとあらぬ所からもオーダーが上がる。


「それじゃあ、私はサイコロステーキ丼とクリームソーダ♪」


 四人の視線が…そして各々の頭の上の猫耳がテーブル中央でカツカレーをきれいに平らげた成瀬に注がれる。まだ食う気か!? というツッコみの気持ちもあるのだが、彼女の顔は朗らかに「猛獣をなだめてあげたんだから、当然みんなの奢りよね?」という表情を浮かべているものだから、それを見てしまった一同はツッコむ気も萎えてしまう。

 そうして阿藤と豪原の後輩勢がカウンターに向かうのを見届けつつ高槻はこほんと咳払い、話題を件の所長代理へと向けた。


「…まぁ、しかし…何だな…、あの小娘がいい様に手玉に取られておる様は確かに見物ではあったワケだが。一体何者なんだ、あの鋸引って男は?」


「矢部さんの話によるとあの人この研究所の創設メンバーの一人だったそうですよ? つい最近教授と久しぶりに再会したのだって言ってました」


 愉快さと釈然としない気持ち半々で苦笑を浮かべる高槻に成瀬が自らが把握する情報を表す。


「そういう意味では所長代理への抜擢も決して不自然では無いって事なんでしょうね。何しろこの研究所においてはあっちの方が私たちよりもずっと先輩筋に当たるわけなんですから」


「ふん…、要はアレも教授と同じ穴のムジナ…ってワケだ…」


 皮肉交じりの嘲笑とはたはたと猫耳でリズムを取りながら高槻は空嘯そらうそぶいてみせる。


「つまり変人ではあるケド決して身分の疑わしい人間では無いという事なのネ」


 自身もとっくに変人の領域である事を棚に上げて結論付ける千代原、…尤も、この研究所で変人では無い人間を見つける方がむしろ困難であるのだが、そういう無粋な事を口にする人間はこの場にはいない。


「人事に異論を差し挟む余地は無し…という事だな。そもそも教授が要請を出したのであれば我々がとやかく言う筋合いも無いだろうよ。まぁ、それでもあの小娘にヒエラルキー云々を説くだけ無駄ではあろうがな」


「浦鳥さん、また所長代理に挑むつもりですかね?」


 口にしてはみたものの、実はさほど興味があるといった様子でも無さげな成瀬の疑問に高槻は「さてなぁ…」ととぼけて耳などかっ穿ぽじっている。


「好きにやらせておけば良いさ、どちらに転んでも我々にはただ面白い余興になるだけなのだからな」


 豪原が運んで来た水をくいっと呷ると、さも楽し気に高槻は椅子の背にもたれる…、今回は自分の方には火の粉が飛ぶことは無いと踏んだか何とも無責任な態度である。


「それにその間周囲は平和になるのネ」


 …と、同意を見せるのは千代原、…だが果たして本当にそうなるであろうか…?


──その見通し、ちぃ~っとばかし甘かぁないか…?






「ああ、もう…いい加減、鬱陶うっとうしいな、この耳は…っ!」


 昼食後、唐突に豪原が自身の頭に乗せた猫耳を外してテーブルの上に放り出した。折角のんびりしているところに頭上でだらりとしたり、かと思えば唐突にあちらこちら潜望鏡の様に動き回り始めたりと、その動きが気になってちっともくつろげなかったらしい。


「こういうの気にならない人も多いですけど、どうも自分には相性良く無いですわ…」


「…まぁ、確かに貴様の外見にソレは似合わんだろうな…」


 何だか遠回しに貶されている様に聞こえなくもないが、一見ガテン系の地質学研究者の筋肉を見つめて高槻も一応の同意を見せる…、実際は「傍目には面白いのだがなぁ…」などと考えている訳だが。その猫耳を拾い上げた高槻は改めてそれを眺めまわす。


「所長代理はこれを企画検討中の海外の玩具だとほざいていたが…、オモチャにしちゃあ随分と手の込んだ作りをしているものだよな。ちょっとバラすぞ?」


 持ち主に目もくれる事無く一方的に言い放った高槻が、懐から取り出した精密ドライバーでてきぱきと猫耳を分解し始めた…、化学繊維の柔毛で覆われたシリコンゴム製の皮膚をめくるとその内側に思いの外精緻な機巧カラクリが姿を現す。


「何だこりゃ? 分解しきれないブラックボックスが随分多いな…。こいつはセンサー類か…だとしたらこいつぁBMIブレイン・マシン・インターフェース技術が用いられてる可能性が高いな」


 用途不明ないくつかの部品をドライバーの先端で突きながら高槻はそれが見たことも無い構造である事に首を傾げる。部品にはコメ粒ほどの大きさで何やら徽章エムブレムっぽいデザインの印字が為されているが、あまりにも細かいのでそれが何であるのか判別がつかない。


「人間の脳波検知技術を導入しているって事ですか? たかが玩具にしては少し凝り過ぎた仕様じゃ無いですか、それ?」


 ブレイン・マシン・インターフェースとは脳と機械を接続する技術の事で、頭の中で考えるだけで機械の操作や意思伝達を可能にする。かつては人間の頭部に直接電極端子を接続する等の外科的施術を行う必要があり、SF…特にサイバーパンクと称されるジャンルではジャック・インが象徴的に扱われていたものであるが、現在は頭皮から脳波を読み取る「非侵襲型」と呼ばれる技術が進んだためずっとカジュアルな印象に変容しつつある。

 そのBMIはロボットの遠隔操作への応用も期待されている技術で、将来的には宇宙開発用のロボットにも用いられるため専門外とは言え阿藤も多少の知識は持っている。


「この機械…OIWECって呼ばれてたケド…、話の通りの只の玩具とは思えないのネ。ちょっと詳しく調べてみる必要があるのネ」


 同じく専門外の千代原は分解の様子を興味深げに覗き込んでいる、専門外と言えども一種の生物模倣であるからその可動構造が気になるらしい。

 不意に成瀬が背後の視線に気づいて振り返ると、いつの間にか他の所員たちが彼らのテーブルに集結し始めていた。

 他のテーブルでも彼らと同じく猫耳を分解し始めるグループが出現し始め、どこから持ち出したのかオシロスコープやらサーキットテスタやらを持ち出して各々が銘々のやり方で猫耳の分析に着手している。


 何かを察したのか食堂のおばちゃん方が空いたテーブルに放り出された食器やトレイの回収を始める…、今や食堂は俄か猫耳分析大会の会場となりつつあったのだった…。


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