踊れ、アスラ~4d⇒~

科学の砦でから騒ぎ。
沖房 甍
沖房 甍

「節足なる食卓」4

公開日時: 2021年5月18日(火) 22:13
更新日時: 2021年10月8日(金) 16:30
文字数:4,046

「エマージェンシー、第3種バイオハザード発令なのネ!!」


 千代原がインターフォンに向かって叫ぶと一拍遅れて所内中に警報が鳴り響いた。

 何事かと廊下を覗いた香苗の目の前で廊下の窓に分厚いシャッターががらがらと降ろされてゆく。遠くでは何人かの所員が走り回っているし、いつの間にか廊下のあちこちが隔壁で閉ざされていたのだ。


「ちょ…っ、これ何の騒ぎよ!?」


「あのガラスケースにいたのはボクが品種改良した大型昆虫なのネ」


「大型昆虫!? あの大昔のバケモノトンボやバケモノムカデみたいな? 確かに所内であんなのに遭遇したら腰抜かしそうだけど…、それにしてもちょっとこの騒ぎは大袈裟過ぎない!?」


「…サイズは大きくともただのトンボやムカデなら大して恐ろしくは無いのネ…ただのならネ…」


 つぅ、と香苗の頬を汗が伝う…何か嫌な予感…。


「逃げ出した大型昆虫は何年にも及ぶ交配の結果、この世には存在し得ない特殊な生態を持った超生物として生まれてきたモンスターなのネ」


 程無く所内放送から相も変らぬ危機感に欠けた教授の声が流れてくる。


『え~、千代原ラボから警報の要請を受けましてただいま所内の閉鎖を行っております。所員の皆さんにはご不便をおかけしますが不用意な移動を控え、次のお知らせがあるまで各々の持ち場での待機をお願い致します。なお、警報発令中は不要の外出を堅く禁じますのでくれぐれも遊びに抜け出すような事はしないで下さいませ…それから──』


 もののついでの様に放送には特定人物に向けた呼び出しが付け加えられる。


『──千代原君と香苗さん、道中事故の無い様に直ちに所長室に出頭して下さ~い』


 …何とも生温~い引きつり笑いを浮かべる香苗、自分が千代原ラボにいたことは相手に先刻お見通しだったらしい…。






 30分後、急場ごしらえの作戦対策室となった所長室には教授と矢部の他、当事者…否、事件の元凶となった千代原と香苗、ジャンルは異なるが同じ生物学の研究者として同席してもらった淵野辺、モニター要員に片倉と成瀬、最近は警備の責任者も兼任する様になっていた古淵、そして興味本位で紛れ込んだ高槻の姿があった。

 運び込まれた数台のモニターには所内中のカメラが捉えたライブ映像が十数秒毎に切り替わりチェックできるようになっている。片倉と成瀬は忙し気に切り替わるモニター映像に張り付き、異常が無いかを見張る。


「今日から勤務時間の合間を利用して逃亡した巨大昆虫の実験体を捜索。発見次第確保、ないしは殺処分を行います。研究所は通用口以外の外部に通じる全ての出入り口を封鎖し、所員の帰宅時は個別に通用口よりの出入りを徹底、決して巨大昆虫の実験体を外に…むぅ…」


 少しだけ口がもつれて教授が口ごもる。


「千代原君、その巨大昆虫には何か呼称を付けていなかったのですか? ちょっと長ったらしくて困っちゃいます」


「M-44810031が正式名称なのネ。昆虫は基本的に短命で何代にも亘っての飼育になるのでいちいち名前を付けてられないのネ」


「『虫』で十分じゃあないですかな? インセクト…いやバグで」


 横合いから高槻が口を挟む。


「まぁ、些か色気には欠けますがこんな所で凝ってもしょうがないでしょう。では改めて、現在所内のどこかに潜むバグを監視カメラ映像で捜索してます。片倉君、状況は如何でしょう?」


 片倉はモニターに視線を落としたまま状況を報告する…、お腹を押さえているところを見ると、もうストレスで胃が痛くなってきてしまっているらしい。


「今のところバグ本体は映像でフォローできる範囲にはそれらしき生物の姿は見つかりませんね。恐らく現在はエアダクトにでも潜んでいて人の通る場所には出て来ていないのではないでしょうか?」


 続けて成瀬が報告を引き継ぐ。


「こちらを見て下さい。これは先程3階北棟の廊下で発見されたものですが…どうやら通気口から落ちたネズミか何かの死骸のようです。今、豪原さんが回収に出たところですが、もしかしたらバグによる捕食の痕跡とも考えられます」


 クローズアップされた映像は不鮮明だがその小動物の死骸は腹部が激しく損傷している様にも見える。


「生態的にはどう見ます? 千代原君」


「交配させた昆虫は比較的夜行性の種が多かったのネ。交雑種の場合元の種の習性がどの程度遺伝するかは不明だけど、敵を警戒して暗がりに身を潜めるのは生物としては至極当然と考えられるのネ。」


 いつも通りマイペースな口ぶりの千代原だが、心なし声が上ずっている様にも感じる…、きっと内心は針のむしろに屈するが如き気分に違いない。


「昆虫には集光性もあると聞きますが、そのバグも光に誘われて表に出てくる…なんてことは無いのでしょうか?」


 飛んで火にいる何とやら…という喩もある、古淵の指摘もまた昆虫の習性であるならばバグの行動に反映していてもおかしくは無い。


「それは否定できないけど今は警戒心が勝っちゃっているみたいなのネ」


「集光性の利用は今後の捕獲の策として十分に参考になる事でしょうね…。我々ももう少しバグの詳細に関して学んでおきましょうか…」


 片倉、成瀬両名にはそのまま監視を任せ、他の一同は千代原を中心に車座を組む。千代原はプロジェクターに画像を投影させて説明を開始した…。


「バグは数種の昆虫による異種交配によって作り上げた汎環境順応型実験体をベースに更に海棲甲殻類との人工交配を試行した結果成功した胚から誕生した交雑種なのネ。体長は60㎝、外骨格の密度は一般の甲虫の2倍に達し、その分硬度が上がっているのネ」


 ワイヤーフレームで構成されたCGでハンミョウに3本の短い角と長い触角を持った胴体の長い昆虫が表示される。胴は長いが脚は六本、一番前の一対は折りたたまれた鋸のような形状をしている。


「腹部も平たくて長いけど、昆虫のバランスとしては随分胸部が長いんだね…。…いや、これは胸部が節で分割されているのか?」


 表示された外観を見て淵野辺が率直な感想を漏らす。


「そうなのネ。元種のカマキリの遺伝的特徴が出て胸部から前半身を直立する事が出来るのネ」


 千代原が手元のキーボードを操作するとワイヤーフレームの巨大昆虫はその半身を屹立させる様に動き出す…後ろ四本の脚で身体を支え、そそり立つ前半身に鎌の様な前脚を振りかざしたその姿はケンタウロスの様にも見て取れる。


「…ほぼほぼ怪獣じゃねェか…」


 戦慄の様な、興奮の様な妙な気持ちの昂りで高槻が呟く、一方その脇の教授には若干の疑問が浮かんでいる様だった。


「しかし…交配でここまで珍妙…いや失礼、異質な姿に変異できてしまうものなのですか…?」


「出来ちゃったのだから認める他はないのネ。でももう一度再現しろと言われても出来るかどうかの自信は無いのネ」


 千代原は肩を竦めた。科学において、実験の成果は第三者によって再現が可能となって初めて認められるものである。そうした意味では千代原の生み出したそれはまだ、偶然の産物の段階でしかなく、突然変異の範疇を出ないものなのだろう。


「だからまだ正式な報告はしなかったのネ」


「それで? 問題はこのバグの有する危険性です。第3種バイオハザードに設定されるからには相応の危険性を有している事になります。この生物に一体どうした危険性があるのでしょう?」


 古淵の問いに、そう言えばそんな事を言ってたな…と香苗は思い出す。


「それはバグの交配元となった昆虫の中にオオスズメバチとヒアリが混じっているからなのネ」


「す…スズメバチにヒアリ…って…おい…!」


 高槻の口元が引きつる。

 スズメバチには炎症を引き起こすヒスタミンや神経毒となるセロトニン・アセチルコリン、アナフィラキシーショックの要因となるペプチド等が含まれる毒液を針を用いて攻撃対象に注入させることが出来る。またヒアリもソレノプシンという肺機能を低下させるアルカロイドの一種と、やはりアナフィラキシーショックを引き起こすタンパク質が含まれる毒を持つ。双方人間にとっては極めて危険性の高い昆虫である。


「…そうなのネ。先程も述べた様にどの程度遺伝に反映するかは不明だけど…、恐らくバグは毒を持っている可能性が高いのネ。それにさっきのネズミらしき死骸でも明らかなように、バグは肉食性の性質を持っているのネ。身体の大きさを考えると…ひょっとしたら人間を襲う事もあり得ると思うのネ…」


「ハっ…、昨日まで食う側として食用昆虫の話をしてたら、今日は我々が食われる側になってしまったという事ですかな…」


 高槻が笑えない冗談を口にする。


「千代原よ、貴様一体何を考えておるのだ!?」


「…何か、作ってみたかったのネ…、究極の昆虫。そしたら出来ちゃったのネ♡」


「ネ♡じゃないだろうが! 考えるのは勝手だが本当に作るな、そんな怪獣!!」


 高槻は千代原の襟首掴んでがくがくと揺さぶる、何だか両者とも楽しそうな顔をしている様にも見えるのだが気のせいだろうか?


「ともかく、しばらくは監視を徹底しましょう。監視の当番は後で矢部さんにお願いして1時間程度での交代制を検討しようと思います。それと当分は所内の出入りもしっかり警護をつける事、極力一人で所内を歩きまわるのは避けて下さい」


 指針を教授が示したところで各自が対策と所員への連絡のため所長室を後にする。部屋には家主である教授にモニター監視の片倉と香苗、そして高槻…。


「なーんだ、もうちょっと面白そうな展開になるのを期待してたのに何だか事務的に済んじゃってつまんないの」


「貴様、この騒ぎの主犯の分際で何だ、その無責任な態度は!?」


「うっさいなー、私が主犯ならあんたは部外者でしょう? 外野が偉そうにしてんじゃないわよ~だ!」


「何だと、貴様ぁ…──」


「いえいえ、むしろ高槻君が顔出してくれて助かりました」


「…へっ?」


 まるで反省の色が無い香苗に思わずエキサイトしかかる高槻に対し、教授が水を向ける。



「香苗さんにも過失の責を負ってきっちり働いて頂こうと思ってます。そこで、高槻君には是非ご協力をお願いしたいなぁ…と」


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