翌日、午後を待たぬうちに十数名もの所員が香苗によって捕獲され、『A.S.U.R.A.非公認チーム』が組織されることとなった。
主だったメンバーは香苗を筆頭に成瀬、千代原、阿藤、町田…といった割と普段から彼女にカラまれるメンバーに加え、その他モブの所員も十名ほど…いずれも分野違いという事からUAMの開発には関わっていない面子であるのだが、成瀬と同様本人たちはさしてその件に関して不満を抱いている訳では無く、ただただ香苗によって半強制的に参加させられた集団に過ぎない。
まぁ、いつものメンバーからするとこれも毎度の事なのでしょうがないで済むのであろうが、その他大勢の立場からすればひどく理不尽な拘束を受けている様なものであり、実に迷惑極まりない。それでも渋々従わざるを得ないのは…、そうしないと後から余計に厄介な事態になる事に薄々気付いているからなのかも知れない…。
ちなみに地質学を研究し、同じく今回は分野外であるはずの豪原がこの場にいないのは、運良く正規のプロジェクト側のドライバーとして選ばれ参加しているためである。
「──という訳で、このメンバーで優勝かっさらってあの所長代理に一泡吹かせてやろうじゃないの!」
一人息巻く香苗をよそに、他のメンバーはどよ~んとしている。ひとまずここは誰かがツッコみを入れおかなければならないのだが…阿藤は周囲を見回しどうやらその役回りが自分である事を悟って口を開いた。
「…いえ…意気込みは結構だけどね、浦鳥さん…。このメンバーで何が作れると思うんです?」
「あんたら仮にも科学者でしょ? 車くらい作れなくってどーすんのよ?」
「…簡単に言ってくれるなぁ…」
阿藤が突破口を開いてくれたことに安心したのか、町田も大きくため息をついて反論に加わってくる。
「科学者だってそれぞれ得手不得手があるんだよ。それに車くらいって言うけどゼンマイ仕掛けの玩具を作るんじゃないんだからね?」
「玩具と言うなら模型で電池走行式の車もあるのネ。構造的には電気自動車と大して変わらないのネ」
…いらんタイミングで余計な事を言う生物学者…。
「ちょっ!? 千代原先輩っ!!」
「…これはいけない、口が滑ったのネ」
阿藤に揺すぶられる千代原は今更自身の失言を後悔するのだが時すでに遅し、リーダーの頭の中ではどうやら完成のビジョンでも浮かんでしまったらしい。
「おー、イイじゃない! その線で行こうよ、巨大プラモで♪」
「簡単に巨大プラモなんて言うけど、まず何よりも僅か1ヵ月で製造できなきゃ参加どころじゃないんですよ? それに只の車じゃなくって空飛ぶ車作るんだからそう簡単にはいかないですよ、解ってます?」
あまりに気楽な香苗の口ぶりに成瀬も反論側の加勢に入る。
「地面を走る車だってまともに作れるか分からないのに、空を飛ぶとなったらもっと構造が複雑な機構を作らなければいけないんだから」
「…うヌぅ…、言われてみればその通りか…」
「空飛ぶ車なんて言い方するから小難しく考えてしまうのネ。要するに大きなドローンなのネ」
…またもやいらん事をのたまう千代原の後頭部に、今度は間髪入れず阿藤からのスリッパが振り落とされた。とんだ獅子身中の虫である。
「まー、ここであーでもない、こーでもないって言ってても始まらないじゃない。とにかくまずは形にしてみようよ! ね?」
悪だくみが入り口にも入っていない時点でのこうした議論に嫌気がさしたのか、ともかく事を前に進めようとする香苗。セリフだけ拾えばいかにも前向きだがそれがただのワガママである事は周囲の表情を見れば明らかだ。
「…いや、こういうのはまずしっかりと実現性を検討して…」
「ねっ!?」
このままなし崩しに悪の片棒担がされてたまるものかと必死の町田の抵抗は、だが香苗の恫喝染みた笑顔に敢え無く阻まれる。そこから放たれる殺気が彼を心底震えあがらせたのだ。
「…は、…はい…」
「幸い、資材だけならいくらでもあるんだから、役に立ちそうなもの集めてちょちょいと作ってみようよ?」
…と、言って自身の目の前でテリトリーとしている保管庫の鍵束をじゃらつかせて見せる。もはや彼女の気の済むようにさせてやる外は無いと観念したか、一同はリーダーに従う事にしたのである。なお、「いつものメンバー」以外の所員たちからも相応の反論はあったのであるが、そこはモブの悲しさ、割愛…である。
一方こちらは所長代理を中心とした正規のUAM開発陣。即席の香苗チームとは違って何ヵ月も前から設計と開発だけは進めていたこちらはもうテストフライトを始める段階にまで達していた。
「いや~、快適快適♪ あの小娘がカラんでこないだけでこれ程までに開発作業がスムーズに進もうとはな!」
気分爽快といった調子で高槻が機体の下から顔を覗かす、コックピットは丁度これから豪原が乗り込もうとするところだ。
「さっき阿藤さんからメールもらったんですけど浦鳥さん達、独自でUAM作ってレースに参加するそうですよ」
「独自で? ぬぁははは! こいつぁ大笑いだ。素人がどうひっくり返ったってUAMなんぞ開発出来る訳が無かろうが」
それがさも滑稽とばかりに高笑う高槻。侮っている訳では無いがさすがに素人草野球チームがメジャーリーグでシーズン優勝を狙うが如きレベル差は如何ともしがたいだろうと高を括っているのである。
「まぁ、常識的に考えれば先輩の言う通りなんだろうけど…自分には何だか嵐の前に静けさに感じてならないんですよね…」
「…は…ハハ…っ、世迷言を…」
そう豪原の憂いを一笑に付す高槻であるが、一瞬不吉な予感が過って言葉が上ずる。それはあくまでこの研究所の内での「常識」であるのだが、その常識的には彼女がこのまま何も起こさずに済む方が余程あり得ないのだ。
「ええい、下らん事抜かしとる暇があったらさっさとシートに着け! 電源入れるぞ!」
「は、はい…」
機体の底から這い出た高槻は側面のプラグから電源ケーブルを引っこ抜いてバッテリーを起動させる。甲高い作動音はすぐに可聴域を超えて僅かな響きだけを残すが、それもすぐにモーターの回転音に掻き消えた。
「所長代理さんよ、いつでも飛べるぞ」
『おう、了解だ。それじゃあまずは慣らしで周辺をぐるっと…おや?』
何があったのか気の抜けた疑問符を残してインカムを通した鋸引の指示が途切れる。高槻は少し離れた場所に設営した計測ブースへと目を馳せると、そこに屯する所員たちが一様に上空を見上げ唖然、愕然とした表情を浮かべている。
…彼らの視線の先、高槻はブース上空に浮かぶ黒い機体を捉えた。
『なぁ──っはっはっはっはっはっはぁっ!!』
黒い機体から先程の高槻を上回る高笑いが降ってくる。どうやらスピーカーでも積んであるらしく、笑い声に重なるように音楽まで流れてきた。曲はシューベルトの「魔王」…一体全体、何気取りなのだろうか…? やがてテノールの歌唱に合わせる様に機体がゆっくりと降下を始めた。
「何だ、あの悪趣味な機体は!? …あれも、UAMなのか…?」
離れた場所で機体の形状を観察していた高槻が呻きを漏らす。やけにシャープな機体…いや、車体は明らかにアメリカンコウモリ男モービルを意識したようなデザインで、およそ空力的な効率を踏まえて造り起こされている様には見えない。だがそれがUAMであることは独特の「巨大化したドローン」の如きプロペラファンが車体の前後左右に配置されていることから判断はついた。
その見た目こそデコラティブで悪趣味であるが、それに反して性能はかなり高いものである事を高槻はモーター音の静かさで感じ取っていた。
黒いUAMは曲の終了と共に着陸し、バブルキャノピーが開くとそこから一人の人物が降り立った。黒革の古めかしいフライトジャケットに真っ赤なマフラー、頭にはがっちりとした飛行眼鏡を引っ掛けており、鷲鼻に三白眼、ダリの様な上向きのカイゼル髭はいかにも悪人丸出しの面相である。
「鋸引ちゃーん、いるんでしょ? 出て来なさいよ!」
若干おネェが入った口調の濁声で男は所長代理の名を呼ぶ。渋々とブースから鋸引が出てきた。
「…やっぱりお前さんかよ、デューク・玄主…」
少々鬱陶しそうな表情の鋸引。普段余裕しゃくしゃくとした態度をとる所長代理がこれだけ露骨に嫌な顔をするのだからこの玄主と呼ばれた人物、あまり歓迎されるべき相手ではないらしい。
「何しに来た? …と言いたいところだが、その後ろの機体を見る限りどうやらお前さんもスカイカーレースに参加するらしいな…」
「あたりきしゃりき、車引きじゃないのよ! 今回のレースは新しい公共交通事業に深く食い込める絶好の機会なのよ? おまけにあんたが日本に戻って来てこんな端研究所から参加しているって言うじゃないわさ、これが参加しない手がある?」
一体いつの時代だか知れない語呂合わせから意気揚々と語る玄主に、鋸引の顔が更に険しさを増す。
「今度は一体どこの企業に取り入った? どうせお前さんの事だから口八丁手八丁で上手いこと騙くらかしたのだろうがな」
「人聞きの悪い事言わないでちょーだいな! アタシほどの天才科学者を世間が放って置く訳が無いでしょ! 今回アタシはダニー・チック・エレクトロニクスの開発主任として出場するんだからね? どうよ見なさいな、この自信作を!!」
玄主は鬢付け油でしっかりと固めた自慢のカイゼル髭をぴん! と弾いて誇らしげに背後のUAMを披露する。
「悪いけど今回の優勝はこの『ダース・エンペラー号』が頂いちゃうからね? まぁあんた達も精々無駄な努力でアタシの華々しい活躍を飾ってちょうだいな!」
言いたい事だけ一方的に告げ、さっさと愛車に乗り込んだ黒主は再び高笑いを響かせながら飛び去って行く。嵐が去った様な採石場跡、後に残された鋸引を始めとする所員一同がただ呆然とその場に立ちつくしていた…。
「一体何しに来たのですかな、あの騒々しいイカレ男は…? 何ぞ所長代理殿と面識があった様ですがね?」
その鋸引の元へ、一歩引いた様なスタンスを決め込みながら歩み寄ってきたのは一連の様子を遠巻きに眺めていた高槻。その口ぶりがどこか愉快気に聞こえたのか、鋸引は一瞬だけ悪童を睨めつける様な視線を高槻に向け、やや不機嫌そうに肩を竦めた。
「…自慢して紹介できるようなタチの人間じゃないよ。米国にいた頃ちょっとした小競り合いになった事のある男でね。取るに足らない小悪党だが、これがなかなかのしたたか者だから始末に負えない。まったく、鬱陶しい事この上無いよ…」
「それで一方的にカラまれている…という訳か、そいつぁまた災難な事で」
「笑ってられるかい? そいつが今度のレースに出てくるって事は、つまりもう他人事じゃあ無いって話なんだぜ?」
鋸引の反撃に今度は高槻の口元がへの字に歪む。
「…むゥ…、そいつぁ厄介ですなぁ…」
「まぁ、どうあれ我々は変わらず粛々と、ちゃんとした機体を作るのみさ。…一応念のため、何かあった時の心構えだけはしといてくれ」
「ちょっと待て!? 何かあった時って一体何だ!? 何か起こるのかっ!??」
所長代理の予言めいた不穏な台詞に思わず詰問を返すが、問われた本人は「さぁてね?」と言ったきり背を向けてしまい高槻は頭を抱えた。
「…なんてこったい…。今回はあの小娘の心配は無いと思ったら、今度は外野から厄介者が現れやがった…」
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