人が動けばそこには必ず出会いも別れもあると言う…。
「ハチ? お前、ハチか?」
「…鋸引ですか?」
その日赤鰯教授は学術集会に出席し、その帰りにホテルのロビーで思わぬ人物との再会を果たしたのである。二人はそのままホテル内のバーで積もる話に花を咲かせることとなる…。
「それにしたって…何なんだよお前、こんなに白髪だらけになっちまって!」
「あなただってすっかり腹が出てるじゃないですか、いやですねぇ…」
科学者とは言え、オヤジ二人が再会して飛び出す会話なんてこんなもんである…。
「同じ集会に来ていたのですか? 全然気が付きませんでした」
「いやぁ、俺は付き添いでね。ほら、コルドベルトのボーマン博士…あの人の所で今、技術顧問をしているんだ」
「次元素粒子理論の? 驚きました、いつの間にそんなポストに!?」
「まぁ、色々苦労してきたんだよ。お前さん、まだA.S.U.R.A.を?」
「ええ。今はこうして…」
そう言って教授は鋸引と呼ばれた男に自分の名刺を渡す。そこに記された代表者名を鋸引は意味深げに見つめる。
「…赤鰯…ね、まぁお前がそう名乗るならそれでも構わんさ…」
「まだまだ志半ば、ですから…」
「そうか…」
まだ何か言いたげな鋸引ではあったが、そこで言葉を飲み込むと代わりに自分のグラスを教授に向けて差し出す。
「では、赤鰯という旧友との再会に…」
教授もそれに応じて自分のグラスを相手のグラスに軽く合わせる、からりと氷の崩れる音が心地良く響いた。
「俺がまだいた頃は施設もロクに完成していなかったな」
「あれからまだ4年はかかりましたよ…なかなか資金を集められなくってね…」
鋸引はA.S.U.R.A.創設メンバーの一人であった。既に当時の人間は教授と最古参所員の矢部を除けば全員離散しているのであるが、その中でも鋸引は研究所の施設完成前に都合によって離れていたのである。
「仕方が無いさ、何を研究しているのかも分からない研究機関に融資してくれる銀行なんてまず無いからな…って、いや、今こうしているからには融資取り付けられたのか!?」
「ええ、あの辺りの地権者の伝でね…」
「物好きはいるもんだな」
「あなたがそれを言いますか? 今でも残ってますよ、あの妙な社訓!」
「お前、あんなの取って置いてるのかァ? ありゃあ冗談で作ったモンだったのに」
「いえ、あれで結構助けられたこともあったのですよ?」
教授は先日の家庭用ロボットによる事故死事件を思い返す。
「不思議な事にあなたの残したものばかり、今でも所内に残ってて怪しげな七不思議みたいに扱われてますよ」
「ははは、俺は都市伝説的な存在か!?」
何とも痛快そうに笑って鋸引はグラスをあおる、バーテンダーがすぐに2杯目を注いだ。
「鰯の頭も何とやら…ですよ。私たちの小さな冗談が巡り巡って所内の語り草になっていってます…きっかけなんて本当にしょうもないものなのにねぇ…」
「…まぁな、俺たちの発想元はいつだってそんなモンさ、アニメだったりSF小説だったり…」
「科学者なんて子供心が忘れられないまま大人になってしまった最たるものですよ」
「違いない」
懐かし気に鋸引はまたぐいとオンザロックのウイスキーが注がれたグラスをあおる。かなりのハイペースだが彼が吞兵衛なのは承知の上なので教授はそれを気にする様子もない。
「SFといえば…お前さん、『オッドマン仮説』は知ってるか?」
「マイケル・クライトンですね? …確か『アンドロメダ病原体』…。それが何か?」
「いや、次元素粒子論ってのは妙な科学でな、SFやおとぎ話みたいな現象を大真面目に考察する機会が度々あるんだ」
「ほぅ? 生憎私はまだそちらの分野には深く足を踏み入れてはいないのですが…確か万物の自然現象は偶発的な出来事であっても素粒子の動きで予測する事ができる…でしたっけ?」
「平たく言えば『偶然にも法則がある』だ。考え方としてはホログラフィック理論や大統一理論的とも言えるがな…」
「それはまた、とてもじゃないですが一晩で語り尽くせぬ命題ですね…それで? オッドマン仮説もそれに当てはまる…と?」
『オッドマン仮説』は作家であるマイケル・クライトンの小説「アンドロメダ病原体」内にて語られる仮説だ。その要旨は「集団で一つの問題を解決する局面において、専門家のみで編成されたグループよりも専門外の人間を含めたグループの方が効率的に問題対処に当たれる」…というものだ。もちろんこれは実社会に存在しない架空の説であり、論理的な実証がなされているわけではない。
「学生時代には『復活の日』と比較して友人とよく論議したものです」
「ああ…小松左京ね、俺も良くしてたわ!」
一体そのどこに大ウケする箇所があるのだか…いまいち共感し辛い部分はあるが、鋸引は手を叩き合わせての大笑い。元々豪放磊落な性格である事は理解していたが、ちょっとぐらいは場の雰囲気を汲んで頂きたいものだ。
彼の少々その場にそぐわない行為に思わず教授は彼の腕を抑える。…見ると早くも4杯目のグラスが干されていた。
鋸引は次のグラスを受け取ると、少しだけとろんとした目つきで心地良さげにそれを揺らす。
「…俺はクライトンの方がよりメディアナイズされた作家だと思ってるから『アンドロメダ病原体』の方がダイレクトにコンセプトが伝わると思うんだがなぁ…」
「話がズレてますよ? …それで、あなたの研究はどういった形でそれにアプローチを?」
「おお、そこなんだがな…オッドマンがいた方が何故専門家ばかりのグループよりも問題解決が早いか? そこには一種の因果律の介在があるのではないか? という可能性を今探っている所なんだ」
「およそ物理とは思えない切り口ですね…、どちらかと言えば心理学や哲学の様にも思えますが…」
「だろう? だがな、そこに必然たらしめる要素があるとしたらどうする? それももっと物理的に…だ」
「…つまり、そうしたオッドマンの存在そのものが、何らかの成功率や達成確率を上げる物理的なファクターを有している…と?」
教授は少しだけ訝し気な視線を見せる。
「…だいぶオカルティックな領域の話になってきますね…それではまるで『運命操作』ではないですか…!?」
「そうかもな…実際のところ、研究も未だそこまで止まりだ。何しろ何を根拠にして、どんな要素が関わってそうなるのか? という足場さえ構築できていない…そして何よりも…」
掲げたオンザロックの氷を覗き込むように、鋸引はその向こうの空間を睨み据える。
「…今のところそれを証明するレベルの被験者が見当たらない」
「…やれやれ、大変な研究に足を突っ込んでいるのですね…私はこの話、聞かなかった事にしておきましょう」
ここから先は論理の迷宮に入り込んでしまいそうな危うさを感じて教授の方から話題の打ち切りを促すと、鋸引もそれに従うことにした様で、話題替えのきっかけにと6杯目を注文する。
バーを出てから二人は駅までの道を並んで歩く。元々飲める方ではないのでほとんど酔っていない教授に比べ、何杯も飲んでいた鋸引の方はだいぶ足取りが怪しい。
すっかり上機嫌の鋸引は鼻歌など引っ掛けながら石畳の路地を教授より半歩先を行く。その様子を呆れて眺めながら、教授はふと思い出した…。
「あー、オッドマンと言えば…うちにもそんな娘がいましてね…」
「ん? うちって、A.S.U.R.A.にか?」
「ええ、まぁ…言われてみればそうなっている…って程度っですけどね」
「へー、そりゃあ興味深いね…」
「もっとも、作品中で言うところの意味でのオッドマンじゃあありませんよ? 念のため」
「そうなのかい?」
「ええ、れっきとした我が研究所の一員です」
「…そっか」
鋸引は教授の顔を一瞥して、そしてまた何事もなかったような千鳥足で前を進む。ちなみに、『アンドロメダ病原体』の作品中で説明されるところのオッドマンとは「半端者」という意味である…。
その後、鋸引が改札に入るのを見届けてから、教授はタクシーを拾って帰宅の途についた。
「…出会いも偶発ではありますが…」
窓の外を流れるネオンを眺めながら教授はぽつりと呟く。
「ならば今日の再会も物理的な思し召し…でしょうかね?」
口にしておいてその意味するところの奇妙さに思わず忍び笑いがこぼれてしまう。
…それが只の偶然ではなかったのを後に知ることになろうとは…、まだこの時の教授は知る由も無かったのだ。
※お断り…「次元素粒子理論」は作中の架空設定であり、そのような理論は実在しておりません。
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