踊れ、アスラ~4d⇒~

科学の砦でから騒ぎ。
沖房 甍
沖房 甍

「沈黙のアトム」3

公開日時: 2021年4月21日(水) 21:58
更新日時: 2021年10月8日(金) 04:16
文字数:2,681

 先程までの教授の仕草でも意識したか、今度は香苗が講義口調で語り始めた…。


「さっき教授、このコンピューターは人間のあらゆる思考パターンを無駄や制限無く行えるって言いましたよね? つまりその無駄こそがこのアトムくんには足りてないんじゃあないですかね?」


「無駄が…足りてない…ですか?」


 まるで頓智とんちか言葉遊びみたいな言い回しに戸惑いを覚える教授。もちろんそこに何かしらの意図があっての事だろうという事ぐらいは察せられるが、何しろ彼女がそんなことを言い出すこと自体が予想外…一体この後どんな論理が飛び出すのか測りかねている。

 それに対して香苗の方はこれから事件の謎解きでも披露しようとする探偵気取りでC-Xの前を歩きまわり、中空に指し示した指をくるくると巡らす。


「だってそうでしょ? 無駄なことが考えられない人工頭脳なんて、そんなの只の機械のままじゃない。人間はそんなキッチリ数式みたいにはものを考えないよ?」


「ふ…ぅむ、確かに言われてみればそれも一理ありますか…」


 突っ立ったままではあるが、教授はまるでロダンの彫刻の様に考え込んでしまう。


「そうやってレール通りの思考をさせちゃうから、考え落ちしちゃってんじゃないかと私は思うのよ」


 演算装置の考え落ちとはまた突飛な発想にも聞こえるかも知れない、ともすればそれは感情論で一蹴されてしまう理屈であるのだ。だが、何やらじっと考え込む教授の姿と沈黙を続けるC-Xの巨体が重なり、香苗の持論はやけに真実味を帯びて見えてくる。


「だって、ほら、人間だってノルマ、ノルマで締めつけられてちゃ人生投げ出したくもなるってモノでしょ?」


 そう言って香苗は大げさに自らの首を絞める振りをしてみせる。


「そういう時って頭の中だけでも逃避したくなるもんじゃあないのかなぁ? 無駄が無いって言うのはその逃げ道も無い事を言うんでしょ? そりゃあそんなの息苦しくて嫌んなっちゃうよ」


 危うく彼女の感情論染みた論理に煙に巻かれそうになりながらも、教授はそこに反証の余地が無いのかを模索する。まず考えたのはプログラム的な近似とそれに対する対策である。


「えぇ…っと…、それはつまり思考ルーチンに余剰分岐を持たせるという事では? それでしたら既にこのC-Xのプログラムにもカオス理論に基づいた擬似生態的な非定常性を設定して…──」


 通り一辺倒の思考ルーチンは不測の事態の発生で論理のループに陥りやすくなる、人間で言うと思考の堂々巡りの様なものだ。そうした対応策は既にプログラム段階から施されているのであるが、にもかかわらず現在そのループに近い状態が起こっているのが問題であるのだ。

 ところが香苗はそうした教授の反論を、びっと立てた人差し指を左右に振って遮る。


「ちっちっち、そーゆーこっちゃないんだなァ~…いくら思考にゆらぎがあっても所詮は『答え』を出す事ありき、でしょ? 私が言っているのはそーゆー目的ってか、『解』を求めないいーかげんさ…つまり、無駄以外の何ものでもない無意味ないーかげんさの事なのよ」


「無意味…ですか…」


「…~んンもぉお~~~っ…」


 香苗は急に身を屈めて唸り出す。何が起こったのかと思わず彼女を覗き込んだ教授は、次の瞬間感情を爆発させる様に大きく両手を上方に突き出した彼女の勢いに反射的に体を仰け反らせた。


「…世の中どーでもいいわァーっ!!! …って、後先考えずに投げ出したくなる時ってあるでしょ?」


 彼女なりの鬱屈とその解消の表現らしい…。


「…はぁ…」


「そーゆー部分が無きゃ、ちっとも人間らしくないと思うのよ、キッチリ仕事するだけの人間なんて、それヘンタイよ!?」


「香苗さん、それは偏見というものです…」


 何となく鼻のむず痒さなど感じながら、教授は小声でそっと揶揄された側の擁護もしておく。



…後に判明したところ、この同時刻、A.S.U.R.A.にて何人かの所員が同時多発的にくしゃみに見舞われたらしい…。



「私なんて日頃からめんどくさーい、楽して生きていたーい…とか考えて生きているんだから!」


「…なるほど、それは説得力がありますね…」


 実に一方的な物言いだが、それはそれで筋の通った理屈にも思える。教授は思索を巡らせ彼女の主張を具体的な理論に落とし込んだ。


「事象は必ずしも相互の関連性を有したものばかりとは限りませんからね…開発陣はCPUの多様性と汎用性を求めるあまり、あらゆることを詰め込み過ぎてしまい余白を設けることを忘れてしまったのかも知れません。本来なら香苗さんの言う通り、そうした無関係の領域にこそ多様性を生み出す要因があるのかも知れません、人間の心は非生産的…時には自滅的とさえ思えるファクターが混在する事で逆にロジックに柔軟性や耐久性が備わっている…とも考えられますからね。決定論的なシステムだけでは人間のしなやかな頭脳は再現できない…つまりそういう事なのでしょう…」


 絵画等には余白を描く、という概念がある。主に画面の光の当たる部分を描く際に、あえてそこに絵の具を塗らない事で光を表現しようとする技法であるが、彼女の言うところの「無駄」とはそうした余白なのかも知れない…それが教授の結論だった。


「思えば責任感の強い者ほど自身に負担をかけてしまい、遂には心を壊してしまうものです…もしかしたらそれと似た様な思考の葛藤がC-Xにも起こっていた…と考えればこの沈黙も理由がつきますね…。それならC-Xの本体に対して自己の保全価値を与え、利己的感情に似た選択肢を設けて追加プログラムとして入力してやれば恐らくは…! 良策ですよ、香苗さん! 早速これをプログラム化するプランを…──」


 …とそこまで考えて、何故か急に違和感が湧く…それはC-Xのプログラムに関してではない。何だかやけにその解決手段を見出すまでがスムーズに運び過ぎている…そう感じたのだ。

 すぐにその原因に思い至り、教授は愕然となる…。



「…待って下さい…? 先程うっかり私が用いたカオス理論や非定常という専門用語を、彼女は『ゆらぎ』と要約してのけた…、彼女はちゃんとその意味を理解していたとでも言うのでしょうか…!?」


 何しろ物理学や数学の領域である、件の専門用語の意味から理解していないとそれを『ゆらぎ』などという概念変換は普通出来ないはず。

 不可解な思いで香苗を見つめる教授…当の本人はもう問答に飽きてしまったのか、鼻歌まじりでC-Xをしげしげと眺めまわしていた。


「…はて?」


 首を捻る教授、またしても思わぬところに難解な謎が残ってしまった…。






 …数日後。思考プログラムを更新し、C-Xはその機能を取り戻した。…だが…──


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート